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妖怪と、人類学的な雑記

筑波大学の廣田龍平です。被災地研究・妖怪研究を人類学・民俗学的な方向からやっています。

日本怪異妖怪大事典「廣田龍平」担当項目の補遺4/5 日和坊、ひるま坊主、風来ミサキ、袋下げ、鳳凰、棒振り、頬撫で、ほご釣り、法螺貝、枕小僧、ミサキ風、三つ目入道、ミミズ、宮ホウホウ、ムササビ

この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。

46. ひよりぼう【日和坊】p. 479-80「常陸の国の深山にいるという妖怪」。○
この項目には意図的に事例を入れていない。現在までのところ石燕の妖怪画集(1779)以外に出典が確認できないからである。村上事典でも「絵や彫刻のみのもの」に分類されている。編者先生も創作だということはわかっていたらしいが、そういう風に説明してくれとまではいってくれなかった…。
二段落目以降の情報は、まず大久保忠国、木下和子編(1991)『江戸語辞典』によるもの(p. 1115)。日和坊のほうは

ヲヽうれし/よみ返つたる日和坊

日和坊主は

大阪俗、連日霜雨不㆑止、則女児剪㆑紙製㆓偶人㆒繋㆓屋下㆒、使㆓㆑之禱㆒㆑霽。名曰㆓祈晴僧㆒

長崎の事例は『綜合日本民俗語彙』p. 1336の「日和坊主」からたどっていったもの。
とはいえ問題なのは、どちらも石燕より半世紀以上あとの事例だということ。もう少し前の(18世紀半ばくらいの)事例はないものか。

47. ひるまぼうず【ヒルマ坊主】p. 480「河童やシバテンの同類で、道を通る人に相撲を挑む妖怪」。○
DBカードは二つだけで、片方を説明文に、片方を事例に振り分けた。特にいうことはない。

48. ふうらいみさき【風来御崎】p. 483-4「水死した迷い仏や無縁仏、または妊娠中絶や交通事故などによって死んだため成仏できない、さまよえる霊のこと」。○
初校の段階では漢字表記は事例1に基づいた「風来霊」だったがミサキは「御崎」で統一されたようだ。事例2はDB以外から追加。分布は備讃文化圏ということになるだろうか。

色々な人がフウライミサキになるという。事例1の元資料によると、「妊娠中絶や交通事故死」による霊がなるという。ほかにDBカードにあるものとしては、成人しても世帯を持たずに死んだ人がなる、無縁仏の霊、水死した迷い仏など(いずれも香川県)。

DBにない面白い話として、『牛窓町史』(1994), p. 883に、ぼやぼやしていると「フーライミサキのような」と言ったり、頼りない人のことを「あのフーライミサキが」と言ったりする、とある。「風来」という言葉のイメージだけが独り歩きしている感じ。なお、ここでは、人に憑依して災いをもたらす無縁仏のことをフーライミサキという。一人殺すと成仏できるという話もある。牛窓町は現・岡山県瀬戸内市

49. ふくろさげ【袋下げ】p. 485「白い袋や縄、ふんどしなどが木の上から下りてくる怪異」。○
いきなりだが一行目が悪かったかもしれない。この書き方だと、「袋下げ」という怪異によっていろんなものが下りてくるというふうに読めてしまう。失敗だった。

僕に与えられたDBカードは「上から人工物?が下りてくるマイナーな怪異」を意図したであろう雑多な事例群。
事例に4つあげたが、別名のところに挙がっている「すまぶくろ」を入れなかったところ、おそらく編集のほうでp. 317にごく簡単な説明が追加されていた。こういう編集作業はとてもありがたい(そのほか記名のない二行程度の説明項目は、いずれも、ほかの項目で名前だけ紹介されている怪異・妖怪について編集の先生方が書いたものと思われる)。DBで検索すれば書誌情報は出てくると思うので詳しくは書かない。しかし僕がこれを入れなかったのは、スマブクロは上から下りてくるというよりはノブスマのように顔に覆いかぶさってくる妖怪なので、「袋下げ」の仲間ではないだろうと判断したからである。DBカードには洋傘がぶらさがってくる話もあったが、こちらはヤカンヅルの事例4に回した。ジュウバコタタキ(重箱叩き?)は別名ジュウバコあるいはゴロチ。子供を脅かす系の妖怪であった。

