2013-01-01から1年間の記事一覧
この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。1. いんまお【犬魔王】p. 52「犬のような姿をした奄美群島の妖怪」。○ 「犬魔王」とい…
この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。61. もうみp. 545「青森県の八甲田山や岩木山に住んでいるとされた、恐ろしい化け物」…
少し前に『日本怪異妖怪大事典』がようやく出版社から届いたということで、自分の執筆した75の怪異妖怪項目について、書くときに参考にしたものや、書ききれなかったことについての追加説明みたいなのを書いてみることにする。説明文に書いてあるが事例に…
この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。46. ひよりぼう【日和坊】p. 479-80「常陸の国の深山にいるという妖怪」。○ この項目…
この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。31. なんどばば【納戸婆】p. 416「納戸にいる、老婆の姿をした妖怪」。◎ 極端に解説を…
この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。 16. しょうき【鍾馗】p. 292「もとは中国の民間信仰で、疫病を追い払う神」。○ 僕は…
『玉襷』七之巻からの引用。 ここに古学の意をよく得て、大倭魂を突き堅め、かれをも己をも知りてあるは、たとえ目の前に、ひょうすべ、見越し入道など出たらんも、人のならいはさるものにて、馬の放屁にも驚くことのあるなれば、見慣れぬものの、不意に出て…
柳田國男の「妖怪名彙」に、次のようにタタミタタキが紹介されている。 タタミタタキ 夜中に畳を叩くような音を立てる怪物。土佐ではこれを狸の所為としている(土佐風俗と伝説)。和歌山附近ではこれをバタバタといい、冬の夜に限られ、続風土記にはまた宇…
村上健司の『妖怪事典』には載っていないが、柳田国男の「妖怪名彙」にはひっそりと「勘太郎火」という妖怪が紹介されている(『全国妖怪事典』や『綜合日本民俗語彙』には載っている)。 オサビ 日向の延岡附近の三角池という池では、雨の降る晩には筬火と…
『妖怪談義』などのスネコスリについてはこちらを参照。そちらに挙げた以外では『井原市史 民俗編』2001にスネコスリの話が載っていると化野燐が『怪』18で紹介しているが、これはまだ紹介されていないようだ。 狸のしわざと言われる股くぐり・脛こすりとい…
『新訂 妖怪談義』の「シバカキ」 夜分に路傍で石を投げる怪物だという(玉名)。p.248 それに対する小松和彦の注(同書) 「玉名」が指示する出典不明。能田太郎「肥後南ノ関方言類語集 体言編」『方言と土俗』(第三巻第三号、一言社、一九三二年)に、「…
前回のあらすじ:柳田國男『新訂 妖怪談義』では、柳田が曖昧にしていた妖怪情報の出典を小松和彦が徹底的に調べて明らかにしている。それでも不明なものは多い。しかしじっくりと伝承地域とそこをフィールドワークした研究者を追っていけば、もしかしたら出…
2013年1月に柳田国男の『新訂 妖怪談義』が角川ソフィア文庫から出た。これは人類学者の小松和彦が、柳田が不十分にしか示さなかった出典や当時の事情などに細かく注釈をつけたもので、その意味も込めて「新訂」がタイトルに付されている。 なかでも小松が力…
要約:柳田國男が「妖怪名彙」を書いたとき、佐藤清明の『現行全国妖怪辞典』を参照したのは明らかなのに、柳田はそのことにまったく触れていない。しかし、二人には方言カードを介した交流があった。そうすると、柳田が佐藤の方言カードを直接参照して「名…
「信念」についての昔からの人類学的問題 これとは別に、さらに根本的な問題がある。それは上に述べたことすべての背後に存在するものだ。つまり、反直観的か否かにかかわらず、宗教に取り組むときに「信念」[信仰]を中核的な問題とすることが、現在検討し…
Maurice Bloch, 2005, Are Religious Beliefs Counter-Intuitive?, in Essays on Cultural Transmission, Oxford: Bergの翻訳。[]内は訳者による補足。説明などは最後まで行ったらします。宗教的信念は反直観的か人類学者は、一般公衆や一部の哲学者顧客向…
様々に異なった超自然的信念と認知的態度 私が論じているのは、スペルベルとボイヤーが間違っているのはすべての宗教的な現れが認知的にも卓越的にも反直観的だと考えている点であり、それは宣教師がその手の信念しか探さなかったことと同断だ、ということで…