アメリカ民俗学の「メモレート」という概念

以前から、日本民俗学の「世間話」という概念は、アメリ民俗学でいうメモレート(memorate)に相当するのではないかということを話していたのですが、2009年に出た『女性の民俗伝承・民俗生活百科事典』(英語)に簡単なmemorateの項目があったので訳してみます。この項目の定義だと、メモレートには「超自然的」がかかわるとのことで、笑い話や色話なども含む世間話よりは狭い概念になっているようです。

 

Linda J. Lee, "Memorate," Encyclopedia of women's folklore and folklife, volume 2: M-Z, Liz Locke, Theresa A. Vaughan, Pauline Greenhill (eds.), Westport: Greenwood Press, pp. 406–407.

 

メモレート 

メモレートとは、超自然的なものと感じられる事件の経験談(firsthand account)のことである。こうした個人的体験の語り(narrative)は、短く、話の筋が一つで、構造がしっかりしておらず、公に語られるものではなく、近い過去に設定されるのが典型的である。メモレートの内容は一般に伝統的なものだが、そのテクストは個人的で独特であり、感覚的な細部を含むことが多い。そのような語りは「信仰譚」(belief stories)と言われることもあるが、幽霊や死者との遭遇、神秘体験、死や悲劇の予兆、夢の知らせ、超自然的な夜間の襲撃、UFO目撃など、多彩な話題に関わっている。メモレートはまた、民俗集団内で繰り返し語られることもある。たとえば、ある女性が、死の床にある祖母が母親のもとを訪れたということを又聞きで話すなどである。このような語り手は、おおもとの信頼できる情報源からの連なりを認識している。魔女術の話や妖精との遭遇、死者との通信などは、伝統的に女性に関係していたり、女性が語るものだったり、女性についてのものだったりするメモレートの類型である。

メモレートは、現実に起こった出来事の嘘偽りない報告として語られ、その経験の現実性についての主張が含まれることも頻繁で、また、超自然的信念は思弁ではなく、個人的経験や感性的知覚に基づいているのだということを強調する。メモレートは文化的信念をめぐる議論から生まれることもある。これらの語りは、そのような信念の複合体を探求し、話者たちがメモレートを用いて、自身や共同体の伝統を正当化しようとすることもある。そうした物語は、ある個人や集団の民俗・世界観を広く検討するときに取り入れられることもあり、一つの経験談が、ある個人の信念や経験の突っ込んだ研究のための基礎となることもある。信念はメモレートの中心ではないと考える研究者もいる。たとえばキャロル・バークは、囚人の女性が語る幻視の語りについて、自分たちの状況に対処するための戦略や象徴的な再演として解釈している(Burke 1992)。

このジャンルは、ここ数十年、重要さを増してきている。というのも、民俗的信仰が生きた伝統として顕れるさまを理解するための手がかりを与えてくれるからである。超自然をともなう個人的な経験談は、そうした伝統の社会的文脈や体験的側面について、信頼できる情報をもたらしてくれるのである。デイヴィッド・J・ハフォードの、超自然的な攻撃伝統への経験中心的アプローチは(ハフォード1999)、信仰伝承[信念にまつわる伝統]の研究者に多大なる影響を与えた。ジリアン・ベネットの、イングランドにおける女性たちの死者との出会いについての研究は、語りと信念、女性の物語構造とが交差するところに関心を持っている(Bennett 1989, 1999)。彼女による言説パターンの分析は、超自然的信念は予想よりもずっと広まっているということを示唆しているが、そうした情報は学術的言説で用いられる、一見して中立的な言葉に反応したものではないことが多い。むしろ、超自然的体験の経験談は、しばしば「メンツを守る曖昧さ」をもって注意深く口にされるものなのである(Bennett 1999: 14)。

民俗的信仰とメモレートと伝説の関係性や使い分けには議論がある。スウェーデン民俗学者カルル・ヴィルヘルム・フォン・シドウ(1878–1952)は1934年に「メモレート」という用語を提唱したのだが(von Sydow 1948)、メモレートは伝説の一形式ではないと主張した。というのもメモレートは伝統的ではないし、伝説にある誌的特徴を欠いているからである。メモレートが知名度を上げたならば、ある特定の集団の口頭伝承の一部になっていくことはあるだろう。語り手がメモレートを再話するにつれ、その物語は伝統的な伝説のモチーフやプロットの要素を付け加えることによって徐々に標準的なものになっていき、最終的に、それ自身が伝説としてコード化されることもあるだろう。

民俗学者リンダ・デーグとアンドリュー・ヴァージョニィ(Degh 2001; Degh and Vazsonyi 1974)は、ある決まったメモレートが伝達の連なりのなかで再話されるにあたり、語り手が一人称の語りを三人称で言い直し、共同的なほら話(fabulate)になっていくことを指摘する。同じように、一人称で三人称の作り話を語り直す語り手は、「疑似メモレート」あるいは「準メモレート」を生み出す。デーグとヴァージョニィは、そうしたほら話は、彼らが「先メモレート」と呼ぶメモレートを下敷きにしていると論じる。デーグは、メモレートや信仰譚、伝説を包括する用語として「伝説」を用いようと言う(1996, 2001)。分析のなかでメモレートと伝説を区別しない民俗学者もいる。たとえばエリザベス・タッカーは、メモレートとほら話、伝説に区別をつけず、アメリカの大学の怪談を研究しており、またタイプ・インデックスやモチーフ・インデックスもこうしたジャンルを区別しない傾向にある。

