超自然概念をめぐる論争③

下の2つの記事の続き(最終回)。

youkai.hatenablog.jp

youkai.hatenablog.jp

日本のコンテクストでの超自然概念批判

 前回と前々回では、おもに文化人類学(宗教人類学)において、超自然概念がどのような意味で用いられ、どのような観点から普遍的な適用が批判されたのかをながめてきた。一見すると単純で自明であるが、分析していくと一筋縄ではいかない概念だということがよく分かったと思う。
 さて、この超自然概念、意外と日本近世までの研究文献では使われていないのだが、それでも総合的な概念化・理論化が行なわれるときは、それなりに登場すると考えてもよいであろう。前々回に紹介したように、小松和彦の妖怪学がよい例である。それでは、前回に紹介したような批判は、どれだけ日本のコンテクストでも有効なのだろうか。
 まず、妖怪研究のなかでデュルケームを踏まえた概念批判としては、マイケル・ディラン・フォスター『日本妖怪考』(2009)の序論が挙げられる。フォスターは以下のように、事例に即して超自然概念を問題視する。 

超自然というときには、自然の法則というものがなければならず、それと比較することで超自然の超越的な特性を判断できる、という前提がある。[……]本書の読者の大半にとっては、たとえば、キツネのような動物が経験科学的に取り扱える生き物として扱われること――博物学者によって図表化され、生物学者によって記載され、百科事典に掲載されることは「自然」に見えるだろう。しかし百科事典の項目に、キツネの生態や食性と並んで人間を化かす習性が記載されていたらどうだろうか。ある特徴を自然とみなし、別の特徴を超自然とみなすことはできるのだろうか。*1

 フォスターがここで具体的に想定しているのは、近世の百科事典『和漢三才図会』(1712)における「狐」の項目である*2。同書は明治にいたるまで再版され、また鳥山石燕の画集『画図百鬼夜行』の引用元になるなど、幅広く読み継がれていたことで知られている。フォスターは、少なくとも江戸時代までは、「この区分はそれほど明確なものではなかった」*3ことを指摘する。とはいえ「標準的なものとそうでないもの」という区分はあっただろうと言うことで、同書では結局、(ややルーズに)「超自然」という表現が多用されている。
 妖怪概念そのものへの批判ではないにせよ、個々の事例に関しては、香川雅信も似たようなことを論じている。香川によると、18世紀前半の本草書は、中世までは神霊の徴候であった怪異を意味から引きはがし、モノそのものとして取り扱うようになった「エピステーメー」を例証しているという*4貝原益軒の『大和本草』(1709成立、1715刊行)巻之十六におけるカッパの記述にそのことがよく現れている。曰く、 

河童(かはたらう) 処々大河にあり。又池中にあり。五六歳の小児の如く、村民奴僕の独行する者、往々辺において之と逢、則精神昏冒すと云。[……]此物人家ニ往々妖を為し、種々怪異をなして人を悩し事あり。狐妖に似て其妖災猶甚し。本艸綱目蟲部[……]に水虎あり。此と相似て同じからず。但同類別種なるべし。*5

 また、直後の項目には以下のようにある。

 罔両(くはしや)[……死体を喰う魍魎という中国の動物について説明……]是倭俗の所謂くはしやなり。関東にて人を葬る時、亡者をとる事あり。[……]是魑魅の類なり。日本にて天狗と云たぐひなるべし。中夏に天狗と云は鬼魅に非ず。天上天狗星あり。*6

 この二つの項目において益軒は、カッパと天狗、そしてカシャという、いずれも近世の随筆から戦後の民俗誌にいたるまで確認することのできる名高い「妖怪」を、あくまで自然的な動物の一種として配列している。そして積極的に中国の動物と比定したり類似種として位置づけたりする。さらに「河童」の項目では、この動物が「怪異」をなし、妖力を持つことについて、実に淡々と言葉を並べている。香川の言葉を用いるならば、この「妖怪」は自然化されているのである。 

日本における自然概念

 とはいえ、フォスターおよび香川の議論は不十分である。前々回にまず西洋的自然概念を整理したように、前近代の諸社会において、超自然概念がどれだけ有効かを問うには、「自然的なもの」の概念に相当するものが存在するのか、という問いから始めなければならないのである。しかし超自然概念に肯定的な小松にせよ批判的なフォスターにせよ、この問いについては必ずしも厳密には論じていなかった。小松の場合、その理由は自然概念についても普遍主義的な考え方を持っていたからであろう。この点は、彼がルース・ベネディクトとほぼ同じ論理で「歴史的にみれば、時代をさかのぼればさかのぼるほど、科学的・合理的思考が未発達であったがために、さまざまな奇妙な不思議な現象を「妖怪現象」とみなす機会は多かった」*7と述べていることから推測できる。
 しかし科学的・合理的思考によって知ることのできる客体化された自然秩序――という考え方は、それ自体が17・18世紀のヨーロッパ発であり、前近代日本の超自然的/自然的という区分に適用することはできない。むしろ日本においては、西洋的自然概念とつながる「自然的なもの」の概念はかなり複雑な道をたどっている。
 念のため付記しておくと、ここでは、典型的な日本人論に見られる「自然を征服する西洋/自然と共生する東洋」*8については取り上げない。それらのナショナリズムイデオロギーは散々に指摘されていることであり*9、また存在論的にはどちらの「自然」も西洋的自然――特に自然界を指しているからである。

 さて、まず(「自然的」ではなく)「自然」概念のほうから見てみよう。この概念を指す言葉「自然」は言うまでもなく漢籍由来だが、前近代から日本語に入り込んでいたことが知られている。加えて現代では、欧米語の翻訳語としても、日常的な言葉として用いられている。さらに「自然」という言葉は前近代の宇宙論や「自然観」などを説明する現代語の文章でも多用されている。これらを踏まえると、現代の日本語環境では、それ自体で複数の意味を有する西洋的自然と、前近代日本で「自然」と呼ばれていたものと、現代語で「自然」と呼ばれる前近代の言葉や概念が、まとめて「自然」という言葉に含み込まれていることになる。そのため、「自然」に言及するには、こうした複雑さを解きほぐしてからではないと、いたずらに混乱を招くことになる。
 そのためここからは、単に自然・自然的というときは一貫して西洋概念のことを指し、前近代日本の単語「自然」が指す概念は「日本的自然」と呼ぶことにする。また、西洋的自然に(少なくとも部分的に)相当する概念については、可能な限り、「天地」や「世の中」「森羅万象」など、原典の日本語や漢語に用いられる言葉でもって表現する。この場合、「自然」という語を用いることもあるが、そのときは西洋の概念を「西洋的自然」と呼称することで混同を避ける。

