日本怪異妖怪大事典「廣田龍平」担当項目の補遺5/5 もうみ、モグラ、門助婆、問答石、やかん転がし、やかんづる、やざいどん、山あらし、山芋鰻、山猫、山ミサキ、ヤモリ、雪降り入道、雪ん坊、笑い女

この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。

61. もうみp. 545「青森県八甲田山岩木山に住んでいるとされた、恐ろしい化け物」。○
『あしなか』の記事に情報があっただけで、そのほかの文献にあるかどうか定かではない。語源もよくわからない。

62. もぐら「土竜」p. 546「土中に穴を掘って棲む哺乳類の一種」。○
また動物項目。ほとんど妖怪伝承はないようだ。DBカードにあるもの二つをそのまま事例にした。他には「せんねんもぐら」があるが、別に立項されていたので(p. 325)、言及しなかった。この項目について特にいうことはない。

63. もんすけばばあ【門助婆】p. 549「何らかの理由で神隠しにあった女が山姥のようになり風と共に帰ってくるという遠野の伝説」。○
ハーフ項目指定だったのに、こっそり小項目の字数制限で書いたが、何も言われなかった。
説明に書いたとおり「寒戸の婆」の原型というか類話とみなされる、という点は、岩本由輝(1996)「サムトの婆々と佐々木喜善」『東北民俗』30, p. 1-8などで指摘されているものである。
また、事例1は伊能嘉矩によるもので、事例2は佐々木によるものという違いがある。DBに引用されているが、岩本論文によると『遠野町古蹟残映』(1992)にも伊能が記録した「門助ばゝあ」の話が載っているという。

さて、1の地名は「遠野市」、2は「遠野町」になっているが、これは文献が出版された時点での地名というだけの違いであり、本来は1も「遠野町」のころの伝承だったのだろう。

64. もんどういし【問答石】p. 550「音を発する石の怪異の一つ」。○
特殊なかたちで音を反響させる石の話がまとめてDBカードで与えられた。
この手の石の伝説は『日本伝説名彙』のp. 114-6にたくさん掲載されているのでそれを参考にしたが、DBカードにもそれなりに多くの事例があったので、事例はすべてそこから採った。

村上事典には「呼ばわり石」だけ載っている。前にも書いたが、基本的に村上事典は石の怪異をほとんど採用していないようである。ただしこの「呼ばわり石」は観音さまがこの石の上に立って叫んだ、その足跡が残っていた……という話であって、石自体が怪異というか奇瑞霊験をなすものではなく、その意味で本項目とは多少異なっている。さらに言うと、正確には「人呼はり石」である(『靜岡縣駿東郡誌』1917, p. 995)。

なお、呼石や鸚鵡石という呼称のほうが多く、「問答石」というのは一般的ではない。

ところで、問答石やヨバリ石のように違った音を返すなら怪異かもしれないが、同じ音を返す鸚鵡石の場合、これは「怪異」なのだろうかという疑問もわく。単なる反響現象じゃないのだろうか。

65. やかんころがし【薬缶転がし】p. 552「人通りの少ない道や、夜中の道中に、薬缶が気味の悪い音を立てながら転がってくる怪異、または薬缶を転がす妖怪のこと」。○
柳田の「妖怪名彙」に薬缶坂が紹介されているので有名だろうか。
なぜ「薬缶」なのかという疑問について、狐の別称「野干」と関係あるのではないかという話もあるが、鑵子になっている話も多いので、一概には言えないと思う。

事例はいずれもDBから採った。

説明文について「提灯の火を消す」というのは新潟県の話で、DBにあり、「ヤカンコロガシのしわざと聞いたが、実際はイタチらしい」とある。もはや薬缶とは何の関係もない。
「人の姿をして現れる」も同じで、「これは、イタチのしわざで、ヤカンコロガシ」という。実際に薬缶を転がす名の知れた妖怪がいて、それがイタチの仕業ということになり、次いでイタチの仕業とされた別の現象も、ならばヤカンコロガシのことだろう、ということにでもなったのだろうか。

字数に余裕があれば載せたかったのだが、野草の名前に「ヤカンコロガシ」というものがあり、

それを踏んで歩ぐとサランサランて音がして、その音がしると、ほら君達ヤカンコロガシが出るぞ、なんてって怖がったんだっけがのう。その草のことをヤカンコロガシてったんだでェ

とある。この草はコシノカンアオイのことらしい(『高志路』247 [1977], p. 16; DBにあり)。
前の段落のでは妖怪の名称がイタチを介して一般化されたが、こちらでは妖怪の名称がそれの兆しとなる普通の草にまで伝播している。妖怪名の発生について考えるのによい事例だと思う。
「水甕」の話はDBにある大分県の「ハンド転がし」のこと。そういう音がするという。無害らしい。

事例に載せなかったがDBによると神奈川にもカンスコロバシが出るという。これは「カラカラカラッ」と音を出すもの。
山口県福栄村(現・萩市)には「かんすころげ」が出る(詳細不明、DBにあり)。
また『小野田市史 補遺篇』(1963)によると、決まった場所に「かんすころげ」が出るという(p. 228)。小野田市は現・山口県山陽小野田市

『現行全國妖怪辭典』にも「カンスコロガシ」「カンスコロゲ」があり(p. 17)、山口県厚狭郡の伝承らしく、鑵子または人の首(!)が転がってくるという。厚狭郡は現・山陽小野田市などなので、近い伝承かもしれない。
『日本妖怪変化語彙』には、カンスコロゲが転げてくるときに腰が抜けると足萎えになるという山口の話が載っているが、出典不明(中公文庫版p. 255)。
またカベヌリのときも出てきた丸山学の『民俗えっせい』(1969)にはカンスコロビも紹介されていて、「親のいいつけをきかない子がいるとカンカンと竹の幹に突当たる音をさせながらころんで来て、子どもの頭をかむ。ヤカンコロビともいう」とある(p. 56)。相変わらず伝承地は不明だが、九州北部、ということになるだろうか。「ぬりかべ」のときも紹介したが、メタセシスで「かんころすけ」と伝わっている地域もあるらしい。

9/3追記:『長谷村の民俗』(1971), p. 54に、シンプルに「溝口上城の堂の前の急な坂に「ヤカンコロバシ」が出たそうである」とだけ書かれている(長野県上伊那郡長谷村、現・伊那市)。

