江戸時代の「天使」と「天狗」

年末年始の調べものの一環としてメモ的に。
キリシタン文書では、天使といえば「あんじょ」、悪魔といえば「天狗」と翻訳されていたが、蘭学隆盛期に入ると、天使といえば「天狗」ということになってしまった。宗教性が除去されすぎた結果、形態論的な比較しか行われなくなってしまったからだろう。特に天使の一種ケルビムは天狗にぴったりだったらしく、維新以降もキリスト教と無関係な場ではこの訳語が充てられていた。


1715『西洋紀聞』
アンゼルス、(仏教でいう)光音天人

1796『江戸ハルマ』
神の使しめ
天狗の類(ケルビム)

1798『蛮語箋』
エンゲル 天狗

1799『楢林雑話』
engel(えんげる)とは天神と云ことなり。小児の肉翅あるを画くものこれなり。形なくしてよく物を知と云ことなり。

1810『蘭語訳撰』
天狗

1810『訳鍵』
神使の羽人 親睦の人

1811『諳厄利亜興学小筌』
天神所使令者
此の使令するものに善悪ありといふ。吉神凶神の類にて、俗称に善玉悪玉といふが如きものならん。訳字未詳

1814『諳厄利亜語林大成』
エンジル 天神所使令者
チェリュビム 神祇属

1837『約翰福音之伝』
「カミ」「アマツカミ」

1840『甲子夜話三編』巻70
「次に一種あり。これ真の天狗なり。鷹嘴、鷲眼両翼あり。或は山谷林中に栖、或は聚落に出て、人に災し、居家を焼亡さする類、都て世の動乱を好む者なり。これ西洋に所㆑謂、「エンゲル」と云者にして、正直の人に仇する、悪魔の属なり」

1854『妖魅論』
「このヱンゲルも高津鳥の属なる物なるべし」

1855-1858『和蘭字彙』
神の使はしめ

1856『古伝通解』
「西洋にはエンゲルといふものありて、天竺の修羅、唐土の仙人、日本の天狗に似て、また一種のものと覚えたり」

1857『増補改訂訳鍵』
神使の羽人。親睦の人。天狗の類。

1862『英和対訳袖珍辞書』
神の使者
天神。天狗(ケルビム)

1884『弁士必携英語節用集』
チェルビム 天狗

リッカルド・カポフェッロ『経験論的な驚異 幻想文学の歴史化1660-1760』

ちょっと気になる本があったので、その序論だけを翻訳してみました。
Riccardo Capoferro, 2011, Empirical wonder: Historicizing the fantastic, 1660-1760.
幽霊や怪物が経験的なものではなくなっていく過程、というか経験的なものとそうでないものとの分離が英文学のなかで行われていった過程を論じたもののようです。ちょうど妖怪の超自然化を発表する準備をしていたので非常に興味深い内容だと思ったのですが、序論だけしか読んでません。
正確には書籍版ではなくてネット上にある博論のほうを訳してます。書籍のほうは高くて買えません。



 18世紀といえば、小説や文学上の現実主義が勃興してきた時代として知られている。しかしこの時代は、今では非現実主義的なジャンルとしてひとまとめにされている多くのテクスト――幽霊譚や空想旅行記――が氾濫した時代でもあった。こうした作品の一部は、重大な認識論的問題に関わっているという点において、17世紀から18世紀にかけて出現した文化の著しい変動を記録したものと見なされてきた。このジャンルの起点となった幽霊譚や「経験論的」悪魔学は、たとえば、伝統的な信仰が問題をはらみつつ残存していることと、経験論的な認識論が広まっていったこと、双方のしるしとして読まれてきた。他方で、空想旅行記については、批評家たちは近世におけるSFの先駆けとして関心を持ってきたが、ほとんどは『ガリヴァー旅行記』の背後に霞んでいってしまった――18世紀の、その他の旅行記フィクションの観点からの分析は極めて少なかった。要するに、幽霊譚や空想旅行記がもつ形式上・主題上の新しさは、ほとんど注目されてこなかったのである。しかし、そうしたものに評価を与えてみるならば、17〜18世紀における文学の発展に対して、繊細な感覚がもたらされることだろう。
 このような諸々の作品は、実際のところ小説に負けず劣らず独創的なものだった――そして、これから示すように、それが語る認識論的な問いのいくつかについても、同じくらい関心を抱いていた。小説が優位にあることを説明するのはたやすい。おそらく、現実の表象に明確に関わっている点と、思わず肯わざるをえない教訓のあるサブテクストの構築を可能にする、日常的なものへの興味関心が、その土台にあるのだろう。それとは反対に、幽霊譚や空想旅行記に描き出される例外的で相当に非経験的な情景は、実用的な道徳規範を示すのに容易に利用できるようなものではなかった――そしてこのことによって、それらの価値の見定めが阻まれてしまったのだ。ジョンソンは、よく知られた小説論のなかで、小説が決定的な成功をおさめ、非現実主義的なジャンルが周縁に追いやられた理由を浮き彫りにしている――このことは、ロマンス物(幅広いカテゴリーだが、もっとも議論の多い文学形式がそこに入る)の周縁化とも軌を一にしていた。 