 超自然概念との関係において自然概念を論じるとき、念頭に置いておかなければならないのは、人類学においても、その他の近代学問においても、「自然」は一般的に(「超自然的なもの」ではなく)「文化」と対立する概念だということである*10。ここで言う「自然と文化」は、前者が人為の加わらない非歴史的・普遍的・自存的な物質的基体であり、そのうえに、人間集団ごとに後者が構築される――という関係性から構成されている概念的な対である近年では、こうした存在論的前提は単一自然主義多文化主義の対として表現されることが多い*11。この意味での「自然」が非西洋近代的社会の多くに存在しないことは、上述のハロウェルを含め、すでに無数の議論によって明らかにされている*12
 日本においても、西洋近代的な自然/文化の区分が当てはまらないことについては多くの指摘がある*13。「しぜん」と読む現代日本語の「自然」は、英仏語nature(18世紀末~19世紀半ばまではオランダ語Natuur)の訳語として使われ始めたものであった。しかも訳語としての「自然」は、18世紀末に現れながらも明治中期にいたるまで定着しなかったのである。たとえば『和訳英辞書』(1869)では、natureは「天地万物。宇宙。本体。造物者。性質。天地自然ノ道理。品種」とされ、名詞としての「自然」は訳語に現れていない*14
 西洋的自然に対応する訳語として「自然」が定着するのに100年以上もかかった事実は、この概念が日本語にとって新しいものだったことを示唆している。ファビオ・ランベッリが指摘するように、「前近代の日本語では、私たちが自然[……]と呼ぶものについての一般的な語はなかった。「気界」、「天地」、「万物」などの語がもっとも近いものだっただろう」*15。ここでランベッリが「自然」と言っているものは、ここで言う「自然界」の概念のことである。あらゆる事物の総体ということになるが、しかし彼が提案する言葉には、普遍的秩序の概念も、人間の文化が排除される意味合いもない。

 日本における「自然的」概念

 こうした議論や事実を踏まえたうえで超自然概念に戻ってみよう。小松の妖怪概念を例にとってみると、その図式において、超自然的領域に対立する自然的領域には人間も入っている。また文化的産物たる道具もその一部になっている。超自然概念は自然のみならず、人間社会や文化にも対立するとされているのである。この時点で、ここで問題とするものが一般的な自然/文化の対立とは位相が異なることが分かる。加えて、文化/自然における自然は、神霊や宗教的対象など、いわゆる超自然的存在を含み込むことが多い*16。それに対して宗教的対象は、超自然的/自然的の対立において、超自然側にある。
 つまり、自然的なものと自然は、それぞれ超自然的なものと文化と対立するが、その対立の仕方は異なっており、同じ平面にはないのである。そのため、たとえば単純に二つの対を組み合わせて三項対立に再構成し、自然/文化に関する議論を再利用するようなことはできない。ある意味で、文化/自然は人間中心的な区分だが、自然的/超自然的は宇宙中心的な区分として使い分けることもできるだろう。そして筆者が関心を持つのは後者のほうである。そのため、「超自然的」の前に、日本における「自然的」の対応概念について検討しなければならない。
 西洋的自然の訳語としての「自然」は定着するのに長い時間がかかった。その一方で、「自然的」(natural)のほうは、19世紀初めからかなり一貫して(副詞、形容動詞などとしての)「自然」と訳されてきたことが知られている*17。上述したように、西洋の「自然的」は、超越的な自然法則に従う状態(③B)と、内在的な自発性による状態(③A)の二つに区分できる。この区分から見ると、前近代日本の「自然」(「じねん」と読むことが多かった)は、訓読みするならば「おのずからしかり」――森田敦郎とキャスパー・イェンセンの表現を借りるなら「自発的生成(spontaneous becoming)」であり*18、③Aに近い。
 前近代において「自然」を重要概念として用いた思想家はそれほど多くないが、そのうちの一人である山鹿素行(1622–1685)はこれを「已むことを得ざるの自然なり」と表現した。これは「おさえようとしても、おさえきれずに発動することである」と相良享は説明する*19。さらにこの運動としての「自然」状態は、素行にとっては「天地」――「自然界」に近いが人間も含む概念――が絶えず生成変転することでもあった*20。また、前近代日本の「自然」は、とくに荻生徂徠(1666–1728)以降、安藤昌益や本居宣長の思想において、人間や神々による「作為」に対立するようにもなった*21
 この日本的自然を西洋の「自然的」と類比的に対応させることが許されるならば、まず対立する概念は「作為」である。この概念は、人間の手を加えるということだから「文化的」に近いようにも見える。しかし柳父章が論じるように、「文化的」なものが西洋的自然と(存在論的に)共存しているのに対して、「作為」は日本的自然と相互排他的である*22。西洋的自然の上に構築されるのが文化ならば、日本的自然を反転させたのが作為、と考えてもよいだろう。
 さらに日本的自然は、山川草木・鳥獣虫魚のみならず、人倫――「君臣父子夫婦の倫」(儒学)あるいは「古(いにしえ)の道」(国学)まで含み込んでいる*23。この点も考え合わせると、自然/作為の対立は、ロイ・ワグナーの言う本在的/人為的(innate / artificial)の対立*24でも捉えられるのだろう。人類学者にとって人為的な文化であるものがダリビの人々にとって本在的な慣習であるのと同様に、人類学者にとって日本的自然の一部は明らかに文化なのだが、近世の人々にとっては本在的な、「已むことを得ざる」ものなのである。 