2014年3月追記:『益城町史 史料・民俗編』(1989)に、「鉄瓶コロガシ」が紹介されている。ある切通しに「ゴマの蝿」が出たり、鉄瓶コロガシが出たりしたのだという。詳細は不明である(p. 155)。益城町熊本県

66. やかんづる【薬缶ヅル】p. 552「夜中に森を歩いていると木の上から薬缶が下りてくる怪異」。●
連続して僕の執筆項目。「薬缶吊る」だろうか。
これも柳田の「妖怪名彙」に載っている上に水木しげる斜め上を行くヴィジュアル化をしたせいで比較的有名だが、もともと二行しか情報がないので、与えられたDBカードには、他にいろいろと下がってくる怪異も含まれていた。
さて柳田はヤカンヅルの出典として「長野附近俗信集」というものを挙げているが、これは結局入手できなかった。小松和彦も『新訂 妖怪談義』(2013)の注釈で簡単な書誌情報にたどりついたものの「所蔵先不明」としている(p. 282)。非常に残念である。
しかしこう考えてみると、柳田が「妖怪名彙」に載せなければもしかすると永遠にヤカンヅルについての情報は失われてしまっていたかもしれないということになる。

説明文で「鼬の仕業」とあるのは、DBにあるもので、赤茶釜がぶら下がっているという新潟での話。
「土瓶」もDBにあるもので、京都の話。「手をのべてつかもうとすると、どびんはすっと消えてしまったそうな」。
鍋のフタもDBにあり、宮崎の話。

いずれも無害っぽいが、そういうのが人間生活とあまり関係のないところにあるというだけで怖れられていた。

67. やざいどんp. 555「薮神の一種」。●
DBにある元文献は井之口章次による報告である。
伝承地は中津良村堤(現・平戸市堤?)だと書いてあるが、軽く地方史誌を調べてみたものの、「ヤザイドン」についての情報はなかった。

68. やまあらし【山あらし】p. 562「山に出る妖怪」。○
説明文の冒頭がシンプルすぎる気もするが、同名でありながらかなり異なった伝承が多いため、こうせざるを得なかった。
妖怪絵巻の「山あらし」は、事例に入れるのは無理なので説明のところにいれておいた。

DBカードから採った事例は3のみ。この地方では雹のことをアラシといい、雹除けのお札を竹などにさして畑などに立てるという風習があるのだが、その起源譚として事例3の物語が語られているらしい。

DBカードにはなぜか『民間傳承』4.3 (1938), p. 4にある「ヤマアラシ」が入っていなかったが、DB自体にはある。「俗信」とあるから事典資料としては除外されたのだろう。これを事例2に入れた。
事例2に類似した広島の伝承が『民間傳承』16.2 (1952), p. 34-5にあるので引用する。

牛が仕事をしている時、肢がひよろひよろしてヘコル(挫く)ようになつたり、体を震わせたりして仕事をしなくなる。……これはアクマがついたのであり、イキアヒニ逢フタとも魔ノ風にアフともいう。……アクマについては、猿のような毛物だとも言つているし、ヤマアラシの別名をシイといい、シイが毛を立てると牛が非常に怖れるから「お前の後にシイがいるぞ」という意味で「シイ シイ」と言つてやると、牛が前進すると傳えている。

これ、どうしたわけかDBに入っていない。

事例1は村上事典に教わったもの。

DBカードには三宅島の「ヤカジ」というものも混じっていたが載せなかった。原文を読んでもいまいちよく分からない存在で、「嵐のようだという」と形容されているが、これが動物のヤマアラシのことなのか、嵐のように風雨をもたらすのか、判断しかねる。


2014年3月追記:江戸中期の地誌『拾椎雑話』巻二十四「鳥獣(附録)」に、「飛彈国山中にこ玉と云獣あり、猿の類にて五六歳の童子のことく立てありくもの也。又他所にて山あらしともいふよし、わるさをいたすものなり」と紹介されている(法本義弘校訂『拾椎雑話・稚狭考』1974, p. 344)。「こ玉」は「木霊」のことだが、おそらく『和漢三才図会』に猿のような姿で描かれているのに影響されたものなのだろう。しかし山あらしを伝える「他所」がどこかは判然としない。

69. やまいもうなぎ【山芋鰻】p. 562-3「山芋が鰻に変化する怪異」。○
「山芋鰻」という妖怪名は文献に出てこない。この語の初出は現代だと思われる。とても便利だし誰でも連想しやすいとはいえ、山芋鰻を妖怪名として定着させていいのかどうか、悩むところではある。

DBカードもそれなりにあったが、事例はいずれもDB以外から採ってきた。

事例1の『俗説正誤夜光璧』は馴染みのない文献だと思うが、1727年に書かれた通俗医学書で、田中聡(2007)『江戸の妖怪事件簿』p. 155-7で知った。他の随筆と違い18世紀前半の文献で、比較的詳細に書かれているため、ここで取り上げることにした。
事例2の『甲子夜話』(19世紀前半)は山芋→鰻ではなく鰻→山芋という事例だったので載せた。「かゝれば鰻魚も時として薯蕷に変ずることありやと」。
事例3は近代以降の事例として。湯本豪一(1999)『明治妖怪新聞』で確認した。

「山芋鰻」の初出は分からないが、『和漢三才図会』(1712)あたりだろうか。この文献ですでに「見た人は往往にある」とあるから、17世紀後半には広まっていたのだろう。
2014年6月追記:↑まったくの間違いだった。13世紀後半の成立になる事典『塵袋』第四に「蛇のウナギになるとも、ヤマノイモのウナギになるとも云ふ事あり」とあって、おそらくこれが初出(大西晴隆・木村紀子校注『塵袋1』2004, p.228)。

DBにあるものとして他に『閑田耕筆』(1801)、『三余叢談』(1822)、『中陵漫録』(1826)、『古今雑談思出草紙』(1840)。
DBにないものとしてさらに『譚海』一に「羽州くぼたの人、山のいもうなぎに化したるを所持せり、是も半は各其かたちを殘せりとぞ」とある(『譚海』1917, p. 6)。