「袋下げ」自体については、あまり周囲を掘り起こしても出て来なさそうな印象があるので、その後の長野の民俗誌などは調べていない。

50. ほうおう【鳳凰】p. 508「鳥類の王である霊鳥」。◎
ひそかに一番自信を持っているのがこの項目である。
怪物事典のたぐいに鳳凰が載ることはあれど、これだけ出現事例や民間信仰における伝承を集めたものはないはずだからだ。
そもそも、これまで鳳凰について行なわれてきたほとんどすべての説明は中国の文献に依拠しており、日本独自のものを探索していなかった。おそらく今後日本の鳳凰について書くときはこれが参照されることになるだろう……この事典に「鳳凰」の項目があることが知られていれば、の話だけど。実をいうと、初稿では事例2しか紹介せず、ごく普通の辞書的な説明文に字数を割いていた。そのあとたくさん見つけ、大幅に事例を増強した次第。

各事例の探索ルートは以下のとおり。

事例1は、鳳凰のように由緒正しそうなものを調べるときはまず見なければならない『故事類苑』「動物部十二 鳥五」(p. 991)に掲載されていた。全文は近代デジタルライブラリーで読める。今なら確実にUFOか宇宙人扱いされている事例だが「託宣」で解決したというのが江戸時代らしい話。何が「合理主義者」白石だよー。
何はともあれ『故事類苑』という基本書をチェックして鳳凰のことを書こうとした人がいなかったのが不思議である。

事例2は、むかしネット上で見つけた情報の裏を取った。

事例3はいろいろな郡誌を無目的に眺めていたら見つけた。
正直言うとかなり衝撃的だった。まさか鳳凰がそんな悪の権化だという解釈がなされていたとは! おそらく孤例だと思う。正確には次のようになっている。

正月六日恵比須の年請ひとて戎神七福神を祭り春の七草を取揃へ夜之を揃ふ、爼上には種々の物品をのせて「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、なづな七草コト〳〵ヤ〳〵(又七草揃つてやつぽつぽ」と囃し乍ら爼を打つ習あり。
昔鳳凰は毒鳥にて支那より日本に渡りて禍を降らすとて之を除かんがため行ふと傳ふ。

事例4も偶然見つけたもの。文献や知識人レベルではなくこのように民俗的なレベルで鳳凰が生きているのを知ったとき僕はまたまた驚いた。

というわけで、事例の発見はかなり偶然に依拠しているわけで、もしかするとまだまだ自治体史誌や民俗報告書、随筆類に「鳳凰」のことが載っているかもしれない。とはいえ、おそらくこれまではそのようなところに鳳凰の出現事例などがあるとさえ考えられていなかっただろうから、やはり、自分でいうのもなんだが、この項目には価値があると思う。

もう一つ、事例には入れなかったが説明文に書いたものとして、鳳凰の出現事例という点では寺社縁起にもあることを初めて知った。このことについては、縁起に詳しい人なら何をいまさらと言ったところだろうが、それを妖怪あるいは幻鳥としての鳳凰の解説に結びつけたのもたぶんこの項目が初めて。詳細は書かなかったので、ここに引用しておく。
鉢峰神社のものは『泉州志』(1700)にある。原漢文。

縁起に云く、人王十一代埀仁天皇八年、天照太神、鳳凰と化てこの襲峰に降る。【割注 或は云く、小倉峯。或は云く、上野峯】埀仁の皇子登り臨めてその化跡を禮祭たまふ。故に神の觶と曰ふ。……余按に、当山は陶の邑に近し。疑くは大巳貴神、天の羽車大鷲に乘て、天降のこの地。『大日本地誌大系35 五畿内志・泉州志 第二巻』(1971), p. 359