虚構の作品を,いまの世代はこのうえなく喜ぶようだ。それは,人生の真の姿を如実に表わすからである。こんな作品は,この世に日常的に起こる事件によってのみその様相が変わる。また,人々との会話のなかに実際みられるような感情や雰囲気によって影響を受ける。……その目指すところは,手軽な手段を用いて自然な出来事を持ちだし,驚嘆の力を借りることなく好奇心を持続させることである。それゆえ,英雄ロマンスにあるような奇抜な道具立てを排除している。婚礼の席から新婦を強奪するような巨人を登場させることはできないし,囚われの身の女性を騎士が奪還することもない。登場人物を砂漠において惑わすことも,空想の城址に住ませることもできない。(『彷徨者』第4章)

 とはいえ、幽霊譚と空想旅行記、そして小説には多くの共通点がある。何よりもその形式が似ている。経験論の影響が色濃く残されているのだ。すでに述べたように、小説の隆盛は、17世紀後半にみられる全体的な不安定性によるところもあった。経験的な真実を伝えるために設計されたはずの諸々のコードは、必ずしも真である必要のない事実を語るときにも、次第に頻度を増して使われていくようになった。それと相似的に、際限なく用いられていくことにより、経験論的なコードは幽霊譚や空想旅行記を包み込んでいくようになった。こうしたジャンルに欠かせない超自然的なものは、ただちにそれとわかる「自然な」背景のもと、出現したのである。このような描写は経験論の修辞法によって形作られていった。言い換えると、幽霊譚や空想旅行記、そして小説は、現在「現実主義的」と呼ばれる表象様式を繰り広げたということである。しかし小説のほうは、形式においても内容においても経験論的であろうとした。自然法則を破らないだろう出来事を描写するための、状況説明的な言語を駆使したのである。他方、幽霊譚や空想旅行記の経験論的な同一性(empirical identity)は、形式のレベルでわかりやすく確証される。テクストにおいては、幽霊や怪物、超自然的現象が、ただちにそれとわかる疑似科学的な言語で描写されるのである。経験論的な表象様式と非経験論的な内容の組み合わせが、本論の着眼点になる共通要素を構成する。それはみずからの新しさを顕わにし、一つの幅広いカテゴリーに収めることを可能にするものだ――つまり「幻想文学」(the fantastic)である。
 本論は、18世紀はただ小説のみが隆盛した時代ではないことを論じるものである。この世紀は、私たちの言う「幻想文学」へとひとまとめにできる諸々のジャンルが出現した時期でもあったのだ。「幻想文学」というカテゴリーを使うのに何の問題もないというわけにはいかないのは勿論だから、なるべくこのカテゴリーが妥当だということを力説してみようと思う。第一章は、幻想文学の中心的な特徴が、経験論的な方向性をもった――要するに、現実主義的な――迫真さを伝えるシステムを繰り広げたことだと論じる。これは、非経験論的だとすぐにわかる諸々の対象の表象を形作るものである。現に、20世紀のホラーやSFといったジャンルは小説に由来する形式を採用しているし、18世紀の幽霊譚や空想旅行記などのジャンルも、経験論的な規約に影響された諸々のコードを使っているのである。そして、ツヴェタン・トドロフローズマリー・ジャクソン、クリスティーン・ブルック=ローズらの理論モデルを織り込みつつ、幻想文学が現実主義の形式的・認識的な前提条件を共有していく次第を明らかにしてみる。経験論的な態度や、小説にとっても重要な表象様式が組み込まれたのである。このとき、他の前近代的な超自然表象を引きずった非経験論的なジャンルや作品(おとぎ話)との違いが認められる。幻想文学の基本特性を定義し、これが近世に誕生したという主張を裏付けるため、本論ではこれを幅広い歴史的視野に位置づけ、伝統的な文学形式との対比で定義しようと思う。過去の文芸文化においては、自然なものと超自然的なものは、互いに相容れないとか対立しているなどとは思われておらず、むしろ神あるいは悪魔が直接に現われたもので、現実主義的な出来事だと考えられるような宇宙論に属していたのに対して――ホメーロス叙事詩に語られた宇宙論を参照――、幻想文学においては、超自然的なものが出現することによって、自然の規則性だったはずのものが断ち切られてしまう。言い換えると、幻想文学は、新しい科学の隆盛とともに浮上してきた存在論的な境界を映し出しているのである。しかしながら同時に、幻想文学は、徐々に切り離され、追い越されていく自然と超=自然との対比をつなげ合わそうともする。幻想文学は媒介者となり、衝突する世界観の裂け目を架橋して、経験論的なものと非経験論的なものを調和させる――幽霊や怪物は、読者の世界と相似的なものとして表現された世界のなかに登場するのである。