超自然概念をめぐる論争③

下の2つの記事の続き(最終回)。

youkai.hatenablog.jp

youkai.hatenablog.jp

日本のコンテクストでの超自然概念批判

 前回と前々回では、おもに文化人類学(宗教人類学)において、超自然概念がどのような意味で用いられ、どのような観点から普遍的な適用が批判されたのかをながめてきた。一見すると単純で自明であるが、分析していくと一筋縄ではいかない概念だということがよく分かったと思う。
 さて、この超自然概念、意外と日本近世までの研究文献では使われていないのだが、それでも総合的な概念化・理論化が行なわれるときは、それなりに登場すると考えてもよいであろう。前々回に紹介したように、小松和彦の妖怪学がよい例である。それでは、前回に紹介したような批判は、どれだけ日本のコンテクストでも有効なのだろうか。
 まず、妖怪研究のなかでデュルケームを踏まえた概念批判としては、マイケル・ディラン・フォスター『日本妖怪考』(2009)の序論が挙げられる。フォスターは以下のように、事例に即して超自然概念を問題視する。 

超自然というときには、自然の法則というものがなければならず、それと比較することで超自然の超越的な特性を判断できる、という前提がある。[……]本書の読者の大半にとっては、たとえば、キツネのような動物が経験科学的に取り扱える生き物として扱われること――博物学者によって図表化され、生物学者によって記載され、百科事典に掲載されることは「自然」に見えるだろう。しかし百科事典の項目に、キツネの生態や食性と並んで人間を化かす習性が記載されていたらどうだろうか。ある特徴を自然とみなし、別の特徴を超自然とみなすことはできるのだろうか。*1

 フォスターがここで具体的に想定しているのは、近世の百科事典『和漢三才図会』(1712)における「狐」の項目である*2。同書は明治にいたるまで再版され、また鳥山石燕の画集『画図百鬼夜行』の引用元になるなど、幅広く読み継がれていたことで知られている。フォスターは、少なくとも江戸時代までは、「この区分はそれほど明確なものではなかった」*3ことを指摘する。とはいえ「標準的なものとそうでないもの」という区分はあっただろうと言うことで、同書では結局、(ややルーズに)「超自然」という表現が多用されている。
 妖怪概念そのものへの批判ではないにせよ、個々の事例に関しては、香川雅信も似たようなことを論じている。香川によると、18世紀前半の本草書は、中世までは神霊の徴候であった怪異を意味から引きはがし、モノそのものとして取り扱うようになった「エピステーメー」を例証しているという*4貝原益軒の『大和本草』(1709成立、1715刊行)巻之十六におけるカッパの記述にそのことがよく現れている。曰く、 

河童(かはたらう) 処々大河にあり。又池中にあり。五六歳の小児の如く、村民奴僕の独行する者、往々辺において之と逢、則精神昏冒すと云。[……]此物人家ニ往々妖を為し、種々怪異をなして人を悩し事あり。狐妖に似て其妖災猶甚し。本艸綱目蟲部[……]に水虎あり。此と相似て同じからず。但同類別種なるべし。*5

 また、直後の項目には以下のようにある。

 罔両(くはしや)[……死体を喰う魍魎という中国の動物について説明……]是倭俗の所謂くはしやなり。関東にて人を葬る時、亡者をとる事あり。[……]是魑魅の類なり。日本にて天狗と云たぐひなるべし。中夏に天狗と云は鬼魅に非ず。天上天狗星あり。*6

 この二つの項目において益軒は、カッパと天狗、そしてカシャという、いずれも近世の随筆から戦後の民俗誌にいたるまで確認することのできる名高い「妖怪」を、あくまで自然的な動物の一種として配列している。そして積極的に中国の動物と比定したり類似種として位置づけたりする。さらに「河童」の項目では、この動物が「怪異」をなし、妖力を持つことについて、実に淡々と言葉を並べている。香川の言葉を用いるならば、この「妖怪」は自然化されているのである。 