今もこの縁起が伝わっているかどうかは調べていない。

羽賀寺のものは、下の鳳来寺のものも見つけたあとで念のためと思い手元にあった岩波の日本思想大系20『寺社縁起』(1975)をみたら、まさか、あったという偶然(積読ばかりなもので……)。『本浄山羽賀寺縁起』(1524)の冒頭である。

粤[ここ]に霊亀二年(716)丙辰、春二月、神鳥来儀しこの山頂に止れり。頡頏日あらば羽毛は五つに彩し、鳴けば律呂の声を加ふ。聞く者これに感じたり。共に到らば忘れんと欲する人いまだあらじ。これを聞くこと三日ありて冲天に去りぬ。人躋[のぼ]りて山の巓を見るに、その羽毛二枚を剰せり。その色は煉の紫金の如く、その赤きことは譬へる物なし。
時に東国の目代、挙げてこれを朝[みかど]に献ず。帝をこれを左右に示したまふ。検官敢へて名づくる者なし。勅して行基菩薩に問ひたまふ。行基曰はく、「これ鳳凰の翼の羽なり。鳳凰、世に出づれば、天が下に慶びあり。これ大平の幖幟なり。それ鳳凰の降る処、その地必ず玉を生ず」と。p. 70

鳳来寺のことは南方熊楠の何かを読んでいて教えられた。よく考えれば寺名はそのまんま「鳳凰が来た寺」なのだから、鳳凰が来たということが縁起に載っているはずだった。しかし由来には二つの違った伝説がある。まず、知るかぎり現存最古の縁起『鳳来寺興記』(1648)には次のようにある。

鳳来寺と云事、斉明天皇の比、利修百済國に渡りたまふ。皈朝の時鳳に乗り来玉ふ。又文武帝の時、仙人[=利修]参内する事あり。其時鳳に乗し嘯を吹て往来する故に、鳳来寺と云佳名を賜ふ。鳳に乗るか故に帝は鳥導仙人と召と云へり『三州鳳来寺文献集成』(1978), p. 3

ここだと、鳳来寺を開いた利修という仙人が鳳凰に乗っていたことからその名がついたということになっている。
もう一つの伝説は問題だ。なんといっても江戸時代最大の「偽書」、『先代旧事本紀大成経』(1679?)がどうも初出のようなのだ。しかしいま僕の手元には原文がないので、『三河鳳来寺略縁起』(1763; 中野猛編1997『略縁起集成』第3巻, p. 280=近藤恒次編1963『三河文献集成 近世編 上』p. 83)にあるものを孫引きしておく。漢文混じりなところは入力しにくいので適宜下している。

先代舊事本紀に云はく、推古天皇十年(602)壬戌 皇太子[=聖徳太子]三十一歳の御時閏十月、参河の國司もうす、本國桐生山に桐の樹あり、傳へ說く神代の樹なりと。……その西枝三十尋異鳥この枝に棲む。その長八咫餘、尾の長一丈餘、全身五色、金翠にして紅紫の光あり。……人いまだその名を知らず。一日偶三尾を落す。このゆへにこれを獻ず。……太子これを聞てすなはち奏して曰く、これ鳳の尾なり

つまり、羽賀寺と同じような現れ方だが、行基聖徳太子になっているだけということになる。
ただし、やや奇妙なことに、「鳳来寺」という名称自体は利修伝説によるものだとも書いてある(中野1997, p. 283=近藤1963, p.85)。
ざっと調べたところ、『鳳来寺略記』(1660以降)、『鳳来寺由緒書』(1704以前)は利修型、『鳳来寺聞書』(1706)、『鳳来寺略縁起』(1763)は大成経型である。また縁起ではないが『東海道名所図会』(1797)第三にも鳳来寺のことがあり(熊楠が引いていたのは確かこれ)、大成経の伝説が紹介されているが、利修の名には触れているのに、彼が鳳凰に乗っていたということは書かれていない(『大日本名所圖會 第一輯七編 東海道名所圖會』1920, p. 422-3)。
大成経が伝説をどこから引っ張ってきたかはわからないが、18世紀以降は主流になっているようにも思える。

羽賀寺の縁起を偶然発見したことから推測できるように、ほかにも鳳凰が出現したことを由来とする寺社はあると思うが、まだ探していない。とはいえスタート地点としてはこれで十分だと思う。