 第二章は、幻想文学の生み出されたコンテクストに着目してみる。わけても、――17〜18世紀の思想家による作品のなかに次第に明らかになっていく――経験論的世界観と、それと相容れないと思われた存在との対比である。ボイルやニュートンといった科学者に焦点を当てることにより、段々と規範的になってきた経験論的な見解と、超自然的・怪物てきなものについての伝統的な信仰との辻褄を合わせようとした試みを検討する。こうした試みは、堅固な経験論的規約と徐々に相容れなくなっていったと見なされていき、媒介の作業は幽霊譚や空想旅行記といった虚構作品に負わされるようになり、そして自在に認識論的言説の制約から逃れるようになっていった。本論はまた、幻想文学の文化的な土台をさらに明確にするために、幽霊譚や空想旅行記のどちらにも関係する非科学的な媒介ジャンルにも視点を移してみる。とくに怪物たちの経験論的な記述も含まれる「驚異の伝統」がそれである。さらに、幻想文学と小説が、相似する諸々の問題や同じような道具立てを繰り広げているという主張を裏付けるために、『ロビンソン・クルーソー』、『パメラあるいは淑徳の報い』、『トム・ジョウンズ』、『アミーリア』などの小説の宗教的なサブテクストを見てみる。こうした作品は、さまざまなやり方で、自然法則と矛盾しない、よりたやすく現実主義的な美学へと統合される神意の存在論を演出した。小説は、神意に訴えることにより、自然と超自然との控えめな媒介を担ったのである。この時代、小説やその他の神意の語りは、神の作用を異界の力として表象するのではなく、内在的で歴史的な次元に焦点を当てた。それらは、神的なものと関連する高次の目的を十全に内面化していたのだ。
 第三章は、17世紀後半の経験論的悪魔学(とくにオックスフォードの牧師ジョゼフ・グランヴィル)、幽霊譚、そしてゴシック文学を扱う。まず、経験論的悪魔学の修辞構造と認識論的態度を分析する。これはグランヴィルの『魔女と幽霊の完全なる証明』(1689)に結実している。この構造と態度はどちらも形式的・主題的な複雑さに正面から取り組み、自律的で市場向けの幽霊譚の起源をたどり直していく。次に、幽霊譚が虚構へと徐々に変容していくさまを描き出してみる。グランヴィルなどの作家が使った経験論的な見解は保たれていたにせよ、幽霊譚は科学的な枠組みから引き離されていき、錯綜とした語りの構造や際立った感情の抑揚、そして読者のための場を展開していったのである。
 これとともに、本章では、自然な説明と超自然的な説明とのあいだでの揺れ動きを基本とした、幻想文学の基礎道具である「存在論的なためらい」(トドロフの理論による)の発生をたどっていく。存在論的なためらいは、初めのうちは語られざるレベルで提示される。グランヴィルらの作品は、異界の存在者が実在することに対して懐疑的な人々を説得するためのものなので、部分的には懐疑論者の観点を内面化し、そうして否定から信仰への流れを演出したのである。存在論的なためらいは、複数の典型的な経験論的態度を連結する認識論的状態から構成される。懐疑論的なアプローチが、直接的に超自然的なものを経験することによって危うくされるのである。その出現は、直接的な確証ということで文句なく認められるものになる。後代の幽霊譚、たとえば『親切な悪霊』(1715)などでは、存在論的なためらいはあからさまに劇化され、超自然的なものの出現に例外性のアウラを帯びさせるのに最適の手立てとなった。超自然的なものの闖入は、その場に居合わせた人々の予想を裏切るかぎりにおいて、耳目を集めることになるのである。本章では、18世紀における超自然的な出来事のいろいろな説明をながめてみる――18世紀前半のイングランドにおいて有名だった無口の占い師ダンカン・キャンベルに向けられたパンフレットなどである。そしてゴシックの形成を追っていくことで結論とする。ゴシックは、幽霊譚を美的対象へと完全に変容させ、もはやキリスト教倫理によってのみ枠付けられるようなものではなくなった、イデオロギーの焦点移動を画しているのである。
 第四章は空想旅行記をあつかう。小説や幽霊譚と同じように、空想旅行記は経験論的コードに深く影響されていた。このことは、とくに旅行記の言語について言えることだ。しかしながら、超自然的フィクションが亡霊を登場させざるを得なかったのに対して、空想旅行記はさまざまに異なる存在論を含みこんでいた。「現実主義的な」存在論の層は、経験論的な観点からすると相容れないような別の諸層によって錯綜とし、テクストによって多様な幻想の表象を産出したのである――キャヴェンディッシュの『光り輝く世界』の多神教的な宇宙から『ガリヴァー旅行記』に描かれた遠くの諸社会にいたるまで。どの空想旅行記も、それぞれに固有の世界を描写している――スウィフトの模倣が増えてジャンルの硬直化が加速したにせよ――が、ほとんど避けがたく、脱魔術化に抗する自然のイメージを構築している。1750年代以降、空想旅行記の中心的な主題は別のものに変わった。次世代の作品、たとえば『ピーター・ウィルキンズの生涯と冒険』(1750)や『ウィリアム・ビンフィールド』(1752)は、原=帝国主義的なサブテクストを表現しているのである。幻想文学に特徴的な道具立ては、みずからを育んだ認識論的コンテクストから引き離されて、今や新たなイデオロギーの目的に従属するようになる。もはや媒介はその中心課題を構成するものではなくなった。1750年代から、空想旅行記は新たな機能をもたされるようになったのだ。それらの形式的な道具立ては、いまだに媒介の問題とひそかに携わっていたにせよ、新たな意味合いをもって刻印されたのである。幻想文学の変容は、もう、その誕生を決定づけた認識論的な危機によってのみ枠付けされるのではない。多種多様な利用法に耐えうる形式として、やわらかな慣習の集合体として、その十全な癒合を証するのである。