「植物が魚に変ずるという伝承」は伊藤龍平(2010)『江戸幻獣博物誌』にいろいろ書かれている。

70. やまねこ【山猫】p. 570「大型の猫の妖怪」。○
また猫の妖怪だが、他意はない。
ヤマネコについては近藤祉秋(2012)「おっちゃん、それは化け猫に化かされとっだわ」『文化人類学』76.4, p. 463-74という論文があり、近藤さんは蛇についてはたくさんこの事典にも書いているのだから、この項目も担当してほしかった。というか、近藤さんがヤマネコについての研究発表をした学会で一度だけ直接会って話したとき、この事典の話題が出て、「僕ヤマネコ書くんですよね……」と話した覚えがある。

これもDBカードだけで28もあったので、事例はすべてそこから採った。

説明では島嶼部に伝承が多いと書いたが、もちろん他の地域にも多く伝えられている。「ばけねこ」と同一視されていることもあるようだ。
比較的古い事例は、DBにもあるが、『燕石雑志』(1811)の「八丈島に狐狸狢なければ山猫の人に憑ことありといふ」だろうか。
イリオモテヤマネコならぬUMAのイリオモテオオヤマネコについて載せる余裕はなかった。今思えば載せておけばよかった……。

71. やまみさき【山御崎】p. 574-5「山に出没する亡霊、または怪物のこと」。●
DBカードから採ったのは1。ハーフ項目だったということもあり、あまり力を入れて調べなかったが、村上事典によると瀬川清子の「相島日記」にも載っているらしい。(9/3追記:「相島日記(一)」『旅と傳說』11.10(1938), p. 23に「ヤマミサキ 死後行く處によう行けずに何にも食わずに難儀して風になつて迷つて歩いてゐる亡靈、それに行き當ると病氣になる」と書かれている(山口県萩市相島)。)

事例1についてもう少し詳しく書くと、崖から落ちて死んだり、難破して死んだりした者が、死後八日目までにヤマミサキになるという。

事例2の『綜合日本民俗語彙』には、出典は記していないがDBにあるものも引用されていて、鳥のように飛ぶと書かれているが、どうも原文を読むかぎり七人みさきのことのようである。七人みさきを山に入ってはヤマミサキと呼ぶ、と書いてはいるが、ヤマミサキ自体が鳥のように飛ぶとは書いていないようにも読める。

2014年6月追記:『綜合日本民俗語彙』の出典は、重本多喜津『長戸方言集』(1937)だった。
「ヤマミサキ 深山に出る怪物の名、其の形、人の生首落葉の上を車の如く轉ぶ、人其風に遇ふ時は大熱を發すといふ」(p. 75)。

また、DBにあるが、いざなぎ流における魔性のものの一つとして山ミサキが挙げられている。

文献初出と思われるものとして、『人狐辨惑談』(1818)に「和名人狐ト呼ヘカラズ、名正シカラザレバ人の惑トナル雲州ニハ山ミサキ又藪イタチト云モノヽヨシ御觸アリシトナリ」とある(『日本庶民生活史料集成 第七巻 飢饉・悪疫』1970, p. 18)。(9/3:文献を差し替え)

72. やもり【守宮、家守】p. 578「トカゲに似た小型爬虫類の一種」。○
またまた動物項目です。
事例1はDBにあるものの出典を探した。
事例2は自分で探した。
どちらも物語性が高いため、圧縮して記述することが難しかった。事例1の文献はDB収集対象にはいっているはずだが、なぜかDBカードには存在していなかった。しかしこれは怪異ではないな。事例2は「イモリ」と書いているが、地上の話なので動物学的にはヤモリのことである。Wikipedia日本語版ではなぜか「イモリ」自体が妖怪の名前となっているが、これは間違いだろう。

DBカードには、ほかに大蛇を退治したと思ったら「野守とて大蛇の類にもあらず」と言われたという事例があり、いかにも妖怪話らしいが、上記の理由でスペースがなく、掲載を断念した。

73. ゆきふりにゅうどう【雪降り入道】p. 588「雪中に現れる妖怪の一種」。○
与えられたDBカードから判断すると、雪に関連する雑多な妖怪をまとめて書け、ということらしかった。
肝心の「ゆきふりにゅうどう」のカードは悪名高い『宮城県史』のものだったので、原典にさかのぼって記述した(事例1)。
事例2、3はDBにある。
2の「ユキノドウを撃退する呪文」はスペースの都合で書かなかったが、DBページで読むことができるのでご安心ください。DBに「ユキノドー」という名称で採録されている報告は、その出現時の感覚を「身體がセガレテつくかんじよー」と表現している。岐阜県の話らしいが、どんな感覚かよくわからない。

74. ゆきんぼ【雪ん坊、雪坊】p. 588「雪の降り積もった夜に出没し、一本足の足跡を残していく妖怪」。○
事例はどちらもDBにあるもの。事例1はまぁわかるが事例2は悪性の雪女とでもいうべき妖怪で、一本足の1とはずいぶん趣が違う。名称は同じだが、おそらく別個に発生したのだろう。

75. わらいおんな【笑い女】p. 615「高知県の山の中にいる妖怪」。○
ようやく最後の項目までいきついた。
相当雑な冒頭の説明だが、次のところから多少詳しくしてある。
しかし今考えると別名にある「笑い女子」(事例3)は明らかに「笑い女」とは別系統、「濡れ女子」の系統である(濡れ女子はこの事典には載っていない!)。しかもこちらのほうの分布は「高知」ではなく「愛媛」である。そのことをちゃんと書くべきだった。失敗。

DBから採った事例は3だけ。
1はWikipedia日本語版に教えてもらった。
2は、その『異界万華鏡 高知編』の「土佐妖怪事例集」(p. 56)で知った。民俗事例としての笑い女の出典についてはこの「土佐妖怪事例集」でだいたい網羅できると思う。
そこに載っていないがDBにはあるものとして、「土佐の山村の妖物と怪異」(『怪異の民俗学』版だとp. 335)のもの(幡多郡)、高村日羊の短い報告「妖恠」にあるもの(長岡郡國府村)の二つを挙げておく。

事例1の「笑い男」の出典に「など」と書いたが、それには根拠があり、むしろこちらのほうが有名だろうが、『南路志』(1813)巻三十六「闔国第十二之一 神威・怪異・奇談 上」に載っている。
これ自体は『日本民俗文化資料集成8 妖怪』(1988)所収の「近世土佐妖怪資料」p. 314に抜粋されているからそれなりに有名だと思う(原著は1969年出版、笑い男はp. 6-7)。また『近世民間異聞怪談集成』(2003, p. 735-817)にも載っている。
ここでは、近年『南路志』全体を翻刻したものから笑い男の部分を抜粋してみよう(高知県図書館編1992『土佐国史料集成 南路志 第四巻』)。基本的には同じだが、「妖怪資料」の「三つの怪談」が「三つの怪獸」となっているほか細かいところに差異がある。