日本における自然概念

 とはいえ、フォスターおよび香川の議論は不十分である。前々回にまず西洋的自然概念を整理したように、前近代の諸社会において、超自然概念がどれだけ有効かを問うには、「自然的なもの」の概念に相当するものが存在するのか、という問いから始めなければならないのである。しかし超自然概念に肯定的な小松にせよ批判的なフォスターにせよ、この問いについては必ずしも厳密には論じていなかった。小松の場合、その理由は自然概念についても普遍主義的な考え方を持っていたからであろう。この点は、彼がルース・ベネディクトとほぼ同じ論理で「歴史的にみれば、時代をさかのぼればさかのぼるほど、科学的・合理的思考が未発達であったがために、さまざまな奇妙な不思議な現象を「妖怪現象」とみなす機会は多かった」*7と述べていることから推測できる。
 しかし科学的・合理的思考によって知ることのできる客体化された自然秩序――という考え方は、それ自体が17・18世紀のヨーロッパ発であり、前近代日本の超自然的/自然的という区分に適用することはできない。むしろ日本においては、西洋的自然概念とつながる「自然的なもの」の概念はかなり複雑な道をたどっている。
 念のため付記しておくと、ここでは、典型的な日本人論に見られる「自然を征服する西洋/自然と共生する東洋」*8については取り上げない。それらのナショナリズムイデオロギーは散々に指摘されていることであり*9、また存在論的にはどちらの「自然」も西洋的自然――特に自然界を指しているからである。

 さて、まず(「自然的」ではなく)「自然」概念のほうから見てみよう。この概念を指す言葉「自然」は言うまでもなく漢籍由来だが、前近代から日本語に入り込んでいたことが知られている。加えて現代では、欧米語の翻訳語としても、日常的な言葉として用いられている。さらに「自然」という言葉は前近代の宇宙論や「自然観」などを説明する現代語の文章でも多用されている。これらを踏まえると、現代の日本語環境では、それ自体で複数の意味を有する西洋的自然と、前近代日本で「自然」と呼ばれていたものと、現代語で「自然」と呼ばれる前近代の言葉や概念が、まとめて「自然」という言葉に含み込まれていることになる。そのため、「自然」に言及するには、こうした複雑さを解きほぐしてからではないと、いたずらに混乱を招くことになる。
 そのためここからは、単に自然・自然的というときは一貫して西洋概念のことを指し、前近代日本の単語「自然」が指す概念は「日本的自然」と呼ぶことにする。また、西洋的自然に(少なくとも部分的に)相当する概念については、可能な限り、「天地」や「世の中」「森羅万象」など、原典の日本語や漢語に用いられる言葉でもって表現する。この場合、「自然」という語を用いることもあるが、そのときは西洋の概念を「西洋的自然」と呼称することで混同を避ける。

 超自然概念との関係において自然概念を論じるとき、念頭に置いておかなければならないのは、人類学においても、その他の近代学問においても、「自然」は一般的に(「超自然的なもの」ではなく)「文化」と対立する概念だということである*10。ここで言う「自然と文化」は、前者が人為の加わらない非歴史的・普遍的・自存的な物質的基体であり、そのうえに、人間集団ごとに後者が構築される――という関係性から構成されている概念的な対である近年では、こうした存在論的前提は単一自然主義多文化主義の対として表現されることが多い*11。この意味での「自然」が非西洋近代的社会の多くに存在しないことは、上述のハロウェルを含め、すでに無数の議論によって明らかにされている*12
 日本においても、西洋近代的な自然/文化の区分が当てはまらないことについては多くの指摘がある*13。「しぜん」と読む現代日本語の「自然」は、英仏語nature(18世紀末~19世紀半ばまではオランダ語Natuur)の訳語として使われ始めたものであった。しかも訳語としての「自然」は、18世紀末に現れながらも明治中期にいたるまで定着しなかったのである。たとえば『和訳英辞書』(1869)では、natureは「天地万物。宇宙。本体。造物者。性質。天地自然ノ道理。品種」とされ、名詞としての「自然」は訳語に現れていない*14
 西洋的自然に対応する訳語として「自然」が定着するのに100年以上もかかった事実は、この概念が日本語にとって新しいものだったことを示唆している。ファビオ・ランベッリが指摘するように、「前近代の日本語では、私たちが自然[……]と呼ぶものについての一般的な語はなかった。「気界」、「天地」、「万物」などの語がもっとも近いものだっただろう」*15。ここでランベッリが「自然」と言っているものは、ここで言う「自然界」の概念のことである。あらゆる事物の総体ということになるが、しかし彼が提案する言葉には、普遍的秩序の概念も、人間の文化が排除される意味合いもない。