鎌鼬=真空説の初出

 鎌鼬の正体が真空であるという説の初出はいつか?

 今年の夏に出た別冊宝島の『日本の妖怪』(小松和彦・飯倉義之監修)では「昭和初期」と書かれている(p.70)。飯倉義之さんの2010年の論文「鎌鼬存疑」(『妖怪文化の伝統と創造』所収)では、井上円了の『妖怪学講義』(1896)においてすでに「常識的な<科学>知識となっていたこと」が指摘されている。Wikipedia日本語版では単に「近代」と書かれている。
円了以前だと思われるが、今のところわからないというのが現状だと思う。

 というわけで、少し前に調べたのだが、どうも初出は福沢諭吉が1868年に出版した『訓蒙 窮理図解』という西洋科学啓蒙書らしい。この本の第1章で彼は「空気」を取り上げ、基本的な性質を説明した後、気圧についての解説を始める。
 福沢はまず、手のひらを茶碗の底の糸切部分に押し付けると、そこの「空気なくなるゆえ、外の空気はこゝに入込まんとすれども道なく、由てその力にて茶碗を手に押付け」る、という、誰でもすぐに実験できる例を示す。ここで注目すべきは、「空気なくなる」として「真空」の概念が援用されている点だ 。ついで福沢は戦場での話に移る。時折、銃弾が当たらなかったのに怪我をすることがある。それは、銃弾が皮膚をかすめると、「その勢にて膚の際の空気を払い、これがため体内の空気張出して膚を破る」からである(『福沢諭吉著作集』第2巻、p.23)。その次に福沢が挙げるのが鎌鼬だ。
 「又深山を往来するとき、何の原因もなく膚の破れて大怪我することあり。これを鎌鼬と唱う。古よりその理を知らざるゆえ、無智の下民等はこれを妖怪の仕業などゝいうなれども、その実は矢張り空気の所為なるべし」。
 というわけで、前後の文脈からすると、これが「真空説」の初出ではないかと思われる。
 ただ、旋風という要素はまだない。これについては既に目星がついているが、そのことについては、また今度。また、福沢の説が確実に彼のオリジナルであろう根拠も何となくわかっているが、それもまた今度。

 ところで、現在岩手県南部の某市にいるのだけど、地元の年輩の方にカマイタチの話をすると、真空説だけではなく、雷に驚いて転んだときに出来る鎌状の跡という人もおり、面白いところでは「カマキリの大きいの」という人もいた。諸説紛々で楽しい。自分ではないがカマイタチに「かけられた」人を知っている、という人も多い。

 追記:カマイタチ真空説について一部勘違いされている方もいそうですが、真空説は提唱当時はまっとうな科学的仮説として受容されていまして、疑似科学とみなされたことは滅多になかったことを言っておきます。なにせ、あの井上円了が、自分で説明するまでもないとして受け入れたぐらいですからね。
 また、カマイタチは本当は何なのか、という件についてですが、カマイタチというのは色々言われますがその本質は「原因不明の切創」なので、原因は1つではなく複数考えられます。あかぎれ、興奮状態で傷ついたので気づかなかった、強風で飛んできた小石のせい、正直に言いたくない切創についての言い訳などなど、いずれもありうると思われます。