日本に超自然的概念に対応するものはあったか

 ここまでは、西洋的な「自然」概念および「自然的なもの」概念のそれぞれについて、前近代日本における概念の欠如や部分的対応を簡単に整理した。西洋的自然の概念がないならば、当然、対立概念としての文化もない。しかし超自然概念は自然ではなく自然的なものに対立する。自然的なものは日本的自然の概念に、部分的に対応するように思われる。それでは自然的なものにとっての超自然的なものは、日本的自然にとって何に相当するのだろうか。そもそも、相当する概念は存在するのだろうか。
 ベンソン・セイラーが整理しているように、自然的/超自然的の対立は、少なくとも西洋においては内在的/超越的の対立に一致する。そして超越的なものは、自然の普遍的秩序を超えたものの謂いである。神々や妖怪、死者などは、普遍的秩序を超えている(とされる)がために超自然的と呼ばれる。他方、上述のように、今で言う自然界のみならず社会秩序や生活習慣まで取り込む「天地」は、「おのずから」――自発的秩序を内在させている。それを超えた超自然的秩序とはどういうことだろうか。神々や妖怪はそれを超えたところにある単一的秩序に位置づけられるのだろうか。
 この問いに答えるためには、非近代的な日本の諸社会が前提とする宇宙論的・存在論的な体系において、超自然的/自然的に類比的な存在論的二元論があるのかどうか、さらに神々や妖怪がどのように扱われているのかを検討していく必要がある。

 とはいえ、これ以上は現代の学術文献における、超自然概念をめぐる論争から外れてしまうことになる。また別の機会にいろいろと考えてみたいと思う。とりあえずの見通しとしては、神仏に関しては、超越的用法を適用できる余地があるが、妖怪や死者などに関しては、フルトクランツ的な超自然概念の非日常的用法を適用できるか否か、ということになるだろう。

*1:フォスター2017『日本妖怪考 百鬼夜行から水木しげるまで』、廣田龍平(訳)、p. 38。

*2:Ibid., p. 71–72。

*3:Ibid., p. 38。

*4:香川雅信2005『江戸の妖怪革命』、p. 141–142。

*5:『益軒全集』六巻、益軒会(編)、1973、p. 422。

*6:Ibid., p. 422–423。

*7:小松和彦2011「妖怪とは何か」『妖怪学の基礎知識』、p. 15。

*8:梅原猛1989「アニミズム再考」『日本研究』1、大喜直彦2014『神や仏に出会う時 中世びとの信仰と絆』、pp. 12, 40など。

*9:杉本良夫、ロス・マオア1995 (1982)『日本人論の方程式』、p. 212–213、ベルク『風土の日本』、pp. 262–273、Fabio Rambelli, 2007, Buddhist materiality, ch. 4、Aike P. Rots, 2017, Shinto, nature and ideology in contemporary Japan: making sacret forests, ch.3など。

*10:クロード・レヴィ=ストロース1977『親族の基本構造 上』第1章、ロイ・ワグナー2000『文化のインヴェンション』、ブルーノ・ラトゥール2008『虚構の「近代」 科学人類学は警告する』など参照。

*11:Viveiros de Castro, 1998, Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism, Journal of the Royal Anthropological Institute 4 (3), Amiria Henare, Martin Holbraad and Sari Wastell (eds), 2007, Thinking through things: theorising artefacts ethnographicallyなど参照。

*12:マリリン・ストラザーン1987「自然でも文化でもなく ハーゲンの場合」『男が文化で、女は自然か? 性差の文化人類学』、木内裕子(訳)、ラトゥール2008、Tim Ingold, 2000, The perception of the environment、 Philippe Descola, 2013, Beyond nature and cultureなど参照。

*13:柳父章1995『翻訳の思想 「自然」とNATURE』、ベルク『風土の日本』、Descola, 2013, pp. 29–30、Casper Bruun Jensen & Atsuro Morita, 2017, Introduction: minor traditions, shizen equivocations, and sophisticated conjunctions, Social Analysis 61 (2)、Rambelli 2007,  Rots 2017など。

*14:柳父『翻訳の思想』、pp. 68–70。

*15:Rambelli, 2007, p. 133.

*16:たとえば山口昌男1975『文化と両義性』pp. 1–7、小松和彦1985『神々の精神史』pp. 83–115。

*17:相良亨1979「「自然」という言葉をめぐる考え方について」『自然 倫理学的考察』pp. 228–229、柳父『翻訳の思想』pp. 63–74。

*18:Jensen & Morita, p. 5.

*19:相良、p. 234。

*20:相良、p. 235。

*21:丸山眞男1983『日本政治思想史研究』。

*22:柳父『翻訳の思想』pp. 163–165、Jensen & Morita, p. 5。

*23:丸山『日本政治思想史研究』pp. 200–207, 266–275。

*24:ワグナー『文化のインヴェンション』。

超自然概念をめぐる論争②

前回の「超自然概念をめぐる論争①」の続きです。

youkai.hatenablog.jp

ある意味、今回が「論争」編かな?

超自然概念の批判

 前回の終わりに提示した普遍主義的用法は、自然的/超自然的という存在論的区分が、「それなりのやり方で」(ルース・ベネディクト)全世界に共通してみられるということを前提とする。その一方で、この前提の妥当性を疑う議論も100年以上前から存在していた。もっとも有名なのは、『宗教生活の基本形態』(1912)におけるデュルケームである。彼は宗教の定義を探るなかで、まず超自然概念を取り上げ、それを「われわれの悟性の範囲を越えたあらゆる次元の事物[……]神秘的なもの、認識不能なもの、理解不能なものの世界」と定義する。しかし彼が言うには、この観念は近年のものでしかない。なぜなら「事物の自然的な秩序が存在する」と認識され、かつ、そこから外れた現象が存在する、という思考のプロセスがなければ超自然概念は発生しないからである*1
 ちなみに、デュルケームは明言しないが、19世紀後半にエルネスト・ルナンがやはり、超自然の概念は自然の法則という概念が出た13世紀に至るまで無視されており、17世紀のガリレオデカルトらの機械論的世界観によって定着したもの、と述べていた*2。また似たようなことは、より有名な『イエスの生涯』(1863, 1870)第2章でも述べられている*3

 その後の民族誌的研究においては、陰に陽にデュルケームの主張を支持するものが目立つようになる。その大半は、西洋近代的な自然概念を前提とした超自然概念は、具体事例の記述には適用できないとするものである。たとえばエヴァンズ=プリチャードは、アザンデ人にとっての妖術の因果性を論じるにあたり、次のように述べる。