ところで、鳳凰に関する何かの論文に書かれていたが、鳳凰は本来仏教とは関係ないのに、日本では平等院鳳凰堂に代表されるように、仏教とつながりが深い。こうした縁起物もその一例である。なぜだろうか。
余談だが、与えられたDBカードは、この事典では「だいこくさま」の事例2に紹介されていた(p. 331)。ここでは秋田の某所で起きたことであるかのように記述されているが、実際は歌のなかで詠まれるもので、事例としてはあまり適切ではない。

2014年6月追記:かなり珍しい事例として、『幸安仙界物語』第三巻(友芿歡眞編1939『幽冥界硏究資料 第一巻』山雅房[近代デジタルライブラリーで見ることのできる同名書の増補版で、第三巻は1939年版にしか入っていない])では、幽界の序列として13番目に「鳳凰」が挙げられている。また、「ナカナキトリ」(ながなきどり)という読みが与えられている(pp. 296-7)。この「ナカナキドリ」は、神代の「常世の長鳴鷄」のことで、鳥の長であるという(p. 304)。『幸安仙界物語』は『幽界物語』とも呼ばれ、有名な『仙境異聞』と同じように幽界に旅立った少年との問答が記されている文書。いまいち文献の性質がわからない(どこまで現実の信仰によるのか、どの程度フィクションなのか、どれくらいが事実としてどういう共同体や個人に受け入れられ・排除され・無視されたのか)ので何とも言いがたい。未読だが三ツ松誠(2012)「嘉永期の気吹舎 平田銕胤と「幽界物語」」『日本史研究』596, pp.1-24という論文にそのあたりが述べられているようだ。中国の伝統的な霊的存在を記紀神話に取り込もうとした1つの例と言えるか。

51. ぼうふり【棒振り】p. 509-10「高知県の山道で、棒または手杵を振るような音を立てながら通るという妖怪」。○
事例1と2は、書誌情報からわかるとおり、同一論文(かの有名な「土佐の山村の「妖物と怪異」」)。ただし地域が違う。僕は「妖怪」と書いたが、原文には「怪異」とある。
ところで音のことを原文は「ビコービコー」と書いており、この論文を採録した『土佐民俗記』(1948)や『怪異の民俗学2 妖怪』2000, p. 336もそのままだ。しかし明らかに奇妙である。いくら妖怪といっても、棒をふる音がビコービコーはおかしい。ということで、僕はこれを「ビユービユー」の誤植であると判断し、事典では「ビュービュー」と書いた。たぶん問題ないと思うが、もしかしたら本当に「ビコービコー」だったかもしれない。

52. ほおなで【頬撫で】p. 511「夜間など人のあまりいないときに道を歩いていると、不意にその人の頬を撫でる怪異」。◎
水木しげるの印象的な妖怪画を思い出す人も多いだろう。今野圓輔『日本怪談集 妖怪編』にも項目がたてられている(現代教養文庫版p. 35-6)。そこでは『道志七里』(1953)が文献に挙げられていて(事例2)、頬撫で(ここでの表記は「ほうなで」)は山梨県の妖怪だということになっているが、事例にあるとおり、意外と分布は広い。
DBに載っているのはおもに東京都檜原村の事例(事例1)。面白いのは、正体は単なる植物だったが、人々の恐怖の念を吸っていたので、切り捨てると血を流したという、二段階の怪異譚になっているということである。

事例4は「頬撫で」で検索して発見し、急きょ追加した。

事例5は、図書館の棚から民俗誌を何気なくとってみたら偶然見つけた(こういうことが本当に多い)。びっくりである。「頬撫で」の分布は、このぶんだともう少し地道に調べていってみれば広がりそうな気がする。

9/2追記:『甲州秋山の民俗』(1974), p. 89にも「夜淋しい所を通ると、ホオナゼ(頬撫で)というお化けが出る」という記述を確認(地域は山梨県南都留郡秋山村(現・上野原市)寺下・尾崎)。探してみるとDBにはあるがDBカードにはなかった。こうした見落としもあるらしい。

