境界空間/放課後・終業後(美学)

昨日の「裏の部屋」に続きまして、より一般的にそういった感覚を指す「境界空間」と「放課後・終業後」というページをAesthetics Wikiというところから翻訳してみます。

Aesthetics Wiki(日本語表記は「美学リスト」)は最近作られたWikiのようで、正直よく分からないところもあるのですが、ヴェイパーウェイヴを中心とした美学的カテゴリーが集積されているみたいです。ここでいう「美学」は、英語の俗語辞典Urban Dictionaryを見ますと、定義の7つめにあるこれが近い。

一般的に、死ぬほど「90年代か80年代に生まれ」たかったらしい現代の若者たちがやたらに使う言葉。彼らには何の芸術的才能もないが、自分らのTumblrブログに「美学的」画像を投稿して、それを装おうとする。こうした若者たちは、普段リル・ピープなどSoundCloud出身のラッパーたちの音楽などを好んで聴く。「美学」はTumblrやインスタグラムに流れているケバケバしくてグランジ的でVHS画質の、トリップしたような画像を指すのに使われているが、ファッションスタイルに使われることもある。

まぁなんか小馬鹿にしたような「定義」ですが、アメリカでいう「Z世代」(1996~2012年生まれ)のあいだで流行している、「懐かしの」ノスタルジックな素材をいろいろ加工変形したものを中心としたジャンルということになるでしょうか。日本の文脈で言えば、たとえばかつての2ちゃんねる阿部寛のホームページ、もう少しさかのぼってバブル時代の雰囲気などが「美学的」なのでしょう。かなり大雑把に「昭和風」といわれるやつです。もちろん、過去30年にわたって低成長だった日本とそうではないアメリカを単純に比べることはできませんが。

また、これはたまたま見つけたのですが、ニューヨークタイムズの今年3月の記事Escape Into Cottagecore, Calming Ethos for Our Febrile Momentでも後半でAesthetics Wikiにリンクが貼られています。このWikiは「なんとかcore」という項目が多く(goblincore, weirdcore, nostalgiacoreなど)、そのなかにcottagecoreというのもあるのですが、この記事の説明によると、そういったものは「いま生きている世界の外側にある世界で暮らしたいという欲望」という点で共通しているそうです。まさしく異世界です。

いずれにしてもそうした美的感性をあつめたWikiなのですが、「日本」のカテゴリーもあります。というかヴェイパーウェイヴもそうなのですが、少し古めの日本語というのが一つのガジェットになっていて、このWikiもバナーや背景画像に日本語が画像として使用されています。さて「日本」のカテゴリーですが美学なので「わびさび」「浮世絵」や「カワイイ」があるのは当然として、「ゆめかわいい」「白塗り」「グロかわ」「森系」「ギャル」「暴走族」「ヤクザ」「竹の子族」「カラス族」果ては「ネコ(Neko)」まで網羅(?)されており、英語圏での日本文化の受容という点で大変興味深いものがあります。そのうち「洒落怖」の項目が立っても驚かないぞ。

そんな感じでいろんな現代アメリカ文化のジャンルが集まっているなかに、昨日の「裏の部屋」から受ける印象が入るのもあります。それが「境界空間」(liminal space)という美学と、あと「裏の部屋」系でしかし外にも誰もいない系のやつに合った「放課後・終業後」(after hours)の美学の2つの項目を訳出してみました。

 

aesthetics.fandom.com

境界空間(Liminal Space)

「境界空間」は、遺棄された過渡的空間のなかにいる感じを表す美学ジャンルである。たとえば午前4時の空港、夏休みの学校の廊下などである。「境界空間」は時間が止まった、どこか不安な感じを与える。

概念

語源にあるように(liminalはラテン語で「敷居」を表すlimenに由来する)、「境界空間」という概念は古くから、機能上、ある場所から別の場所へと移っていくための物理空間を包括している――廊下、待合室、駐車場、休憩所などがその手の場所の典型例だ。「境界空間」の美学は、そうした空間が本来の用途――とりわけ、出発地と目的地の中間点としての機能――とは異なっているときに受ける気味悪さやノスタルジア、不安感といったものの独特で組み合わさった感じに関わるものである。たとえば誰もいない階段の吹き抜けや深夜の病院の通路などは、不吉だったり不気味だったりする。というのも、そうした場所は、いつもなら活気にあふれた往来だからである。そのため、外界からの刺激(会話だとか、歩き回る人々だとか、そういった動き全般)が欠けていることは、別世界のような寂寞とした雰囲気をもたらすことになる。

こういう定義の仕方は、一般的で学問的な「境界性」(liminality)とほとんど同じなのだが、言っておかなければならないのは、「境界空間」の美学は近年、単にノスタルジアを感じられるとか、夢のなかのような感じ、あるいは/それに加えて不気味な感じのする画像も含むくらいに広がってきているということである。もうほとんど、概念の拡散に共通する特徴が、目立って人がいないという点だけというところまで来ているのだ。このような多様性は「境界空間」の定義を相当に薄めてしまうことになるが、物理的な境界性のミーム的状態の説明にもなっている。その謎めいた魅惑が、だいたいミレニアル世代[米国の1981-1995年生まれ]やZ世代[同じく1996-2012年生まれ]の文化的記憶を呼び起こすことにより、子ども時代の思い出やそれが好きな人々と結びつくことになるからだ。この点で「境界空間」とトラウマコア、憑在論(hauntology)のような美学との強いつながりが分かってくるようになる。

ビジュアル

「境界空間」の美学は、広々として空虚で、それでも気味が悪くて落ちつけない波動(ここが「境界空間」美学と一般的な空室/通路/廊下の写真を分けるところ)を伝える、あらゆる部屋や通路、廊下で成り立っている。こうした印象効果は、写真加工や簡単な照明の仕掛け、あるいはちょうどよい時間帯のムードを捉えることで得られる(なかでもヴェイパーウェイヴやアシッドウェイヴ、グリッチはこの効果を強められる)。

「境界空間」の加工の一部は、レトロ・ホラーやRPGビデオゲーム(YouTuber兼インスタグラマーのYOURLOCALBREADMANによって知られるようになった感じの)のなかにいる効果を与えられる。それらの動画加工の方式でおこなわれるデザイン上の選択もあって、居心地が悪かったり、シュールだったり、ほかならぬラヴクラフト的なところへと足を踏み入れる感じが得られるわけである。


aesthetics.fandom.com

放課後・終業後(After Hours)

「放課後・終業後」は、普段は人どおりの多いところに誰もいないときの印象や感覚から生じる美学である。

この美学が好きな一部の人々は、友達が多くなかったり、ぼっちでいるのが好きだったりする。そうした人々は音のない静かな環境を愛する。誰からも離れて、すべてのものがその人たちの慰めとなる。

音楽

かなりの部分がアンビエントに重点を置いている美学なので、アンビエント関連の音楽ジャンルを、「放課後・終業後」と相補的なものと見なしうる。


こんな感じです。リンクや画像集は省略しています。こうした美学と、日本の洒落怖系異世界の描写との比較なんかも楽しいと思います。