 日本における「自然的」概念

 こうした議論や事実を踏まえたうえで超自然概念に戻ってみよう。小松の妖怪概念を例にとってみると、その図式において、超自然的領域に対立する自然的領域には人間も入っている。また文化的産物たる道具もその一部になっている。超自然概念は自然のみならず、人間社会や文化にも対立するとされているのである。この時点で、ここで問題とするものが一般的な自然/文化の対立とは位相が異なることが分かる。加えて、文化/自然における自然は、神霊や宗教的対象など、いわゆる超自然的存在を含み込むことが多い*16。それに対して宗教的対象は、超自然的/自然的の対立において、超自然側にある。
 つまり、自然的なものと自然は、それぞれ超自然的なものと文化と対立するが、その対立の仕方は異なっており、同じ平面にはないのである。そのため、たとえば単純に二つの対を組み合わせて三項対立に再構成し、自然/文化に関する議論を再利用するようなことはできない。ある意味で、文化/自然は人間中心的な区分だが、自然的/超自然的は宇宙中心的な区分として使い分けることもできるだろう。そして筆者が関心を持つのは後者のほうである。そのため、「超自然的」の前に、日本における「自然的」の対応概念について検討しなければならない。
 西洋的自然の訳語としての「自然」は定着するのに長い時間がかかった。その一方で、「自然的」(natural)のほうは、19世紀初めからかなり一貫して(副詞、形容動詞などとしての)「自然」と訳されてきたことが知られている*17。上述したように、西洋の「自然的」は、超越的な自然法則に従う状態(③B)と、内在的な自発性による状態(③A)の二つに区分できる。この区分から見ると、前近代日本の「自然」(「じねん」と読むことが多かった)は、訓読みするならば「おのずからしかり」――森田敦郎とキャスパー・イェンセンの表現を借りるなら「自発的生成(spontaneous becoming)」であり*18、③Aに近い。
 前近代において「自然」を重要概念として用いた思想家はそれほど多くないが、そのうちの一人である山鹿素行(1622–1685)はこれを「已むことを得ざるの自然なり」と表現した。これは「おさえようとしても、おさえきれずに発動することである」と相良享は説明する*19。さらにこの運動としての「自然」状態は、素行にとっては「天地」――「自然界」に近いが人間も含む概念――が絶えず生成変転することでもあった*20。また、前近代日本の「自然」は、とくに荻生徂徠(1666–1728)以降、安藤昌益や本居宣長の思想において、人間や神々による「作為」に対立するようにもなった*21
 この日本的自然を西洋の「自然的」と類比的に対応させることが許されるならば、まず対立する概念は「作為」である。この概念は、人間の手を加えるということだから「文化的」に近いようにも見える。しかし柳父章が論じるように、「文化的」なものが西洋的自然と(存在論的に)共存しているのに対して、「作為」は日本的自然と相互排他的である*22。西洋的自然の上に構築されるのが文化ならば、日本的自然を反転させたのが作為、と考えてもよいだろう。
 さらに日本的自然は、山川草木・鳥獣虫魚のみならず、人倫――「君臣父子夫婦の倫」(儒学)あるいは「古(いにしえ)の道」(国学)まで含み込んでいる*23。この点も考え合わせると、自然/作為の対立は、ロイ・ワグナーの言う本在的/人為的(innate / artificial)の対立*24でも捉えられるのだろう。人類学者にとって人為的な文化であるものがダリビの人々にとって本在的な慣習であるのと同様に、人類学者にとって日本的自然の一部は明らかに文化なのだが、近世の人々にとっては本在的な、「已むことを得ざる」ものなのである。 

日本に超自然的概念に対応するものはあったか

 ここまでは、西洋的な「自然」概念および「自然的なもの」概念のそれぞれについて、前近代日本における概念の欠如や部分的対応を簡単に整理した。西洋的自然の概念がないならば、当然、対立概念としての文化もない。しかし超自然概念は自然ではなく自然的なものに対立する。自然的なものは日本的自然の概念に、部分的に対応するように思われる。それでは自然的なものにとっての超自然的なものは、日本的自然にとって何に相当するのだろうか。そもそも、相当する概念は存在するのだろうか。
 ベンソン・セイラーが整理しているように、自然的/超自然的の対立は、少なくとも西洋においては内在的/超越的の対立に一致する。そして超越的なものは、自然の普遍的秩序を超えたものの謂いである。神々や妖怪、死者などは、普遍的秩序を超えている(とされる)がために超自然的と呼ばれる。他方、上述のように、今で言う自然界のみならず社会秩序や生活習慣まで取り込む「天地」は、「おのずから」――自発的秩序を内在させている。それを超えた超自然的秩序とはどういうことだろうか。神々や妖怪はそれを超えたところにある単一的秩序に位置づけられるのだろうか。
 この問いに答えるためには、非近代的な日本の諸社会が前提とする宇宙論的・存在論的な体系において、超自然的/自然的に類比的な存在論的二元論があるのかどうか、さらに神々や妖怪がどのように扱われているのかを検討していく必要がある。

 とはいえ、これ以上は現代の学術文献における、超自然概念をめぐる論争から外れてしまうことになる。また別の機会にいろいろと考えてみたいと思う。とりあえずの見通しとしては、神仏に関しては、超越的用法を適用できる余地があるが、妖怪や死者などに関しては、フルトクランツ的な超自然概念の非日常的用法を適用できるか否か、ということになるだろう。

*1:フォスター2017『日本妖怪考 百鬼夜行から水木しげるまで』、廣田龍平(訳)、p. 38。

*2:Ibid., p. 71–72。

*3:Ibid., p. 38。

*4:香川雅信2005『江戸の妖怪革命』、p. 141–142。

*5:『益軒全集』六巻、益軒会(編)、1973、p. 422。

*6:Ibid., p. 422–423。

*7:小松和彦2011「妖怪とは何か」『妖怪学の基礎知識』、p. 15。

*8:梅原猛1989「アニミズム再考」『日本研究』1、大喜直彦2014『神や仏に出会う時 中世びとの信仰と絆』、pp. 12, 40など。

*9:杉本良夫、ロス・マオア1995 (1982)『日本人論の方程式』、p. 212–213、ベルク『風土の日本』、pp. 262–273、Fabio Rambelli, 2007, Buddhist materiality, ch. 4、Aike P. Rots, 2017, Shinto, nature and ideology in contemporary Japan: making sacret forests, ch.3など。