この妖怪は表記ゆれがひどい。多摩のは「ホウナデ」「ほおなでのバケモノ」「ほおなで」「ほうなで」、道志村のは「ほうなで」、忍野村のは「ほうなぜ」、埼玉のは「フウナゼ」、群馬のは「ホオナデ」。


2014年3月追記:『北安曇郡觶土誌稿 第二輯 口碑傳說篇 第二册』(1930)に、会染村(現・池田町)に、廃寺へと通じる道があり、「大樹が未知の兩側に並んでゐて、眞暗な晩などは顏なぜといふ怪物がそつと人の頰を不氣味に撫でたものだ」と紹介されている(p. 88)。
倉石忠彦「真宗の妖怪」『自然と文化』1984年秋号(p. 56)にも「カオナゼ」が紹介されていて、おそらく『北安曇郡觶土誌稿』の記述を参考にしたのだと思われるが「冷たい手で通る人の顔をなぜる」と微妙に脚色されている(この脚色は村上健司『妖怪事典』p. 96やWikipediaにも受け継がれている)。
名称こそ違うが、経験される現象自体はほぼ同じである。

妖怪・怪異の固有名は出てこないが、『松井田町の民俗 坂本・入山地区』(1967), p. 113には「ススキ」と題して次のような話が語られている。松井田町は現・群馬県安中市

ずっと昔のことだが、赤坂の下の方の道で、村の人が夜そこを通るたびに通った人の誰もが「ぞおう」として気持が悪くなってしまっておっかなかったが、ある人が勇気を出してその辺のすすきを刈りとったら変な気になる人がいなくなった。すすきの穂が首のところをなでる(なぜる)ようになっていたわけだった。

これなど「怪異の発生一歩前」の事例として、ほかの「ホオナデ」の事例と比較すると面白いと思う。

53. ほごつり【ホゴ釣り】p. 512「愛媛県重信町で、夜、道を歩いていると上からホゴが下りてくるという怪異」。●
これは悔しい。
伊予の松山狸スポットというページで見つけた「ほごつり狸」の出典を締切までに見つけられなかった。
愛媛の狸を網羅している玉井葵(2004)『伊予の狸話』にもなかったのでよほどマイナーなのだろうと思いあきらめていたが、最近、改めてネットを検索してみると、愛媛県史オンライン版がヒットした。それを参考に紙版も見てみると『愛媛県史 民俗上』(1983)のp. 823に「松山市南久米のホゴツリ狸もよく人をばかしたということで有名である」と書かれている。有名なのかよ! 『伊予の狸話』にもないのに⁉ と思わず突っ込んでしまったがどうしようもない。
県史だからDBにも収められているはずなのだが、この箇所はDB入力者が狸勢力の妨害を受けたらしくホゴツリ狸の名称が入っていない……。

なお『重信のむかし話』(1983, ここで読める)にも「ほごつり」があるが(p. 105-6)、物語以外の記述はほとんど『重信町誌』(事例1)とかぶっている。

事例1はDBの引用の出典を調べたもの、2はDBにあるもの。

森正史(1967)『えひめ昔ばなし』に、山野の路傍に現れる妖怪として「ホゴツリ」が挙げられているが、伝承地の詳細を含め、説明はされていない。文献初出はこれかも。

54. ほらがい【法螺貝】p. 514「山の中から大きな音とともに巨大な法螺貝が現われて抜け出て、それに伴って激しい風雨や洪水、土砂崩れが起こった、という伝承が江戸期から知られている」。○
別称のところに「出世螺」を入れておいたのだが、編集側が削除してしまった。『絵本百物語』は出典として認められないということなのかもしれない。

事例1と3はDBにあるもの。2は村上事典にあるものを流用した。先行する事典の記述に追随する、これこそ妖怪学の伝統である(あんまし意味ない)。このほか、あちこちに蛇抜け系(本事典p. 287)の法螺貝伝説がある。
4は洪水などとは無関係だが、同じく土中に埋まっているということで、そんな法螺貝がいるわけないので載せた。この伝承は柳田國男『山島民譚集』に教えられた。

