「妖怪」という言葉の面倒さ
某博論では、こういうことを書きました。以下引用。
「妖怪」は、現代妖怪学においては以上のように定義されてはいるものの、一般には、単なる日常語か、少なくとも民俗語彙である(つまり、学術的実践とは関係のないところで、「妖怪」と呼ばれる対象や、そうした対象の集合がある)と見なされている。現代日本において「妖怪」という言葉は、多くの学術概念と同じように、異なったレベルの意味づけが混在したものになっているのである。
まずは、分析概念「妖怪」がそれ以外の用法とどう関係を持っているのかについて、提案者の小松和彦が述べていることをまとめてみよう。この概念が提示された論考で小松は、それ以前の民俗学で「妖怪」と呼ばれてきたものを「どのように規定したらよいのか」と問うことで、分析概念を構成する動機づけをしている[小松1979: 334]。のちに述べているところによると、それは「柳田國男や宮田登などの「妖怪」概念を利用しながらも、[……]適宜その概念を拡張しつつ再定義」する行為だった[小松2012: 53]。
しかし、小松の概念を直接参照しているところを離れると、妖怪に関する文献は、すぐに定義など存在しないかのようにふるまってしまう。妖怪学の内部においてさえ、「妖怪」という言葉が現れるとき、必ずしも分析概念としての「妖怪」を意味しないことがある。妖怪学外での「妖怪」について京極夏彦は、「近世以前」から「昭和初期」まで9つに時代区分して用法の変遷を描き出し、その次に、1960年代後半の水木しげるによって総合された「通俗的妖怪」が到来することを論じる[京極2003, 2007: 228ff.]。しかしながら彼が指摘するとおり、この言葉については「送り手は自分の都合で「妖怪」という言葉を勝手に作り替えて発信していた」し、「受け手もまた「妖怪」という言葉を勝手に作り替えて諒解していた」[京極2007: 269(強調除去)]。分析概念としての「妖怪」が提示された1980年代以降にあってさえも、この状況はほとんど変わっていない。さらに、研究対象となるテクストや話者自体が「妖怪」という言葉を(特に明治以降は)多用しているということが、妖怪学文献の読解上の複雑さや曖昧さに拍車をかけている 。あるところで用いられる「妖怪」がどのような意味で誰の観点から用いられているのか、さっぱり分からないことが多いのである。
もちろん分析概念は、それが関わる対象との対比を通じて、その都度、変形されるべきものである。だから、複数の意味が論述の過程で並列されていくことは、それ自体では創造的潜在性をともなっているはずである。しかし現状では、ほとんどの妖怪学研究は、分析概念としての「妖怪」と研究対象としての「妖怪」のカテゴリー的差異について意識的ではない(数少ない例外として[中村1990; 飯倉2018])。この点は、研究対象が「妖怪」ではなく「怪異」や「化物」、「もののけ」といった総称的語彙を用いているときも、集合名詞としての「カッパ」や「天狗」を問題にしているときも、ほとんど変わることがない。そのため、妖怪学は分析概念を擁しているにもかかわらず、それを有効に/批判的に活用することができていない。それどころか外部からは、「妖怪」が特定の分析的価値を持つことが見えにくくなってしまい、概念がローカルなものに留まってしまう。
結果として、とくに妖怪学の外部においては、ジャンルやコンテクストにかかわらず、どこかで「妖怪」と呼ばれていればそれは「妖怪」であり、そうしたものの集合が「妖怪」であるという前提が広まってしまうことになる。言うまでもなくこのような扱い方では、「妖怪」と呼ばれるものが議論によって異なってくるのみならず、どう異なっているかはおろか、それらが異なる可能性さえ認識されにくくなる。むしろ個々の主張に沿って、結果としては恣意的に、「妖怪」の集合から都合の良い事例が選ばれてしまう危険性さえ生じかねない。
本論はこの問題を認識したうえで、以降、概念としては可能なかぎり、小松和彦による構造的妖怪概念にこだわることにする。また、それとは別に、妖怪学文献などで「妖怪」として指示されることがあるが、本論で引用するとき必ずしも直接「妖怪」と指示しない個々の対象、および対象の集合については「妖怪事象」と表記する。また第2部では、おもに現代の学術文献において、引用元で「妖怪」と呼ばれているときは、単純に「妖怪」と表記する。
引用終わり。博論では最後の章で自分なりの「妖怪」概念を提示しています。