われわれは、われわれが自然の法則と呼んでいるものに合致した秩序ある世界についての概念をもっているが、われわれの社会でもある人々は自然の法則では解釈できない不思議な出来事も起こりうると考えており、したがってそれは自然の法則を越えるもので、われわれはそれらの出来事を超自然と呼んでいる。[……]アザンデ人は現実についてそのような概念は確かにもっていない。彼らはわれわれが理解しているような「自然」の概念をもっていないから、したがってそこには「超自然」も存在しない。*4

とはいえエヴァンズ=プリチャードは、西洋近代的なやり方とは違ったかたちで、アザンデは妖術・呪術の作用とその他の作用を区別する、とも述べる*5。同じような論法は彼によるヌエルの民族誌にも見出すことができる。そこで彼は、抽象的な自然的/超自然的の二元性はないかわりに、非物質的な「霊」(クウォス)と物質的な世界(チャク)との二元性があると論じている*6
 ヌエルに隣接するディンカの人々を調査したゴドフリー・リーンハートは、初出のときにだけ「精霊」(spirit)と訳した「ジョク」という語をただちに「諸力」(Powers)と言い換える。そして、この世界に内在するが人間よりも高位で時空を超越するジョクは、人間や地上の生き物と対比されるカテゴリーであると述べる。そしてデュルケームを参照しつつ、ディンカにおいて自然秩序を前提とする超自然概念は不適切である、と論じる。ジョクの経験は彼らにとって「自然的なもの」なのである*7
 アフリカからもう一つ事例を出すならば、石井美保はガーナ南部の呪術や精霊憑依などの「超常現象」を取り扱うにあたり、それを「超自然現象」と同一視することを否定する。それは「「常態」を超えていながら、人びとをとりまく世界/環境の一部として「自然」に存在しうるものである」*8

 北米に目を移してみると、アーヴィング・ハロウェルが、北部オジブワの神話群に登場する存在を「超自然的な者」(supernatural person)とするのは完全に誤りだと主張する。なぜなら、超自然概念は「自然的なもの」を前提としているが、「自然的なもの」という考え方がオジブワには存在しないからだ。ハロウェルは、それゆえ概念としては「超自然的なもの」ではなく「人外の者」(other-than-human person)を使うべきだと論じる*9。ちなみにハロウェル以前にも、オジブワの人々にとって精霊が超自然的とはいえないという記述は存在する。それによると、「それらも人間と同じように、世界の自然的秩序に入っている」*10
 超自然概念自体を批判するために、短いながら一つの章を割いたモートン・クラスは、西インド諸島トリニダードの農民が、土地の主たる霊「ディ」にオンドリの血などを捧げる事例を紹介する。その農民は地主に貢ぐ分の収穫も取り分けていた。彼にとってはディも地主も同じように存在しており、儀礼も支払いも翌年の豊作を確実にするものであり、自然的なものであった*11。同様の指摘は他にも多い*12

 こうした議論のいずれにも共通しているのは、私たちが超自然的と分類するようなものに多少は対応する土着カテゴリーは皆無ではないが(たとえば「霊」や「人外の者」「超常的」と訳せるもの)、それは自然的なものに対立しているのではない、という主張である。石井やクラスのようにそれを反対に「自然的」と表現することもあれば、ハロウェルのようにその表現も拒否する論者もいるが、いずれにしても超自然的/自然的の二分法は通用しないことが前提となる。こうしたことについてクラスは、超自然概念が、近代自然科学によって「まともなデータ」として取り扱えないものをまとめたカテゴリーではないのか、と問う。近代自然科学が西洋近代に特有の知的枠組みである以上、それと表裏一体にある超自然概念も同断である。だから、この概念を非西洋近代的な諸社会に適用することは、人類学が避けるべき自民族中心主義に陥っているのである*13

超自然概念の非日常的用法 

 以上のような存在論的区分とは(表面上は)別に、インフォーマントやテクスト自身が、あるもの(妖怪や怪異、精霊や神々など)を「不思議だ」や「怪しい」と表現するときはどうだろうか。こうした表現が示すものを超自然概念と同一視するか、少なくとも類似したものと考えることは可能だろうか。つまり、厳密に「自然秩序に従うもの」と「超越するもの」という超越的・普遍主義的区分で対立を捉えるのではなく、より緩やかに超自然概念を規定してみるのである。ただ、あまりに緩やかであるならば「自然的」概念を前提とした意味が薄れてしまうことになる。

 このような試みは、曖昧なかたちで古くから行なわれてきていたが(さもなくば、超自然という言葉はここまで多くの文献に現れていなかっただろう)、明確に定式化したものとして、北米先住民の宗教に関するオーケ・フルトクランツの議論がよく知られている。フルトクランツは、ハロウェルによる超自然概念批判(上述)に反論して、存在論的カテゴリーの二分法を検討する。そして、ハロウェルは「超自然」を自然法則に反するものという狭い意味で使っているが、それに限定する必要性はないということを指摘する。フルトクランツは、ハロウェルがマニトゥ(manitou、霊的なもの)の概念を取り上げるのを避けていることを指摘する。「マニトゥは不思議な性質をもった精霊あるいは人間を表すが、この状況は、マニトゥの真の意味が「非日常的」あるいは「超自然的」だということを示すと考えられる。この概念が通常に対立するものを意味しているのは明々白々である」*14
 何であれ「大なり小なり不自然なもの、正常とは言い難いもの」にまで超自然概念を適用することについては、フルトクランツは批判する。その一方で、自然法則を前提とした、哲学的な概念化も厳格すぎるとして受け入れない。彼によると、「精霊や奇跡といったものが属する、日常的実在とは別の秩序の実在という、より実践的な区分」*15こそが超自然的である。この区分は、「通常/異常」(ordinary, extraordinary)によって判断されるが、そこから導出される二分法は常に質的に異なった二つの存在のレベルである*16。これを「超自然的なもの」の非日常的用法と呼ぶことにする。ちなみに、フルトクランツのように事例から導き出したわけではないが、同じ「通常/異常」の区分を「自然/超自然」に割り当てる議論は、エドワード・ノーベックの宗教人類学にもみられる*17
 普遍主義的用法のときに紹介したが、認知宗教学における超自然概念は、この種の意味合いも強く含んでいるように思われる。ボイヤーらにとって、宗教的なもののカテゴリーは反直観的なものによって構成されているからである。そしてまた、反直観的なものは(フルトクランツの主張と同じように)単に変則的なものは含めない。直観的には有り得ないものの最低限の組み合わせが宗教的概念を構築するのである*18

