鎌鼬=真空説の初出

 鎌鼬の正体が真空であるという説の初出はいつか?

 今年の夏に出た別冊宝島の『日本の妖怪』(小松和彦・飯倉義之監修)では「昭和初期」と書かれている(p.70)。飯倉義之さんの2010年の論文「鎌鼬存疑」(『妖怪文化の伝統と創造』所収)では、井上円了の『妖怪学講義』(1896)においてすでに「常識的な<科学>知識となっていたこと」が指摘されている。Wikipedia日本語版では単に「近代」と書かれている。
円了以前だと思われるが、今のところわからないというのが現状だと思う。

 というわけで、少し前に調べたのだが、どうも初出は福沢諭吉が1868年に出版した『訓蒙 窮理図解』という西洋科学啓蒙書らしい。この本の第1章で彼は「空気」を取り上げ、基本的な性質を説明した後、気圧についての解説を始める。
 福沢はまず、手のひらを茶碗の底の糸切部分に押し付けると、そこの「空気なくなるゆえ、外の空気はこゝに入込まんとすれども道なく、由てその力にて茶碗を手に押付け」る、という、誰でもすぐに実験できる例を示す。ここで注目すべきは、「空気なくなる」として「真空」の概念が援用されている点だ 。ついで福沢は戦場での話に移る。時折、銃弾が当たらなかったのに怪我をすることがある。それは、銃弾が皮膚をかすめると、「その勢にて膚の際の空気を払い、これがため体内の空気張出して膚を破る」からである(『福沢諭吉著作集』第2巻、p.23)。その次に福沢が挙げるのが鎌鼬だ。
 「又深山を往来するとき、何の原因もなく膚の破れて大怪我することあり。これを鎌鼬と唱う。古よりその理を知らざるゆえ、無智の下民等はこれを妖怪の仕業などゝいうなれども、その実は矢張り空気の所為なるべし」。
 というわけで、前後の文脈からすると、これが「真空説」の初出ではないかと思われる。
 ただ、旋風という要素はまだない。これについては既に目星がついているが、そのことについては、また今度。また、福沢の説が確実に彼のオリジナルであろう根拠も何となくわかっているが、それもまた今度。

 ところで、現在岩手県南部の某市にいるのだけど、地元の年輩の方にカマイタチの話をすると、真空説だけではなく、雷に驚いて転んだときに出来る鎌状の跡という人もおり、面白いところでは「カマキリの大きいの」という人もいた。諸説紛々で楽しい。自分ではないがカマイタチに「かけられた」人を知っている、という人も多い。

 追記:カマイタチ真空説について一部勘違いされている方もいそうですが、真空説は提唱当時はまっとうな科学的仮説として受容されていまして、疑似科学とみなされたことは滅多になかったことを言っておきます。なにせ、あの井上円了が、自分で説明するまでもないとして受け入れたぐらいですからね。
 また、カマイタチは本当は何なのか、という件についてですが、カマイタチというのは色々言われますがその本質は「原因不明の切創」なので、原因は1つではなく複数考えられます。あかぎれ、興奮状態で傷ついたので気づかなかった、強風で飛んできた小石のせい、正直に言いたくない切創についての言い訳などなど、いずれもありうると思われます。

妖怪論文が掲載されました・ウェブ上に公開しました

すでに2か月前の話になりますが、『現代民俗学研究』という雑誌の第6号に僕の論文が載りました。
タイトルは「妖怪の、一つではない複数の存在論―妖怪研究における存在論的前提についての批判的検討―」で、113-128ページに掲載されています。
冒頭の英文要旨を翻訳したものは次のようになります。