樋口大夫ハ、知行三百石にて船奉行勤ぬ。土佐国勝賀瀬山の赤頭ㇻ・本山の白姥・山北の笑ㇶ男とて、三ツの怪獸有ける。関太夫知行所山北に有けれハ、或時殺生に行山へ入むとせし時、百姓共申ハ、今日山へ御出は無用ニ存候。所の者とも申傳候者、一九十七と申て、月に朔日・九日・十七日には、此山へ入候得ハ必笑ㇶ男に逢ふとて、半死半生の仕合に罷成と申候といへは、関太夫聞て、我等役目に、二月九日に船を出さぬと云事ハあれとも、山へ不入と云事ハなし。今日九日也とて何の遠慮の有へきぞとて、家来一人召連山へ登りぬ。山腹を往来して雉をねらひけるに、壱町斗向ふの松林の端に十五六歳の小童出て、関太夫に指をさして笑ひける。次第に笑聲高く成、小童近く程、山も石も草木ミな笑ふ様ニ見え、風の音水の音迄も大笑に響けれハ、関太夫主従坂を下り遁帰る。此笑聲大忍郷迄も聞えけると也。家来ハ麓にて氣を塞きぬ。百姓共迎に来りて無事に帰けるか、其年を過き関太夫病死するまて耳の底に笑ひ聲残りて、不斗其時の事思出ス時は鉄砲打込やうに有しとかや。(p. 66-7)

いちおう事例1の出典(『土州淵岳志』)も引用しておく。

香美郡大忍郷山北村ノ山ニ笑男トテ年十四五バカリニミユル童子アリ。猟師樵夫モシ此山ニ入ツテ笑男ニタマゝゝ逢事アリ、一町ハカリ側ヨリ指ヲサシテ笑フ。ソノ声初ハヒキク次第々々ニ高クナリテ、後ニハ山岳モ崩ルゝ計ニ夥シク聞ユ。艸木巖石マテモサナカラ笑フカ如シ。猟師樵夫ナトモ之ニアヘハ忽ニ絶入スルト云。近古樋口関太夫ト云フ士コノ事ヲ聞及ヒ、奇事ナレハ見置ヘシトテワサト山北ニ行、山中ニ入モシ行アヘハ即退治スヘキ心得ナリシカ、彼笑ニ気ヲ奪ハレ、這々里ニ還リ出タルトナリ。其時ノ笑声赤岡辺マテ聞エシト也。ソノ笑フ声、関太夫一生耳ノ底ニ留リ忘レントスレトモノカサリシト聞傳フ。

また年代不明だが『老圃奇談』(『常堅舎叢書』15所収)にも短く次のようにある。

香我美郡大忍の庄大利村に笑男と云山有。此山ニ人行ハ必害有。一人の男出て笑へば、惣山草木迄皆笑ふ景色ニ成、行者もおかしくなりて、終に笑ひ死すると云。里人山神と崇む。
(『高知県史 民俗資料編』1977, p. 526)

愛媛の笑い女子については『宇和地帯の民俗』(1961)に詳しいが、基本的にはヌレオナゴのほうの解説になっている。
「ヌレオナゴの称が一般である。高知県境に近い地方では、笑い女子という村が若干ある(城辺町僧都・一本松村小山など)」とあり(p. 228)、この名称自体は高知の笑い女と関連があるような感じだ。この妖怪の特徴には地域差があるが、南部では髪の毛が鈎針になっており、これで男をひっかけて連れて行ってしまうという。これが事例3の背後にあるわけだ。
さらに「笑い女子」ではなく「笑い女」という伝承もある。これは城辺町山出に伝わる話で、「髪に鈎針をつけ、笑いながら人を引っかけてとる」という(p. 341)。

日本怪異妖怪大事典「廣田龍平」担当項目の補遺 前説

少し前に『日本怪異妖怪大事典』がようやく出版社から届いたということで、自分の執筆した75の怪異妖怪項目について、書くときに参考にしたものや、書ききれなかったことについての追加説明みたいなのを書いてみることにする。説明文に書いてあるが事例にないものについての出典・詳細もおぎなってみた。とはいっても内容の多くは訂正事項と懺悔ということになりそうな予感がしている。そういうわけなので、手元に『日本怪異妖怪大事典』があることを前提として書いています。

最初の妖怪名が項目、次が事典のページ数、次が説明文の一文目。

文献の引用は、原則としてその文献にあるとおりの表記・仮名遣いのままである。なので、古典文献が新かな新字体に直されて文献に記されていれば新かな新字体にするし、現代の文章でも旧かななら旧かなのままにしてある。

項目の自己評価
◎→よく書けた
○→事典項目としては水準に達している
●→もう少し調べたほうがよかった
×→書き直したい(泣)

全体として、書くとき参考にしたもの
書くとき・調べるとき、常に手元に置いていたのは、偉大なる村上健司『妖怪事典』(以下「村上事典」と略)、千葉幹夫『全国妖怪事典』、柳田國男監修『日本伝説名彙』、日野巌『動物妖怪譚』、水木しげる『妖怪世界遺産』など。ネット情報としてはWikipedia日本語版、国会図書館、都立図書館、その他多くのページを参考にした。ただし、いずれも文献を見つけるためであって、そのまま引用するためではない。また、ひとつの目標として「Wikipediaに項目があるならば、それよりも濃く。できるだけ初出の文献を探す」を心がけた。