 通常・日常的/異常・非日常的のそれぞれに、自然的/超自然的を割り当てることは、一見して問題が少ないようにも思われる。ただ、フルトクランツがそれぞれに異なる実在の秩序を割り当てるとき、ティム・インゴルドが指摘するように、民族誌からの乖離が生じることにもなる。インゴルドはハロウェルの記述を再分析して、その「要点は、人外の者を経験することは、自然を超えた実在の経験ではなく、優越した力の経験だということである。こうした経験は、日常的実在の超越ではなく、それの強化へと至る」ということを指摘する*19。人々の生きる実在が、より広がりを持ち、より深みを持つということ、それが、精霊や「奇跡」なるものとの邂逅が切り開く可能性なのである。人々の世界とは異なる実在の秩序という二元論的な存在論は、少なくともフルトクランツがそれを読み込んだオジブワの世界には妥当しない、とインゴルドは結論付ける。

 非日常的用法の二元論に対しては、インゴルドのように一元論で却下するほかに、より細分化したカテゴリーでもって批判する方法もある。モーリス・ブロックとダン・スペルベルがこの手の論法を用いて、認知宗教学的な反直観性や超自然の概念の問題を指摘している。
 まずブロックは、ボイヤーとスペルベルが、すべての宗教現象は反直観的だというのに対して、マダガスカルのマラガシにおける事例を挙げて反論する。彼はイーゴリ・コピトフの一般論も併記しつつ、「死んだ祖先に対する行動は、見たところ根本的には生きている父親や長老に対する行動と何の違いもない」と言う。「マラガシの農民は、死者に話を聞いてもらいたいとき、声を張り上げる。これは彼らが長老の注意を引きたいときにもよく行なうことである。なぜなら長老もまた耳が遠いことが多いからである」*20。私たちにとって宗教的対象であり、また反直観的である死んだ祖先は、彼らにとってまったく反直観的ではない。ボイヤーらがそういったものを反直観的と言うのは、あくまで西洋近代的な判断によるものでしかないのである。
 おそらく議論のすれ違いがあったのだろうが、スペルベルのほうはすでに「宗教」カテゴリーを放棄している。ある雑誌上で、スコット・アトランらが、反直観的=超自然的行為主体が宗教にとって主要な概念であるのはなぜか、と問うのに対して、スペルベルは、人類学的に言って「宗教」は家族的類似でしかない、ということを指摘する。エチオピアのドルゼの人々に宗教を聞くと、彼らはキリスト教を信じていると答える。その一方で彼らは日常的に祖先祭祀をするし、山川で「超自然的」精霊に捧げものをする。憑依も禁忌体系もある。ドルゼたちは、こうしたものをキリスト教と同じ「宗教」の名のもとにまとめようなど思いもしない。アトランらの問いは因果関係が逆なのである――タイラー以来、宗教を定義するために用いられているのが、超自然的行為主体なのだ*21
 スペルベルのほうは超自然概念も反直観概念も放棄しないものの、それが宗教という一つのカテゴリーと一致するという普遍主義的な考え方は、人類学者らしく否定している。ブロックは超自然概念を用いず、反直観概念の包括性を批判するものの、宗教カテゴリーへの還元ができないと考える点はスペルベルと同意見である。おそらくこうした批判論法は、日本において宗教現象とされてきたものを考え直すため、重要な足掛かりになることだろう。

 非日常的用法は、「異常・非日常的」に着目したという点では、「超自然的」とされてきた多くの事例を捉えることが可能のように思われる。たとえばマイケル・ディラン・フォスターは、妖怪は「どの時代においても[……]「自然」の枠内に収まるだろうが、それでも通常から外れたもの」であると論じる*22。彼は、妖怪に「自然なもの」とは異なる、固有の実在的領域(超自然的、あるいは宗教的と呼びうるもの)が認識されていたことについては疑いを持っている。とはいえ完全に純粋な「自然なもの」とも言えなさそうな、異常なものとして妖怪が捉えられていたことについては否定しない。
 また前回紹介したように、小松和彦の妖怪論においては、妖怪とは「科学的・合理的に究めつくすことができなかったとき[……]それを超越的・非科学的説明体系の中に組み入れて秩序づけようと」した結果のものである*23。この説明には超自然(超越)概念の普遍主義的用法がみられるのに加え、彼の言う「民俗的思考」が二つの体系に区分できることが前提とされている。この点で、小松妖の怪概念には、さらに非日常的用法も含み込まれていると考えることができよう。

 結局のところ、ここまで分析的に区分してきた超自然概念の各用法――超越的、精霊的、普遍主義的、非日常的――は、この概念を使う研究者の多くにとって、分析的にも切り分ける必要がないものと見なされているように思われる。しかし、どの用法にも共通するのは、それが「宗教的なもの」の定義と深く関係しているということである。これらをまとめて超自然概念の「宗教的用法」と呼んでもいいが、非宗教的な用法があるかというと、かなり限定されていると言わざるを得ない。ヴィヴェイロス・デ・カストロが多自然主義を前提として提示する概念化はその数少ない一例であろう。詳細を検討する余裕はないが、捕食的用法命名することができる。

 他方、インゴルドやスペルベルらの批判に見られるように、フルトクランツや認知宗教学の非日常的用法は、そこに留まらず、実在に関する二元論を想定している点で、無批判な適用を保留しなければならない。この想定は、超自然概念を肯定する場合、それが宗教的領域を定義するものになるべきであり、ゆえに一貫した秩序を有しているべきであるという、スペルベルの指摘した学説史的な流れに由来している。そしてブロックやスペルベルが(どちらもアフリカだが)事例をもって反論するように、非西洋近代的な諸社会において、そのような一貫した秩序としての「宗教」は想定されていない。ちなみに、スペルベルの論法を延長させるならば、非日常的なものに加え、日常的なものも単一の実在的秩序を有するのかについて問題提起することもできる。たとえば多くの社会では、何らかの意味で人間と動物が存在論的に区別されている*24。先に述べた捕食的用法も同様である。
 そのため、超越的用法や普遍主義的用法とは異なり(結論としては同じなのだが)、非日常的用法の妥当性を検討するためには、ある事例がこの用法での超自然概念に合致しているか否かのみならず、他に合致することが想定される諸存在と同一のカテゴリーに属すると判断されているのか、ということも考慮しなければならない。

 

次回(最終回)は、超自然概念と前近代日本との関係について、少しだけ。

*1:デュルケーム2014『宗教生活の基本形態 上』、pp. 57–61。

*2:Ernest Renan. 1868. Questions contemporaines, p. 232–233.