 本稿は、近代の民俗学的妖怪研究が前提としてきた存在論的コミットメントを批判的に検討する。学術的な妖怪研究者は、妖怪は超自然的存在であり、妖怪は一般的には実在しない、と想定している。しかし、近代的な研究者のもつ存在論的枠組みを共有しない人々の世界を研究するときの、これらの前提の妥当性は、これまで妖怪研究においてほとんど関心をもたれてこなかった。本稿は、妖怪研究において主流の言説や理論を批判的に検討することにより、研究者が、妖怪を受け入れ共存する人々のパースペクティヴを把握しそこねていたということを指摘する。
 なぜ妖怪研究はこの存在論的コミットメントを前提としてきたのか? そこには、江戸後期から続く歴史的プロセスがあった。 知識人や都市住民らは、徐々に、今で言う「妖怪」が超自然的であり実在しない、と想定するようになっていったのである。19世紀初頭、妖怪の実在性を確保しようとした一部の学者たちは、日本における近代的科学的経験主義の勃興に対して、超自然的な領域を打ち立てようとしていた。さらに、妖怪の超自然性とされるものは、実在を認めない研究者によってもゆるやかに受け入れられていった。本稿はこのプロセスを認識論的切断として捉え、研究者は切断後に生み出された存在論的枠組みをとおしてのみ、さまざまな世界や存在論を理解することができる、と論じる。本稿は、人々が妖怪を受け入れる多様な諸世界を研究者が理解することを可能にする「多元的存在論」モデルを提案する。

ところで、改めて読んでみると、十分論じきれていないところがあったり、参考文献に追加したいものがあったり、後から訂正したい箇所が多く見つかったりしたので、個人的に改稿版を公開します。「妖怪の、一つではない複数の存在論 改稿」です(リンク先はGoogle drive)。雑誌に載ったオリジナルバージョンは、そのうち公式にウェブ上に公開されるそうです。
形式としては、本文や文末脚注はオリジナルのままで(ただし編集部が書式を変更した点は反映されていません)、ページ末脚注に追加した分を載せています。あれこれ雑多に書いた結果、本文よりも長くなってしまいました!!(笑)
注意事項として言っておくと、改稿版に記載された内容は基本的に査読を経ていないうえに、あまり考え抜かれていないので、書かれている内容についての責任は持ちますが、無許可での引用・参照は禁じます。また、予告なく文章が改変されることもあります(すでに1回、大幅に書き直しています)。どうしても引用・参照したい場合は、何らかの手段で僕に連絡をください。ブログのコメント欄でもツイッターへのリプライでもかまいません。

「びしゃがつく」の出典

まえおき
柳田国男『妖怪談義』の「妖怪名彙」には、後に有名になる多くの妖怪が掲載されているが、柳田はそれぞれの妖怪のデータが何に由来するのか、必ずしも明記しなかった。小松和彦はこの点を問題視し、出典を明らかにしていくことによって柳田がどのように元データを操作して「妖怪名彙」に収めたのかを解きほぐそうとした。
……詳細は、「googleで見つかる白坊主の出典」の最初のほうの繰り返しになるので、そちらを読んでください。