全体の項目に共通する執筆のプロセス
はじめに、軽く執筆プロセスを書いておく。まず編集側から、有名な民俗学専攻の大学院があるところにまとめて(人数に応じて?)項目執筆依頼が来る。同時に、怪異・妖怪伝承データベース(以下、DB)の本体であるカード(以下、DBカード)も項目ごとにまとめて送られてくる。これはオンラインで公開されている情報に加えて、元記事も貼り付けられているという優れもの。このおかげでいちいち元の雑誌に当たらなくてもよい。
このときすでに項目内にどのような事例を入れるかは編者の先生方によってきめられている。たとえば「ひひ」のDBカードには、同じような猿の妖怪「猿神」や「イヒヒ」「ヒイヒイ猿」などのカードもまとめられている。おそらくこのようにして3万余りのカードを1300の項目にまとめるのがこの事典の制作作業の本体だったと思う。僕たちは、あとは事例をまとめる作業をすればいいというわけだ。
もちろんDBカードは完全ではなく、それ自体が他の文献の引用だったりすることもある。そういうとき僕は原典にできるだけ当たったが、ヤカンヅルのように結局見つからなかったものもある。他の執筆者のなかには、それほど原典にこだわらなかった方もいるようだ。
また、項目の字数制限は、大雑把にいうと僕たち下っ端が担当するものの半分以上は「小項目」といって事典の1/3ページ分、つまり1段分だが、いくつかはさらに半分の「ハーフ項目」(最終的に「半小項目」と呼ばれているようだ)、つまり1/2段分だった。この小さな枠内に、妖怪についての説明とその事例を押し込めるというのは存外大変なものである。そのせいで字数オーバーしてしまった項目もいくつかある(単純にいうと、その項目が1段分よりはみ出ている場合は、オーバーしたものである)。

以下、「DBにある」などと書かれているものについては、妖怪名をDBで検索すれば詳細な書誌情報と内容の要約が読めるので、気になる方はそれを参照してください。妖怪名は読みを片仮名にすれば見つかります。

日本怪異妖怪大事典「廣田龍平」担当項目の補遺4/5 日和坊、ひるま坊主、風来ミサキ、袋下げ、鳳凰、棒振り、頬撫で、ほご釣り、法螺貝、枕小僧、ミサキ風、三つ目入道、ミミズ、宮ホウホウ、ムササビ

この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。

46. ひよりぼう【日和坊】p. 479-80「常陸の国の深山にいるという妖怪」。○
この項目には意図的に事例を入れていない。現在までのところ石燕の妖怪画集(1779)以外に出典が確認できないからである。村上事典でも「絵や彫刻のみのもの」に分類されている。編者先生も創作だということはわかっていたらしいが、そういう風に説明してくれとまではいってくれなかった…。
二段落目以降の情報は、まず大久保忠国、木下和子編(1991)『江戸語辞典』によるもの(p. 1115)。日和坊のほうは

ヲヽうれし/よみ返つたる日和坊

日和坊主は

大阪俗、連日霜雨不㆑止、則女児剪㆑紙製㆓偶人㆒繋㆓屋下㆒、使㆓㆑之禱㆒㆑霽。名曰㆓祈晴僧㆒

長崎の事例は『綜合日本民俗語彙』p. 1336の「日和坊主」からたどっていったもの。
とはいえ問題なのは、どちらも石燕より半世紀以上あとの事例だということ。もう少し前の(18世紀半ばくらいの)事例はないものか。

47. ひるまぼうず【ヒルマ坊主】p. 480「河童やシバテンの同類で、道を通る人に相撲を挑む妖怪」。○
DBカードは二つだけで、片方を説明文に、片方を事例に振り分けた。特にいうことはない。

48. ふうらいみさき【風来御崎】p. 483-4「水死した迷い仏や無縁仏、または妊娠中絶や交通事故などによって死んだため成仏できない、さまよえる霊のこと」。○
初校の段階では漢字表記は事例1に基づいた「風来霊」だったがミサキは「御崎」で統一されたようだ。事例2はDB以外から追加。分布は備讃文化圏ということになるだろうか。

色々な人がフウライミサキになるという。事例1の元資料によると、「妊娠中絶や交通事故死」による霊がなるという。ほかにDBカードにあるものとしては、成人しても世帯を持たずに死んだ人がなる、無縁仏の霊、水死した迷い仏など(いずれも香川県)。

DBにない面白い話として、『牛窓町史』(1994), p. 883に、ぼやぼやしていると「フーライミサキのような」と言ったり、頼りない人のことを「あのフーライミサキが」と言ったりする、とある。「風来」という言葉のイメージだけが独り歩きしている感じ。なお、ここでは、人に憑依して災いをもたらす無縁仏のことをフーライミサキという。一人殺すと成仏できるという話もある。牛窓町は現・岡山県瀬戸内市

49. ふくろさげ【袋下げ】p. 485「白い袋や縄、ふんどしなどが木の上から下りてくる怪異」。○
いきなりだが一行目が悪かったかもしれない。この書き方だと、「袋下げ」という怪異によっていろんなものが下りてくるというふうに読めてしまう。失敗だった。

僕に与えられたDBカードは「上から人工物?が下りてくるマイナーな怪異」を意図したであろう雑多な事例群。
事例に4つあげたが、別名のところに挙がっている「すまぶくろ」を入れなかったところ、おそらく編集のほうでp. 317にごく簡単な説明が追加されていた。こういう編集作業はとてもありがたい(そのほか記名のない二行程度の説明項目は、いずれも、ほかの項目で名前だけ紹介されている怪異・妖怪について編集の先生方が書いたものと思われる)。DBで検索すれば書誌情報は出てくると思うので詳しくは書かない。しかし僕がこれを入れなかったのは、スマブクロは上から下りてくるというよりはノブスマのように顔に覆いかぶさってくる妖怪なので、「袋下げ」の仲間ではないだろうと判断したからである。DBカードには洋傘がぶらさがってくる話もあったが、こちらはヤカンヅルの事例4に回した。ジュウバコタタキ(重箱叩き?)は別名ジュウバコあるいはゴロチ。子供を脅かす系の妖怪であった。

「袋下げ」自体については、あまり周囲を掘り起こしても出て来なさそうな印象があるので、その後の長野の民俗誌などは調べていない。

50. ほうおう【鳳凰】p. 508「鳥類の王である霊鳥」。◎
ひそかに一番自信を持っているのがこの項目である。
怪物事典のたぐいに鳳凰が載ることはあれど、これだけ出現事例や民間信仰における伝承を集めたものはないはずだからだ。
そもそも、これまで鳳凰について行なわれてきたほとんどすべての説明は中国の文献に依拠しており、日本独自のものを探索していなかった。おそらく今後日本の鳳凰について書くときはこれが参照されることになるだろう……この事典に「鳳凰」の項目があることが知られていれば、の話だけど。実をいうと、初稿では事例2しか紹介せず、ごく普通の辞書的な説明文に字数を割いていた。そのあとたくさん見つけ、大幅に事例を増強した次第。