*10:クロード・レヴィ=ストロース1977『親族の基本構造 上』第1章、ロイ・ワグナー2000『文化のインヴェンション』、ブルーノ・ラトゥール2008『虚構の「近代」 科学人類学は警告する』など参照。

*11:Viveiros de Castro, 1998, Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism, Journal of the Royal Anthropological Institute 4 (3), Amiria Henare, Martin Holbraad and Sari Wastell (eds), 2007, Thinking through things: theorising artefacts ethnographicallyなど参照。

*12:マリリン・ストラザーン1987「自然でも文化でもなく ハーゲンの場合」『男が文化で、女は自然か? 性差の文化人類学』、木内裕子(訳)、ラトゥール2008、Tim Ingold, 2000, The perception of the environment、 Philippe Descola, 2013, Beyond nature and cultureなど参照。

*13:柳父章1995『翻訳の思想 「自然」とNATURE』、ベルク『風土の日本』、Descola, 2013, pp. 29–30、Casper Bruun Jensen & Atsuro Morita, 2017, Introduction: minor traditions, shizen equivocations, and sophisticated conjunctions, Social Analysis 61 (2)、Rambelli 2007,  Rots 2017など。

*14:柳父『翻訳の思想』、pp. 68–70。

*15:Rambelli, 2007, p. 133.

*16:たとえば山口昌男1975『文化と両義性』pp. 1–7、小松和彦1985『神々の精神史』pp. 83–115。

*17:相良亨1979「「自然」という言葉をめぐる考え方について」『自然 倫理学的考察』pp. 228–229、柳父『翻訳の思想』pp. 63–74。

*18:Jensen & Morita, p. 5.

*19:相良、p. 234。

*20:相良、p. 235。

*21:丸山眞男1983『日本政治思想史研究』。

*22:柳父『翻訳の思想』pp. 163–165、Jensen & Morita, p. 5。

*23:丸山『日本政治思想史研究』pp. 200–207, 266–275。

*24:ワグナー『文化のインヴェンション』。

超自然概念をめぐる論争②

前回の「超自然概念をめぐる論争①」の続きです。

youkai.hatenablog.jp

ある意味、今回が「論争」編かな?

超自然概念の批判

 前回の終わりに提示した普遍主義的用法は、自然的/超自然的という存在論的区分が、「それなりのやり方で」(ルース・ベネディクト)全世界に共通してみられるということを前提とする。その一方で、この前提の妥当性を疑う議論も100年以上前から存在していた。もっとも有名なのは、『宗教生活の基本形態』(1912)におけるデュルケームである。彼は宗教の定義を探るなかで、まず超自然概念を取り上げ、それを「われわれの悟性の範囲を越えたあらゆる次元の事物[……]神秘的なもの、認識不能なもの、理解不能なものの世界」と定義する。しかし彼が言うには、この観念は近年のものでしかない。なぜなら「事物の自然的な秩序が存在する」と認識され、かつ、そこから外れた現象が存在する、という思考のプロセスがなければ超自然概念は発生しないからである*1
 ちなみに、デュルケームは明言しないが、19世紀後半にエルネスト・ルナンがやはり、超自然の概念は自然の法則という概念が出た13世紀に至るまで無視されており、17世紀のガリレオデカルトらの機械論的世界観によって定着したもの、と述べていた*2。また似たようなことは、より有名な『イエスの生涯』(1863, 1870)第2章でも述べられている*3

 その後の民族誌的研究においては、陰に陽にデュルケームの主張を支持するものが目立つようになる。その大半は、西洋近代的な自然概念を前提とした超自然概念は、具体事例の記述には適用できないとするものである。たとえばエヴァンズ=プリチャードは、アザンデ人にとっての妖術の因果性を論じるにあたり、次のように述べる。

われわれは、われわれが自然の法則と呼んでいるものに合致した秩序ある世界についての概念をもっているが、われわれの社会でもある人々は自然の法則では解釈できない不思議な出来事も起こりうると考えており、したがってそれは自然の法則を越えるもので、われわれはそれらの出来事を超自然と呼んでいる。[……]アザンデ人は現実についてそのような概念は確かにもっていない。彼らはわれわれが理解しているような「自然」の概念をもっていないから、したがってそこには「超自然」も存在しない。*4