*3:エルネスト・ルナン2000『イエスの生涯』忽那錦吾・上村くにこ訳、p. 32; de Lubac, 1934, p. 238–239.

*4:エヴァンズ=プリチャード2000『アザンデ人の世界 妖術・託宣・呪術』、向井元子(訳)、p. 94。

*5:Ibid.

*6:エヴァンズ=プリチャード1995『ヌアー族の宗教 上』、向井元子(訳)、p. 236。

*7:Lienhardt, 1961, Divinity and experience: the religion of the Dinka, pp. 28–29, 98.

*8:石井美保2007『精霊たちのフロンティア ガーナ南部の開拓移民社会における〈超常現象〉の民族誌』、p. 285。

*9:Irving Hallowell, 1960, Objibwa ontology, behavior and world view, in Culture in history: essays in honor of Paul Radin, p. 28.

*10:D. Jenness, 1935, The Ojibwa Indians of Parry Island: their social and religious life, p. 29.

*11:Morton Klass, 1995, Ordered universes: approaches to the anthropology of religion, 28–29.

*12:たとえばジョン・ビアッティ1968『社会人類学 異なる文化の論理』蒲生正男・村武精一(訳)、pp. 263–264、Edvard Hviding, 1996, Nature, culture, magic, science: on meta-languages for comparison in cultural ecology, in Nature and society: anthropological perspectives, p. 178.

*13:Klass, 1995, ch. 4.

*14:Åke Hultkrantz, 1983, The concept of the supernatural in primal religion, History of Religion 22 (3): 244–245; cf. Robert Anderson, 2003, Defining the supernatural in Iceland, Anthropological Forum 13 (2); Lohmann, id., 2003.

*15:Hultkrantz, 1982, Religion and experience of nature among North American hunting Indians, in The hunters: their culture and way of life, 179.

*16:Hultkrantz 1983, p. 231.

*17:Edward Norbeck, 1961, Religion in primitive society, p. 11.

*18:ボイヤー、『神はなぜいるのか?』、pp. 108–110。

*19:Tim Ingold, 2000, The perception of the environment, p. 424; cf. David M. Smith, 1998, An Athapaskan way of knowing: Chipewyan ontology, American Ethnologist 25 (3): 423–424.

*20:Maurice Bloch, 2005, Essays on cultural transmission, pp. 110–112; Igor Kopytoff, 1971, Ancestors as elders in Africa, Africa 41 (2): 129–142.

*21:Dan Sperber, 2004, Agency, religion, and magic, Behavioral and Brain Sciences 27: 750–751.

*22:マイケル・ディラン・フォスター2017『日本妖怪考 百鬼夜行から水木しげるまで』、廣田龍平(訳)、p. 39。

*23:「魔と妖怪」、p. 346。

*24:cf. Viveiros de Castro, 1992, From the enemy’s point of view, p. 29; G.E.R. Lloyd, 2011, Humanity between gods and beasts? ontologies in question, Journal of the Royal Anthropological Institute (new series), 17 (4): 829–845.

超自然概念をめぐる論争①

 妖怪を論じるとき使われることの多い超自然(supernatural)概念。しかし、この概念は本来カトリック神学に由来するものだった。西洋ローカルなこの概念をどれだけ他のコンテクストに広げることができるのか、そもそもできないのかについて、実は(特に人類学において)いろいろな論争が繰り広げられている。しかし意外と日本語で読める資料は少ないようなので、ここでは問題・学説史の整理をしてみることにする。

まずは自然概念の整理

 超自然概念について考えるとき、まず準備しておかなければならないことがある。それは、超自然概念を展開するときの前提となる、「自然」概念のほうの多義性の整理である。
 西洋的自然(古代ギリシア語physis、ラテン語nātūra、英語・フランス語nature、ドイツ語Natur、オランダ語natuurなど)の訳語としての「自然」は、前近代日本語の「自然」とは大幅にその意味が異なっていた。それだけではなく、現代英語においても、頻繁に使用されるものだけでも、①「事物の総体」としての自然と、②「個々の事物がもつ本質的な傾向」としての自然という二つの意味がある。そのうえ形容詞naturalになると、③「ありのままの」「意図的な手の加わらない」「自発的な」といった、日本語の「自然な」「自然に」など前近代から続く用法に近い意味も加わる。
 以下、区別の必要があるときは、名詞の二つの意味をそれぞれ①「自然界」と②「自然本性」、形容詞の意味を③「自然的」と呼ぶことにする。そしてこれらの意味は、個物の自然本性は自然的であり、自然的なものの総体が自然界であり、自然界の個物は自然本性を持つと整理することができる。
 西洋語の名詞「自然」の多義性については、19世紀の思想家ジョン・スチュワート・ミルが晩年の「自然論」(1874)において要約している(それ以前から似たような議論はあり、ミルはそれらを総合した、と言ったほうがよい。遅くても17世紀には、意味が二つあることは認識されていた)。彼によると、「自然という語は、二つの基本的意味を持っている。事物の体系全体と事物の特性の総体(the aggregate)を意味するか、あるいは、人間の手が介入しない場合の事物のありよう(things as they would be)を意味している」*1。前者が自然界、後者が自然本性にあたる。
 また、自然界の概念は、ロビン・コリングウッドの歴史的分類を用いるならば、少なくとも二つの対立する概念へと分類できる。それは、彼が「古代ギリシア的自然」と「ルネサンス的自然」と呼んだものである。前者は能動的で主体的であり、みずから事物を産出し、内在的秩序のもとに流動しつづける生気論的な自然である。後者は受動的で客体的であり、超越的な外部によって産出され、法則を賦課された、機械論的な自然である。スピノザにならい、前者を能産的自然、後者を所産的自然とも言い分けることもできる*2
 キャロライン・マーチャントはさらに、能産的自然が「能動的で創造的な力」であるのに対して、所産的自然は「創造された世界」であるとする*3。この二つは自然界の概念を区分するものであるが、自然本性についても前者を「自発的秩序」、後者を「自然法」と呼び分けることができる。
 この区分は、オギュスタン・ベルクが、日本の「自然」概念を検討するための準備作業として指摘した、フランス語のnatureの多義性とも近い。つまり、natureは規定された法則の集合、「宇宙、環境、風景」である一方で、自発性や自発的発展でもあるのだという。フランス語の場合とよく似た両義性が現代日本語の「自然」にもある、とベルクは指摘するのである*4
 というわけで、本来ならば複雑きわまるはずの西洋的な自然概念だが、この記事の対象は超自然概念のほうにあるため、ごく大まかに分類を試みた。まず名詞(実体、対象)としては、①総体としての自然界と②個別の自然本性がある。さらに内在で完結する①A能産的自然(②A自発的秩序)と、超越者を必要とする①B所産的自然(②B自然法則)がある。そして形容詞(状態、性質)としては「ありのままの」という意味の③自然的がある。この③も、論理的には③A「自発的秩序による」と③B「自然法則に従った」の二つに区分できる。
 超自然は、英語では形容詞supernaturalなので、基本的には③の概念を前提として、それを「超えた」状態のことである。これから見ていくように、「自然法則を超えた」というのが一般的な定義なので、より厳密には「超③B」と規定することができる。また名詞the supernaturalとしては、超②B(自然法則を逸脱したモノ)、ひいては超①B(自然界に収まらない領域)ということになる。