各事例の探索ルートは以下のとおり。

事例1は、鳳凰のように由緒正しそうなものを調べるときはまず見なければならない『故事類苑』「動物部十二 鳥五」(p. 991)に掲載されていた。全文は近代デジタルライブラリーで読める。今なら確実にUFOか宇宙人扱いされている事例だが「託宣」で解決したというのが江戸時代らしい話。何が「合理主義者」白石だよー。
何はともあれ『故事類苑』という基本書をチェックして鳳凰のことを書こうとした人がいなかったのが不思議である。

事例2は、むかしネット上で見つけた情報の裏を取った。

事例3はいろいろな郡誌を無目的に眺めていたら見つけた。
正直言うとかなり衝撃的だった。まさか鳳凰がそんな悪の権化だという解釈がなされていたとは! おそらく孤例だと思う。正確には次のようになっている。

正月六日恵比須の年請ひとて戎神七福神を祭り春の七草を取揃へ夜之を揃ふ、爼上には種々の物品をのせて「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、なづな七草コト〳〵ヤ〳〵(又七草揃つてやつぽつぽ」と囃し乍ら爼を打つ習あり。
昔鳳凰は毒鳥にて支那より日本に渡りて禍を降らすとて之を除かんがため行ふと傳ふ。

事例4も偶然見つけたもの。文献や知識人レベルではなくこのように民俗的なレベルで鳳凰が生きているのを知ったとき僕はまたまた驚いた。

というわけで、事例の発見はかなり偶然に依拠しているわけで、もしかするとまだまだ自治体史誌や民俗報告書、随筆類に「鳳凰」のことが載っているかもしれない。とはいえ、おそらくこれまではそのようなところに鳳凰の出現事例などがあるとさえ考えられていなかっただろうから、やはり、自分でいうのもなんだが、この項目には価値があると思う。

もう一つ、事例には入れなかったが説明文に書いたものとして、鳳凰の出現事例という点では寺社縁起にもあることを初めて知った。このことについては、縁起に詳しい人なら何をいまさらと言ったところだろうが、それを妖怪あるいは幻鳥としての鳳凰の解説に結びつけたのもたぶんこの項目が初めて。詳細は書かなかったので、ここに引用しておく。
鉢峰神社のものは『泉州志』(1700)にある。原漢文。

縁起に云く、人王十一代埀仁天皇八年、天照太神、鳳凰と化てこの襲峰に降る。【割注 或は云く、小倉峯。或は云く、上野峯】埀仁の皇子登り臨めてその化跡を禮祭たまふ。故に神の觶と曰ふ。……余按に、当山は陶の邑に近し。疑くは大巳貴神、天の羽車大鷲に乘て、天降のこの地。『大日本地誌大系35 五畿内志・泉州志 第二巻』(1971), p. 359

今もこの縁起が伝わっているかどうかは調べていない。

羽賀寺のものは、下の鳳来寺のものも見つけたあとで念のためと思い手元にあった岩波の日本思想大系20『寺社縁起』(1975)をみたら、まさか、あったという偶然(積読ばかりなもので……)。『本浄山羽賀寺縁起』(1524)の冒頭である。

粤[ここ]に霊亀二年(716)丙辰、春二月、神鳥来儀しこの山頂に止れり。頡頏日あらば羽毛は五つに彩し、鳴けば律呂の声を加ふ。聞く者これに感じたり。共に到らば忘れんと欲する人いまだあらじ。これを聞くこと三日ありて冲天に去りぬ。人躋[のぼ]りて山の巓を見るに、その羽毛二枚を剰せり。その色は煉の紫金の如く、その赤きことは譬へる物なし。
時に東国の目代、挙げてこれを朝[みかど]に献ず。帝をこれを左右に示したまふ。検官敢へて名づくる者なし。勅して行基菩薩に問ひたまふ。行基曰はく、「これ鳳凰の翼の羽なり。鳳凰、世に出づれば、天が下に慶びあり。これ大平の幖幟なり。それ鳳凰の降る処、その地必ず玉を生ず」と。p. 70

鳳来寺のことは南方熊楠の何かを読んでいて教えられた。よく考えれば寺名はそのまんま「鳳凰が来た寺」なのだから、鳳凰が来たということが縁起に載っているはずだった。しかし由来には二つの違った伝説がある。まず、知るかぎり現存最古の縁起『鳳来寺興記』(1648)には次のようにある。

鳳来寺と云事、斉明天皇の比、利修百済國に渡りたまふ。皈朝の時鳳に乗り来玉ふ。又文武帝の時、仙人[=利修]参内する事あり。其時鳳に乗し嘯を吹て往来する故に、鳳来寺と云佳名を賜ふ。鳳に乗るか故に帝は鳥導仙人と召と云へり『三州鳳来寺文献集成』(1978), p. 3

ここだと、鳳来寺を開いた利修という仙人が鳳凰に乗っていたことからその名がついたということになっている。
もう一つの伝説は問題だ。なんといっても江戸時代最大の「偽書」、『先代旧事本紀大成経』(1679?)がどうも初出のようなのだ。しかしいま僕の手元には原文がないので、『三河鳳来寺略縁起』(1763; 中野猛編1997『略縁起集成』第3巻, p. 280=近藤恒次編1963『三河文献集成 近世編 上』p. 83)にあるものを孫引きしておく。漢文混じりなところは入力しにくいので適宜下している。

先代舊事本紀に云はく、推古天皇十年(602)壬戌 皇太子[=聖徳太子]三十一歳の御時閏十月、参河の國司もうす、本國桐生山に桐の樹あり、傳へ說く神代の樹なりと。……その西枝三十尋異鳥この枝に棲む。その長八咫餘、尾の長一丈餘、全身五色、金翠にして紅紫の光あり。……人いまだその名を知らず。一日偶三尾を落す。このゆへにこれを獻ず。……太子これを聞てすなはち奏して曰く、これ鳳の尾なり

つまり、羽賀寺と同じような現れ方だが、行基聖徳太子になっているだけということになる。
ただし、やや奇妙なことに、「鳳来寺」という名称自体は利修伝説によるものだとも書いてある(中野1997, p. 283=近藤1963, p.85)。
ざっと調べたところ、『鳳来寺略記』(1660以降)、『鳳来寺由緒書』(1704以前)は利修型、『鳳来寺聞書』(1706)、『鳳来寺略縁起』(1763)は大成経型である。また縁起ではないが『東海道名所図会』(1797)第三にも鳳来寺のことがあり(熊楠が引いていたのは確かこれ)、大成経の伝説が紹介されているが、利修の名には触れているのに、彼が鳳凰に乗っていたということは書かれていない(『大日本名所圖會 第一輯七編 東海道名所圖會』1920, p. 422-3)。
大成経が伝説をどこから引っ張ってきたかはわからないが、18世紀以降は主流になっているようにも思える。