さて、「妖怪名彙」の250ページ(ここでは『新訂 妖怪談義』版を使う)には「ビシャガツク」という妖怪が紹介されている。

ビシャガツク 越前阪井郡では冬の霙雪の降る夜路を行くと、背後からびしゃびしゃと足音が聴えることがあるという。それをビシャがつくといっている。

(「阪井」はママ)
小松はこの記述への注釈に「柳田は、伝承地域として越前坂井を挙げるに留めて、出典・情報源を明記していない」とだけ書いている(p.277)。

越前坂井とは今(少し前)でいう福井県坂井郡のことである。ところで、「妖怪名彙」にはもう一つ、坂井郡の妖怪として「ミノムシ」が挙げられている。その出典は「南越民俗二」で(p.258)、これは書誌情報が明らかなので、小松も「『南越民俗』(第二号、南越民俗発行所、一九三七年)の「断片資料報告――狐狸妖怪談」(無署名)に」あることを指摘して、全文を引用している。
このことからは、柳田が妖怪を収集する範囲に『南越民俗』があったこと、『南越民俗』は妖怪を意識的に採集していること、この二つが自明である。
しかし、『南越民俗』は「怪異・妖怪伝承データベース」の収集範囲にも入っているのに、「ミノムシ」で検索してもこの文献が出てこない。それでも粘り強く探してみると、「狸」という妖怪名で収録されているこのカードが実は柳田が「ミノムシ」の項で紹介したものだということがわかる。そこで実際に原資料に当たってみると、「みの虫」とゴシックではっきり書かれている。どうやらデータ入力者は「みの虫」を怪異・妖怪の呼称とは思わなかったらしい。さらに「暗いところや大工は騙されない」と要約文にはあるが、これも原文では「電氣のある明るい處ではつかれない、又大工や石屋はつかれない」であり、「暗いところ」は「明るいところ」の間違いだと思われる。
このように膨大なデータ入力を手作業で行なっているとどうしても入力ミスや見落としというものが生じてしまう。そのようなわけで、もう少し地道に『南越民俗』を読んでみた。

1937年の第3号には、これも無署名の「松岡附近の傳承」という1ページの短い報告がある(p.32)。伝説や民間療法、呪術的風習、方言などが紹介されているのだが、そこに次のような記述がある。

△ビシヤガツク 冬季、霙の雪が降つた夜、道を行くと昔後からビシヤ〳〵足音が聞える、これはビシヤガツクと云はれる。
……
(以上 島田和三郎談)

(「昔後」はママ、おそらく正しくは「背後」)
というわけで、ほぼ、これが柳田の「妖怪名彙」の出典と見ていいだろう。報告者?の島田和三郎について詳しいことは知らないが、1951年に『奥の細道と松岡』を出版したらしく、1978年には『島田和三郎翁展』なるものも出ているから、郷土史家か地元の名士のようである。さらに1953年には『若越民俗』に火の怪異について報告してもいるらしい(この怪談は、「松岡附近の傳承」にも似たようなものが載っている)。
柳田はこれを「越前坂井郡」の伝承としているが、松岡といえば福井県吉田郡にあるのだから、「坂井郡」は間違いである(たぶん)。それだけではない。(「ビシャガツク」全体が妖怪の種目名になってしまったという後の問題はさておき)この報告を読んで、これは妖怪だ!と思う人がどれだけいるだろうか。素直に読むと、この記事は冬の夜に発生する聴覚現象を表現するときのイディオムである。確かに自分が立てるビシャビシャという足音のほかに、暗くて見えないところでビシャビシャと聞えるのは気分がいいものではないかもしれない。しかしその先の解釈はいろいろありうる。超常的存在のオカルト的な現象だ!と恐れることもできるし(それなら妖怪だ)、自分の足音がエコーしていると思うかもしれないし、溶けかけの雪でもろくなった足跡がつぶれる音と思うかもしれない。タヌキが後をつけているのかもしれない(これなら妖怪か?それとも動物の習性か?)。いずれにせよ、ここにそういった類の解釈は書かれていない。あるのは、ちょっと奇妙な聴覚現象を描写するときの、興味深い方言のイディオム、それだけである。柳田が「妖怪名彙」に入れてビシャガツクは妖怪になったが、そうでなければ一方言に収まっていたかもしれない。さらに先ほど少し触れたが、「ビシャガツク」自体が後に妖怪の名称として独り歩きしてしまった。「ビシャ」が「つく」現象なのにである。だからといって、それなら「ビシャ」を行為主体に据えればいいかというと、そうとも言えない。「ビシャガツク」というイディオム全体でしか意味をなさなかったかもしれないからである。
この事例は「怪異・妖怪データベース」からは漏れてしまっている。おそらくデータ入力者は妖怪「ビシャガツク」を知らなかったので見逃してしまったのだろう。これは完全な憶測だが、「妖怪名彙」以降の先入観がなかったかもしれない入力者は、この記事だけをみても妖怪や怪異とは思わなかったのかもしれない。
というわけで、「かもしれない」ばかりの感想になってしまったが、出典は『南越民俗』でした。