超自然概念の曖昧さ

 さて、「超自然的」という言葉は、文化人類学をはじめとして、主として宗教研究では今も昔も多用されている概念であるが(時には「宗教」概念の中心に据えられる)、同時に、遅くとも一世紀前にデュルケームが指摘して以来、その適用可能性について論争がなされている概念でもある。妥当性に関する議論は、1998年の時点でヴィヴェイロス・デ・カストロが述べるように、もはや「陳腐と言ってもいいぐらいである」*5
 にもかかわらず、マリノフスキーやラドクリフ=ブラウンからエドマンド・リーチ、マーガレット・ミード、レヴィ=ストロース、ヴィクター・ターナーギアツ、モーリス・ブロック、スペルベルにいたる高名な人類学者たちは、問題など存在しないかのように、この言葉を用いてフィールドの事象を描き出している。ちなみに、しばしば「人類学の父」エドワード・バーネット・タイラーがこの概念を人類学の中心に持ち込んだとされるが、これは冤罪に近い。「マナ」概念を広めたコドリントンのほうに責任があるような気がするが、この点については現在検討中。
 そもそも超自然概念は、説明なしに用いられるとき(場合によっては説明があっても)、きわめて拡散したカテゴリーを包摂していたり、部分的に取り入れたりしている。2003年のAnthropological Forum誌で「超自然」特集が組まれたときも、このことが指摘されていた。同特集の「あとがき」にて、スーザン・セレドは超自然と関連する語彙を列挙する。神聖な(sacred)、聖なる(holy)、神的(divine)、霊的(spiritual)、神秘的(mystical)、不思議な(mysterious)、超常的(paranormal)、超感覚的(extrasensory)、奇跡的(miraculous)、超越的(transcendent)、宗教的(religious)、呪術的(magical)、迷信的(superstitious)*6
 この列挙に明らかなのは、「宗教的」を含め、多くが宗教に関係する形容詞だということである。この点は、超自然概念の有効性を検討する議論の多くが、暗示的・明示的に「宗教の定義として超自然概念を用いることは妥当なのか」という問いを背景に抱えていることからも裏付けられよう*7
 この問いに肯定的な研究者たちは、必然的に、「超自然的なもの」が、単に自然的な状態を超えたものではなく、それ自体が一つのまとまりであり、一貫した秩序があるとする。そのため、超自然概念の問題は、単に「自然的な状態を超えた」という規定が妥当なのかどうかのみならず、それらが「まとまりを有している」かどうか、という点も含んでいるということは明確にしておかなければならない(超自然概念は、自然概念に対立するunnatural, preternatural, artificial, culturalなどとは異なる!)。これは「宗教」が多文化的に有効な普遍カテゴリーなのか、という問いと直結する論点でもある。

超自然概念の用法別分類

  具体的に概念の検討に入るにあたり、大型辞典の定義を利用するところから始めよう。日本語の「超自然(的)」は、英語“supernatural”やフランス語“surnaturel”、ラテン語“supernaturalis”などといった欧米諸語の翻訳語である(ちなみに、この言葉が日本語に導入されたのは1890年代で、キリスト教神学に加えて、北村透谷や坪内逍遥といった文学者が中心となっていた)。
 『オックスフォード英語辞典』(以下OED)はこの言葉の定義として、一つ目に「神的、魔術的、幽霊的存在のように、自然を超越した領域あるいはシステムに属するような。科学的理解や自然の法則を越えた何らかの力に帰せられるか、そう考えられるような。オカルト的、超常的(paranormal)。本来はキリスト教のコンテクストで、神的なものを指す」を挙げ、この意味での英語初出が1425年だとする。
 一方、『グラン・ロベール・フランス語辞典』はOEDの第一義を細分化して、第一義を神に関する「自然の力では実現できないような」とする。そして関連語として「神的」(divin)、「恩寵」(grâce)、「奇跡、奇跡的」(miracle, miraculeux)を挙げる。同項目の第二義は「自然法則のもとでは起こらないような」とされる。そして関連語として「尋常ならざる」(extraordinaire)、「驚異的な」(merveilleux)などを挙げる。さらに合成語「超自然的な力」の事例として「魔術」(magie)などを、同じく「超自然的な存在」の事例として「魔物」(démon)、「精霊」(esprit)、「妖精」(fée)、「守護霊」(génie)を例示する。ただ、この二つの定義のどちらも「自然的なものを越えた」という意味をもつ点で、OEDの定義と共通している。