羽賀寺の縁起を偶然発見したことから推測できるように、ほかにも鳳凰が出現したことを由来とする寺社はあると思うが、まだ探していない。とはいえスタート地点としてはこれで十分だと思う。

ところで、鳳凰に関する何かの論文に書かれていたが、鳳凰は本来仏教とは関係ないのに、日本では平等院鳳凰堂に代表されるように、仏教とつながりが深い。こうした縁起物もその一例である。なぜだろうか。
余談だが、与えられたDBカードは、この事典では「だいこくさま」の事例2に紹介されていた(p. 331)。ここでは秋田の某所で起きたことであるかのように記述されているが、実際は歌のなかで詠まれるもので、事例としてはあまり適切ではない。

2014年6月追記:かなり珍しい事例として、『幸安仙界物語』第三巻(友芿歡眞編1939『幽冥界硏究資料 第一巻』山雅房[近代デジタルライブラリーで見ることのできる同名書の増補版で、第三巻は1939年版にしか入っていない])では、幽界の序列として13番目に「鳳凰」が挙げられている。また、「ナカナキトリ」(ながなきどり)という読みが与えられている(pp. 296-7)。この「ナカナキドリ」は、神代の「常世の長鳴鷄」のことで、鳥の長であるという(p. 304)。『幸安仙界物語』は『幽界物語』とも呼ばれ、有名な『仙境異聞』と同じように幽界に旅立った少年との問答が記されている文書。いまいち文献の性質がわからない(どこまで現実の信仰によるのか、どの程度フィクションなのか、どれくらいが事実としてどういう共同体や個人に受け入れられ・排除され・無視されたのか)ので何とも言いがたい。未読だが三ツ松誠(2012)「嘉永期の気吹舎 平田銕胤と「幽界物語」」『日本史研究』596, pp.1-24という論文にそのあたりが述べられているようだ。中国の伝統的な霊的存在を記紀神話に取り込もうとした1つの例と言えるか。

51. ぼうふり【棒振り】p. 509-10「高知県の山道で、棒または手杵を振るような音を立てながら通るという妖怪」。○
事例1と2は、書誌情報からわかるとおり、同一論文(かの有名な「土佐の山村の「妖物と怪異」」)。ただし地域が違う。僕は「妖怪」と書いたが、原文には「怪異」とある。
ところで音のことを原文は「ビコービコー」と書いており、この論文を採録した『土佐民俗記』(1948)や『怪異の民俗学2 妖怪』2000, p. 336もそのままだ。しかし明らかに奇妙である。いくら妖怪といっても、棒をふる音がビコービコーはおかしい。ということで、僕はこれを「ビユービユー」の誤植であると判断し、事典では「ビュービュー」と書いた。たぶん問題ないと思うが、もしかしたら本当に「ビコービコー」だったかもしれない。

52. ほおなで【頬撫で】p. 511「夜間など人のあまりいないときに道を歩いていると、不意にその人の頬を撫でる怪異」。◎
水木しげるの印象的な妖怪画を思い出す人も多いだろう。今野圓輔『日本怪談集 妖怪編』にも項目がたてられている(現代教養文庫版p. 35-6)。そこでは『道志七里』(1953)が文献に挙げられていて(事例2)、頬撫で(ここでの表記は「ほうなで」)は山梨県の妖怪だということになっているが、事例にあるとおり、意外と分布は広い。
DBに載っているのはおもに東京都檜原村の事例(事例1)。面白いのは、正体は単なる植物だったが、人々の恐怖の念を吸っていたので、切り捨てると血を流したという、二段階の怪異譚になっているということである。

事例4は「頬撫で」で検索して発見し、急きょ追加した。

事例5は、図書館の棚から民俗誌を何気なくとってみたら偶然見つけた(こういうことが本当に多い)。びっくりである。「頬撫で」の分布は、このぶんだともう少し地道に調べていってみれば広がりそうな気がする。

9/2追記:『甲州秋山の民俗』(1974), p. 89にも「夜淋しい所を通ると、ホオナゼ(頬撫で)というお化けが出る」という記述を確認(地域は山梨県南都留郡秋山村(現・上野原市)寺下・尾崎)。探してみるとDBにはあるがDBカードにはなかった。こうした見落としもあるらしい。

この妖怪は表記ゆれがひどい。多摩のは「ホウナデ」「ほおなでのバケモノ」「ほおなで」「ほうなで」、道志村のは「ほうなで」、忍野村のは「ほうなぜ」、埼玉のは「フウナゼ」、群馬のは「ホオナデ」。


2014年3月追記:『北安曇郡觶土誌稿 第二輯 口碑傳說篇 第二册』(1930)に、会染村(現・池田町)に、廃寺へと通じる道があり、「大樹が未知の兩側に並んでゐて、眞暗な晩などは顏なぜといふ怪物がそつと人の頰を不氣味に撫でたものだ」と紹介されている(p. 88)。
倉石忠彦「真宗の妖怪」『自然と文化』1984年秋号(p. 56)にも「カオナゼ」が紹介されていて、おそらく『北安曇郡觶土誌稿』の記述を参考にしたのだと思われるが「冷たい手で通る人の顔をなぜる」と微妙に脚色されている(この脚色は村上健司『妖怪事典』p. 96やWikipediaにも受け継がれている)。
名称こそ違うが、経験される現象自体はほぼ同じである。

妖怪・怪異の固有名は出てこないが、『松井田町の民俗 坂本・入山地区』(1967), p. 113には「ススキ」と題して次のような話が語られている。松井田町は現・群馬県安中市

ずっと昔のことだが、赤坂の下の方の道で、村の人が夜そこを通るたびに通った人の誰もが「ぞおう」として気持が悪くなってしまっておっかなかったが、ある人が勇気を出してその辺のすすきを刈りとったら変な気になる人がいなくなった。すすきの穂が首のところをなでる(なぜる)ようになっていたわけだった。