とはいえエヴァンズ=プリチャードは、西洋近代的なやり方とは違ったかたちで、アザンデは妖術・呪術の作用とその他の作用を区別する、とも述べる*5。同じような論法は彼によるヌエルの民族誌にも見出すことができる。そこで彼は、抽象的な自然的/超自然的の二元性はないかわりに、非物質的な「霊」(クウォス)と物質的な世界(チャク)との二元性があると論じている*6
 ヌエルに隣接するディンカの人々を調査したゴドフリー・リーンハートは、初出のときにだけ「精霊」(spirit)と訳した「ジョク」という語をただちに「諸力」(Powers)と言い換える。そして、この世界に内在するが人間よりも高位で時空を超越するジョクは、人間や地上の生き物と対比されるカテゴリーであると述べる。そしてデュルケームを参照しつつ、ディンカにおいて自然秩序を前提とする超自然概念は不適切である、と論じる。ジョクの経験は彼らにとって「自然的なもの」なのである*7
 アフリカからもう一つ事例を出すならば、石井美保はガーナ南部の呪術や精霊憑依などの「超常現象」を取り扱うにあたり、それを「超自然現象」と同一視することを否定する。それは「「常態」を超えていながら、人びとをとりまく世界/環境の一部として「自然」に存在しうるものである」*8

 北米に目を移してみると、アーヴィング・ハロウェルが、北部オジブワの神話群に登場する存在を「超自然的な者」(supernatural person)とするのは完全に誤りだと主張する。なぜなら、超自然概念は「自然的なもの」を前提としているが、「自然的なもの」という考え方がオジブワには存在しないからだ。ハロウェルは、それゆえ概念としては「超自然的なもの」ではなく「人外の者」(other-than-human person)を使うべきだと論じる*9。ちなみにハロウェル以前にも、オジブワの人々にとって精霊が超自然的とはいえないという記述は存在する。それによると、「それらも人間と同じように、世界の自然的秩序に入っている」*10
 超自然概念自体を批判するために、短いながら一つの章を割いたモートン・クラスは、西インド諸島トリニダードの農民が、土地の主たる霊「ディ」にオンドリの血などを捧げる事例を紹介する。その農民は地主に貢ぐ分の収穫も取り分けていた。彼にとってはディも地主も同じように存在しており、儀礼も支払いも翌年の豊作を確実にするものであり、自然的なものであった*11。同様の指摘は他にも多い*12

 こうした議論のいずれにも共通しているのは、私たちが超自然的と分類するようなものに多少は対応する土着カテゴリーは皆無ではないが(たとえば「霊」や「人外の者」「超常的」と訳せるもの)、それは自然的なものに対立しているのではない、という主張である。石井やクラスのようにそれを反対に「自然的」と表現することもあれば、ハロウェルのようにその表現も拒否する論者もいるが、いずれにしても超自然的/自然的の二分法は通用しないことが前提となる。こうしたことについてクラスは、超自然概念が、近代自然科学によって「まともなデータ」として取り扱えないものをまとめたカテゴリーではないのか、と問う。近代自然科学が西洋近代に特有の知的枠組みである以上、それと表裏一体にある超自然概念も同断である。だから、この概念を非西洋近代的な諸社会に適用することは、人類学が避けるべき自民族中心主義に陥っているのである*13

超自然概念の非日常的用法 

 以上のような存在論的区分とは(表面上は)別に、インフォーマントやテクスト自身が、あるもの(妖怪や怪異、精霊や神々など)を「不思議だ」や「怪しい」と表現するときはどうだろうか。こうした表現が示すものを超自然概念と同一視するか、少なくとも類似したものと考えることは可能だろうか。つまり、厳密に「自然秩序に従うもの」と「超越するもの」という超越的・普遍主義的区分で対立を捉えるのではなく、より緩やかに超自然概念を規定してみるのである。ただ、あまりに緩やかであるならば「自然的」概念を前提とした意味が薄れてしまうことになる。

 このような試みは、曖昧なかたちで古くから行なわれてきていたが(さもなくば、超自然という言葉はここまで多くの文献に現れていなかっただろう)、明確に定式化したものとして、北米先住民の宗教に関するオーケ・フルトクランツの議論がよく知られている。フルトクランツは、ハロウェルによる超自然概念批判(上述)に反論して、存在論的カテゴリーの二分法を検討する。そして、ハロウェルは「超自然」を自然法則に反するものという狭い意味で使っているが、それに限定する必要性はないということを指摘する。フルトクランツは、ハロウェルがマニトゥ(manitou、霊的なもの)の概念を取り上げるのを避けていることを指摘する。「マニトゥは不思議な性質をもった精霊あるいは人間を表すが、この状況は、マニトゥの真の意味が「非日常的」あるいは「超自然的」だということを示すと考えられる。この概念が通常に対立するものを意味しているのは明々白々である」*14
 何であれ「大なり小なり不自然なもの、正常とは言い難いもの」にまで超自然概念を適用することについては、フルトクランツは批判する。その一方で、自然法則を前提とした、哲学的な概念化も厳格すぎるとして受け入れない。彼によると、「精霊や奇跡といったものが属する、日常的実在とは別の秩序の実在という、より実践的な区分」*15こそが超自然的である。この区分は、「通常/異常」(ordinary, extraordinary)によって判断されるが、そこから導出される二分法は常に質的に異なった二つの存在のレベルである*16。これを「超自然的なもの」の非日常的用法と呼ぶことにする。ちなみに、フルトクランツのように事例から導き出したわけではないが、同じ「通常/異常」の区分を「自然/超自然」に割り当てる議論は、エドワード・ノーベックの宗教人類学にもみられる*17
 普遍主義的用法のときに紹介したが、認知宗教学における超自然概念は、この種の意味合いも強く含んでいるように思われる。ボイヤーらにとって、宗教的なもののカテゴリーは反直観的なものによって構成されているからである。そしてまた、反直観的なものは(フルトクランツの主張と同じように)単に変則的なものは含めない。直観的には有り得ないものの最低限の組み合わせが宗教的概念を構築するのである*18