こうした法螺貝の怪異については齋藤純2006「法螺貝あらわる」『日本人の異界観』がある。最近は「災害伝承」の一環として少し注目されているかもしれない。

55. まくらこぞう【枕小僧】p. 516「夜中、人が寝静まっているときに現れる、子供の姿をした妖怪」。○
枕返しでも座敷小僧でもない、なにか中途半端な妖怪名。

事例1はDBにあるもの。
事例2は村上事典に教えられた。片方は香川で片方は静岡だから、おそらく独立して同じような名前が付けられたのだと思う。
説明の最後の一文の出典だが、事例2自体は柳田國男佐々木喜善に送った手紙に書かれていたようで、そこで柳田自身はザシキコゾウの類例のような感じで書いている。
また佐々木は事例2の出典である『遠野のザシキワラシとオシラサマ』で、ザシキワラシの「奥州以外の諸国の話例」としてマクラコゾウを載せている。
もう少し事例の地域の文献を探したら、未発見のものが見つかるかもしれない。

56. みさきかぜ【御崎風】p. 527「悪い風で、あたると病気になったり死んだりする」。●
「いきあい」「かぜ」の項目を参照……と言いたいところ。
ミサキカゼの場合、とくに不慮の死を遂げた人々の死霊という点が強調されるので、面倒臭い神様の仕業ではないという点でやや差別化できるかもしれない。ミサキカゼについては事例1で山口のものを挙げたがDBカードにはほかに宮崎のものがあった。ハーフ項目なので贅沢できなかった。

ハカゼについては高知県のものがDBにあり、ハカゼに当たったときの呪文も紹介されている。ハカゼの「ハ」の意味は不明。
この地方の文献を探ればそれなりにミサキカゼやハカゼの話は出てくるだろうが、やっていない。『綜合日本民俗語彙』には岩手のハカゼの事例もあるようだが未調査。
9/3追記:『語彙』p. 1207には「山村手帖」を出典として「ハカゼニアウ」という項目がある。歴博民俗語彙データベース(『語彙』を収録している)を見てみると出典に『山村生活の研究』とあったが未見。
2014年12月追記:昭和10年度(1935)の『山村採集手帖』、岩手県九戸郡山形村のところに「藭様の遊んで居られる所へ行くと、ハカゼに打たれて倒される」「藭様の遊んで居る所へ出会って、ハカゼに会ったなどといふ」とある。これが『語彙』の大元だと思われる。

57. みつめにゅうどう【三つ目入道】p. 530「目が三つある妖怪」。○
シンプルな、説明以前の単純な記述ですが、与えられたDBカードの妖怪は「三つの目玉がある」という点以外に(説明に書いたように)共通点がなく、要するに僕はこの項目について説明するのを放棄してしまった。

最後の一文はやや否定的な調子で書いたが、特に意図があるわけではない。アダム・カバットが指摘するように、三つ目入道は見越し入道と並んで黄表紙の化け物のリーダー的存在だったのだ(『江戸滑稽化物尽くし』2011, p. 79)。
とはいえ見越し入道と違って伝承にも豊富な事例があるわけでもないということで、その「民間伝承的な」前史には大きな差がついている。そして「民間伝承」を重視する本事典ではその差がくっきりと浮き出てしまったわけだ(「みこしにゅうどう」の項目はカバットによるものである)。

58. みみず【蚯蚓】p. 531環形動物の一種。○
これもまた普通の事典のような出だしの書き方である。
ミミズといえば小便をかけたら云々というのが俗信として有名だが、それが怪異や妖怪に直結するわけではない。事例はどちらとも自分で探してきたものである。
DBカードには『和漢三才図会』からの孫引きがあり、これを紹介してもよかったのだが、結局省略した。東洋文庫版の現代語訳をここに引用しておく。
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深山の中には一丈余もある大蚓がいる。近頃、丹波柏原の遠坂村で大風雨の後、山が崩れて、大蚯蚓二頭が出てきた。一つは一丈五尺、一つは九尺五寸あり、人は奇物といっている。『和漢三才図会 7』p. 404