これなど「怪異の発生一歩前」の事例として、ほかの「ホオナデ」の事例と比較すると面白いと思う。

53. ほごつり【ホゴ釣り】p. 512「愛媛県重信町で、夜、道を歩いていると上からホゴが下りてくるという怪異」。●
これは悔しい。
伊予の松山狸スポットというページで見つけた「ほごつり狸」の出典を締切までに見つけられなかった。
愛媛の狸を網羅している玉井葵(2004)『伊予の狸話』にもなかったのでよほどマイナーなのだろうと思いあきらめていたが、最近、改めてネットを検索してみると、愛媛県史オンライン版がヒットした。それを参考に紙版も見てみると『愛媛県史 民俗上』(1983)のp. 823に「松山市南久米のホゴツリ狸もよく人をばかしたということで有名である」と書かれている。有名なのかよ! 『伊予の狸話』にもないのに⁉ と思わず突っ込んでしまったがどうしようもない。
県史だからDBにも収められているはずなのだが、この箇所はDB入力者が狸勢力の妨害を受けたらしくホゴツリ狸の名称が入っていない……。

なお『重信のむかし話』(1983, ここで読める)にも「ほごつり」があるが(p. 105-6)、物語以外の記述はほとんど『重信町誌』(事例1)とかぶっている。

事例1はDBの引用の出典を調べたもの、2はDBにあるもの。

森正史(1967)『えひめ昔ばなし』に、山野の路傍に現れる妖怪として「ホゴツリ」が挙げられているが、伝承地の詳細を含め、説明はされていない。文献初出はこれかも。

54. ほらがい【法螺貝】p. 514「山の中から大きな音とともに巨大な法螺貝が現われて抜け出て、それに伴って激しい風雨や洪水、土砂崩れが起こった、という伝承が江戸期から知られている」。○
別称のところに「出世螺」を入れておいたのだが、編集側が削除してしまった。『絵本百物語』は出典として認められないということなのかもしれない。

事例1と3はDBにあるもの。2は村上事典にあるものを流用した。先行する事典の記述に追随する、これこそ妖怪学の伝統である(あんまし意味ない)。このほか、あちこちに蛇抜け系(本事典p. 287)の法螺貝伝説がある。
4は洪水などとは無関係だが、同じく土中に埋まっているということで、そんな法螺貝がいるわけないので載せた。この伝承は柳田國男『山島民譚集』に教えられた。

こうした法螺貝の怪異については齋藤純2006「法螺貝あらわる」『日本人の異界観』がある。最近は「災害伝承」の一環として少し注目されているかもしれない。

55. まくらこぞう【枕小僧】p. 516「夜中、人が寝静まっているときに現れる、子供の姿をした妖怪」。○
枕返しでも座敷小僧でもない、なにか中途半端な妖怪名。

事例1はDBにあるもの。
事例2は村上事典に教えられた。片方は香川で片方は静岡だから、おそらく独立して同じような名前が付けられたのだと思う。
説明の最後の一文の出典だが、事例2自体は柳田國男佐々木喜善に送った手紙に書かれていたようで、そこで柳田自身はザシキコゾウの類例のような感じで書いている。
また佐々木は事例2の出典である『遠野のザシキワラシとオシラサマ』で、ザシキワラシの「奥州以外の諸国の話例」としてマクラコゾウを載せている。
もう少し事例の地域の文献を探したら、未発見のものが見つかるかもしれない。

56. みさきかぜ【御崎風】p. 527「悪い風で、あたると病気になったり死んだりする」。●
「いきあい」「かぜ」の項目を参照……と言いたいところ。
ミサキカゼの場合、とくに不慮の死を遂げた人々の死霊という点が強調されるので、面倒臭い神様の仕業ではないという点でやや差別化できるかもしれない。ミサキカゼについては事例1で山口のものを挙げたがDBカードにはほかに宮崎のものがあった。ハーフ項目なので贅沢できなかった。

ハカゼについては高知県のものがDBにあり、ハカゼに当たったときの呪文も紹介されている。ハカゼの「ハ」の意味は不明。
この地方の文献を探ればそれなりにミサキカゼやハカゼの話は出てくるだろうが、やっていない。『綜合日本民俗語彙』には岩手のハカゼの事例もあるようだが未調査。
9/3追記:『語彙』p. 1207には「山村手帖」を出典として「ハカゼニアウ」という項目がある。歴博民俗語彙データベース(『語彙』を収録している)を見てみると出典に『山村生活の研究』とあったが未見。
2014年12月追記:昭和10年度(1935)の『山村採集手帖』、岩手県九戸郡山形村のところに「藭様の遊んで居られる所へ行くと、ハカゼに打たれて倒される」「藭様の遊んで居る所へ出会って、ハカゼに会ったなどといふ」とある。これが『語彙』の大元だと思われる。

57. みつめにゅうどう【三つ目入道】p. 530「目が三つある妖怪」。○
シンプルな、説明以前の単純な記述ですが、与えられたDBカードの妖怪は「三つの目玉がある」という点以外に(説明に書いたように)共通点がなく、要するに僕はこの項目について説明するのを放棄してしまった。

最後の一文はやや否定的な調子で書いたが、特に意図があるわけではない。アダム・カバットが指摘するように、三つ目入道は見越し入道と並んで黄表紙の化け物のリーダー的存在だったのだ(『江戸滑稽化物尽くし』2011, p. 79)。
とはいえ見越し入道と違って伝承にも豊富な事例があるわけでもないということで、その「民間伝承的な」前史には大きな差がついている。そして「民間伝承」を重視する本事典ではその差がくっきりと浮き出てしまったわけだ(「みこしにゅうどう」の項目はカバットによるものである)。

58. みみず【蚯蚓】p. 531環形動物の一種。○
これもまた普通の事典のような出だしの書き方である。
ミミズといえば小便をかけたら云々というのが俗信として有名だが、それが怪異や妖怪に直結するわけではない。事例はどちらとも自分で探してきたものである。
DBカードには『和漢三才図会』からの孫引きがあり、これを紹介してもよかったのだが、結局省略した。東洋文庫版の現代語訳をここに引用しておく。
>
深山の中には一丈余もある大蚓がいる。近頃、丹波柏原の遠坂村で大風雨の後、山が崩れて、大蚯蚓二頭が出てきた。一つは一丈五尺、一つは九尺五寸あり、人は奇物といっている。『和漢三才図会 7』p. 404