 通常・日常的/異常・非日常的のそれぞれに、自然的/超自然的を割り当てることは、一見して問題が少ないようにも思われる。ただ、フルトクランツがそれぞれに異なる実在の秩序を割り当てるとき、ティム・インゴルドが指摘するように、民族誌からの乖離が生じることにもなる。インゴルドはハロウェルの記述を再分析して、その「要点は、人外の者を経験することは、自然を超えた実在の経験ではなく、優越した力の経験だということである。こうした経験は、日常的実在の超越ではなく、それの強化へと至る」ということを指摘する*19。人々の生きる実在が、より広がりを持ち、より深みを持つということ、それが、精霊や「奇跡」なるものとの邂逅が切り開く可能性なのである。人々の世界とは異なる実在の秩序という二元論的な存在論は、少なくともフルトクランツがそれを読み込んだオジブワの世界には妥当しない、とインゴルドは結論付ける。

 非日常的用法の二元論に対しては、インゴルドのように一元論で却下するほかに、より細分化したカテゴリーでもって批判する方法もある。モーリス・ブロックとダン・スペルベルがこの手の論法を用いて、認知宗教学的な反直観性や超自然の概念の問題を指摘している。
 まずブロックは、ボイヤーとスペルベルが、すべての宗教現象は反直観的だというのに対して、マダガスカルのマラガシにおける事例を挙げて反論する。彼はイーゴリ・コピトフの一般論も併記しつつ、「死んだ祖先に対する行動は、見たところ根本的には生きている父親や長老に対する行動と何の違いもない」と言う。「マラガシの農民は、死者に話を聞いてもらいたいとき、声を張り上げる。これは彼らが長老の注意を引きたいときにもよく行なうことである。なぜなら長老もまた耳が遠いことが多いからである」*20。私たちにとって宗教的対象であり、また反直観的である死んだ祖先は、彼らにとってまったく反直観的ではない。ボイヤーらがそういったものを反直観的と言うのは、あくまで西洋近代的な判断によるものでしかないのである。
 おそらく議論のすれ違いがあったのだろうが、スペルベルのほうはすでに「宗教」カテゴリーを放棄している。ある雑誌上で、スコット・アトランらが、反直観的=超自然的行為主体が宗教にとって主要な概念であるのはなぜか、と問うのに対して、スペルベルは、人類学的に言って「宗教」は家族的類似でしかない、ということを指摘する。エチオピアのドルゼの人々に宗教を聞くと、彼らはキリスト教を信じていると答える。その一方で彼らは日常的に祖先祭祀をするし、山川で「超自然的」精霊に捧げものをする。憑依も禁忌体系もある。ドルゼたちは、こうしたものをキリスト教と同じ「宗教」の名のもとにまとめようなど思いもしない。アトランらの問いは因果関係が逆なのである――タイラー以来、宗教を定義するために用いられているのが、超自然的行為主体なのだ*21
 スペルベルのほうは超自然概念も反直観概念も放棄しないものの、それが宗教という一つのカテゴリーと一致するという普遍主義的な考え方は、人類学者らしく否定している。ブロックは超自然概念を用いず、反直観概念の包括性を批判するものの、宗教カテゴリーへの還元ができないと考える点はスペルベルと同意見である。おそらくこうした批判論法は、日本において宗教現象とされてきたものを考え直すため、重要な足掛かりになることだろう。

 非日常的用法は、「異常・非日常的」に着目したという点では、「超自然的」とされてきた多くの事例を捉えることが可能のように思われる。たとえばマイケル・ディラン・フォスターは、妖怪は「どの時代においても[……]「自然」の枠内に収まるだろうが、それでも通常から外れたもの」であると論じる*22。彼は、妖怪に「自然なもの」とは異なる、固有の実在的領域(超自然的、あるいは宗教的と呼びうるもの)が認識されていたことについては疑いを持っている。とはいえ完全に純粋な「自然なもの」とも言えなさそうな、異常なものとして妖怪が捉えられていたことについては否定しない。
 また前回紹介したように、小松和彦の妖怪論においては、妖怪とは「科学的・合理的に究めつくすことができなかったとき[……]それを超越的・非科学的説明体系の中に組み入れて秩序づけようと」した結果のものである*23。この説明には超自然(超越)概念の普遍主義的用法がみられるのに加え、彼の言う「民俗的思考」が二つの体系に区分できることが前提とされている。この点で、小松妖の怪概念には、さらに非日常的用法も含み込まれていると考えることができよう。

 結局のところ、ここまで分析的に区分してきた超自然概念の各用法――超越的、精霊的、普遍主義的、非日常的――は、この概念を使う研究者の多くにとって、分析的にも切り分ける必要がないものと見なされているように思われる。しかし、どの用法にも共通するのは、それが「宗教的なもの」の定義と深く関係しているということである。これらをまとめて超自然概念の「宗教的用法」と呼んでもいいが、非宗教的な用法があるかというと、かなり限定されていると言わざるを得ない。ヴィヴェイロス・デ・カストロが多自然主義を前提として提示する概念化はその数少ない一例であろう。詳細を検討する余裕はないが、捕食的用法命名することができる。

 他方、インゴルドやスペルベルらの批判に見られるように、フルトクランツや認知宗教学の非日常的用法は、そこに留まらず、実在に関する二元論を想定している点で、無批判な適用を保留しなければならない。この想定は、超自然概念を肯定する場合、それが宗教的領域を定義するものになるべきであり、ゆえに一貫した秩序を有しているべきであるという、スペルベルの指摘した学説史的な流れに由来している。そしてブロックやスペルベルが(どちらもアフリカだが)事例をもって反論するように、非西洋近代的な諸社会において、そのような一貫した秩序としての「宗教」は想定されていない。ちなみに、スペルベルの論法を延長させるならば、非日常的なものに加え、日常的なものも単一の実在的秩序を有するのかについて問題提起することもできる。たとえば多くの社会では、何らかの意味で人間と動物が存在論的に区別されている*24。先に述べた捕食的用法も同様である。
 そのため、超越的用法や普遍主義的用法とは異なり(結論としては同じなのだが)、非日常的用法の妥当性を検討するためには、ある事例がこの用法での超自然概念に合致しているか否かのみならず、他に合致することが想定される諸存在と同一のカテゴリーに属すると判断されているのか、ということも考慮しなければならない。

 

次回(最終回)は、超自然概念と前近代日本との関係について、少しだけ。

*1:デュルケーム2014『宗教生活の基本形態 上』、pp. 57–61。

*2:Ernest Renan. 1868. Questions contemporaines, p. 232–233.

*3:エルネスト・ルナン2000『イエスの生涯』忽那錦吾・上村くにこ訳、p. 32; de Lubac, 1934, p. 238–239.

*4:エヴァンズ=プリチャード2000『アザンデ人の世界 妖術・託宣・呪術』、向井元子(訳)、p. 94。

*5:Ibid.

*6:エヴァンズ=プリチャード1995『ヌアー族の宗教 上』、向井元子(訳)、p. 236。

*7:Lienhardt, 1961, Divinity and experience: the religion of the Dinka, pp. 28–29, 98.

*8:石井美保2007『精霊たちのフロンティア ガーナ南部の開拓移民社会における〈超常現象〉の民族誌』、p. 285。

*9:Irving Hallowell, 1960, Objibwa ontology, behavior and world view, in Culture in history: essays in honor of Paul Radin, p. 28.

*10:D. Jenness, 1935, The Ojibwa Indians of Parry Island: their social and religious life, p. 29.

*11:Morton Klass, 1995, Ordered universes: approaches to the anthropology of religion, 28–29.

*12:たとえばジョン・ビアッティ1968『社会人類学 異なる文化の論理』蒲生正男・村武精一(訳)、pp. 263–264、Edvard Hviding, 1996, Nature, culture, magic, science: on meta-languages for comparison in cultural ecology, in Nature and society: anthropological perspectives, p. 178.

*13:Klass, 1995, ch. 4.

*14:Åke Hultkrantz, 1983, The concept of the supernatural in primal religion, History of Religion 22 (3): 244–245; cf. Robert Anderson, 2003, Defining the supernatural in Iceland, Anthropological Forum 13 (2); Lohmann, id., 2003.

*15:Hultkrantz, 1982, Religion and experience of nature among North American hunting Indians, in The hunters: their culture and way of life, 179.

*16:Hultkrantz 1983, p. 231.

*17:Edward Norbeck, 1961, Religion in primitive society, p. 11.

*18:ボイヤー、『神はなぜいるのか?』、pp. 108–110。

*19:Tim Ingold, 2000, The perception of the environment, p. 424; cf. David M. Smith, 1998, An Athapaskan way of knowing: Chipewyan ontology, American Ethnologist 25 (3): 423–424.

*20:Maurice Bloch, 2005, Essays on cultural transmission, pp. 110–112; Igor Kopytoff, 1971, Ancestors as elders in Africa, Africa 41 (2): 129–142.

*21:Dan Sperber, 2004, Agency, religion, and magic, Behavioral and Brain Sciences 27: 750–751.

*22:マイケル・ディラン・フォスター2017『日本妖怪考 百鬼夜行から水木しげるまで』、廣田龍平(訳)、p. 39。

*23:「魔と妖怪」、p. 346。

*24:cf. Viveiros de Castro, 1992, From the enemy’s point of view, p. 29; G.E.R. Lloyd, 2011, Humanity between gods and beasts? ontologies in question, Journal of the Royal Anthropological Institute (new series), 17 (4): 829–845.