 以上を簡単な足掛かりとして、ここから細かい検討に入ってみよう。『グラン・ロベール』は「神的な超自然」と「それ以外の超自然」を別の意味として処理したが、1977年、宗教人類学者のベンソン・セイラーは、この区分とは異なった角度から、社会科学における二つの用法を弁別した。彼はまず、研究者の大半はこの概念に厳密な定義を与えないまま用いていることを認める。そのうえで、一つ目として、人間の能力を超えた、「霊的」(spiritual)とか「超人間的」(superhuman)と呼ばれるものや力を指すことの多い用法があるとする(ここでは精霊的用法と呼ぶ)。二つ目は、自然の普遍的な秩序を前提として、それを超越したものを指す用法である(ここでは超越的用法と呼ぶ)*8
 ちなみに、同様の区分をホラーの哲学者ユージン・サッカーも行なっている。サッカーは、ここでいう精霊的用法を「どちらも」(both/and)、超越的用法を「どちらか」(either/or)として、さらに三つ目の、「どちらでもない」(neither/nor)という超自然を提起する。それは、人間はおろか自然なものとも関係をもたない、隔絶された思考不能な領域である*9
 話を戻すと、セイラー自身は、ギリシア自然哲学からトマス・アクィナスに至る西洋思想史における超自然概念の変遷を概観して、そもそも、この概念が西洋独自の民俗カテゴリーであることを主張する。そして、歴史的にみて、法則のある内在的な自然と、それから外れたもの=自然を超越したものという区分が、分析概念の形成にとっては好ましいと結論づける*10。すなわち超越的用法がよい、ということである。こうした超自然概念、特に超越的用法の前提とする自然概念は、基本的には法則や秩序で規定され、定常的に運動し、例外は原則として発生しない、科学的で機械論的な領域であり、さらに、事物がそうした領域に属する状態のことである。
 他方、20世紀カトリック神学における超自然思想の第一人者であるアンリ・ド・リュバックは、「超自然的」の語源を検討し、「古代において、二群の表現があることになる。一つ目は特に行為(fait)に関わるもので、二つ目は実体(substance)に関わるものである」と指摘する。前者は古代ギリシア語(特にネオプラトニズム)、後者はラテン語由来である*11。要するに、出来事自体が自然的なところを超えた状況を「超自然的」と言うか、何らかの行為主体がそれ自身で「超自然的」と言うか、という違いになるのだろう。ここでは、両者を分ける必要があるときは「超自然的現象」と「超自然的存在」と呼ぶことにする。 

 精霊的用法は古くから知られている。コドリントンのような19世紀の先駆けも重要だが、ここでは民族誌の古典を見てみると、ラドクリフ=ブラウンは、『アンダマン諸島の人々』(1922)の「宗教的・呪術的信仰」章の冒頭で、「アンダマン諸島の人々は、超自然的存在の一群の実在を信じているが、それをここでは「精霊」と呼ぶことにしたい」と宣言し、後のほうでも「より良い術語がないので超自然的存在と言うが」と説明している*12マリノフスキーの『西大西洋の遠洋航海者』(1922)もまた「呪術とクラ」の章において、「呪術が、いわば普通とはちがった種類の現実を表すこと」を理由として、それを「超自然的」「超日常的」と呼ぶことを正当だとしている。そして、「呪術が超自然的ないし超日常的なものにふれる[……]ばあいは、ある呪術の慣行に霊が結びつくときである」と述べ、超自然と霊との関係性を自明視している*13。このような民族誌的記述は戦前から21世紀にいたるまできわめて多いため、ここでは以上の二つに留める。

精霊的用法と超越的用法の重なり

 ところで、筆者自身が関心があるからここで言及するのだが、日本において「妖怪」と超自然概念の関係はどうなっているのだろうか。代表的な研究者である小松和彦は、1983年の革新的な論考「魔と妖怪」において、超自然概念を次のような説明の中で用いている。曰く、民俗社会の人々は、二つの説明体系を持っている。それは、合理的・科学的な説明体系と、非合理的で、非科学的・超越的な説明体系である。人々は、不思議なもの、怖しいものに直面したとき、まずは合理的に説明しようとする。しかしそれが無理な場合、人々は超越的な説明にすがり、対象を超自然的・霊的なものの仕業とみなす。後者が、妖怪として概念化されうる対象である*14。この理解では、超自然的なものである妖怪は明確に「超越的」なもの、科学では捉えきれぬものとされており、セイラーの超越的用法に一致する。加えて、小松は「超自然的・霊的」という概念も同時に用いているので、精霊的用法もまた、承認していることになる。

 小松の妖怪概念は、セイラーの区別する二つの用法を同化しているように見える。それならば、小松は概念を説明するときに矛盾を犯してしまっているのだろうか。しかし、そもそもセイラーの区分を鵜呑みにすべきかどうか、こちらを検討するという方向もある。
 おそらくセイラーは、概念史的にみて超越的用法のほうが妥当だという結論を出すために、精霊的用法と超越的用法が肯定的なつながりを持つ可能性を見ないでいる。しかしながら、OEDの第一義や『グラン・ロベール』の第二義によると、霊的なもの(精霊、幽霊など――超自然的存在)や超人間的なもの(魔術など――超自然的現象)は、自然法則を越えているがゆえに超自然的とされる。仮にセイラーが批判するように、社会科学においてこの概念に定義がほとんど与えられておらず、二つの用法が区別されていないとすれば、それはむしろ単純に、辞書的な意味で用いられているから、と考えるべきではないか。実際、西洋近代的主体としての研究者から見るならば、研究対象の社会で経験され語られる霊的なものや超人間的なものは、私たちの知る自然法則に違反し、超越している。この視点から判断するならば、精霊的用法と超越的用法は一致しているのである。
 さらに、小松の説明に見られるように、西洋近代における両者の一致は、非西洋近代の宇宙論とも一致しているという仮定が、精霊的=超越的用法としての超自然概念の有効性の大前提となっている。いくつか一致していることを明言する用例を挙げてみよう。古くはアーサー・ホカートが、「自然的なものと超自然的なもの」という分かりやすいタイトルの論文で、この点を主張している。曰く、フィジーなどにおいて人々が説明しがたい現象を「精霊の所業」とすることを、「自然的ではなく、超自然的である」と言う以外にどう説明すればいいのだろうか*15。また、ルース・ベネディクトはフランツ・ボアズ編集の人類学概説書に「宗教」を寄稿し、次のように述べる。

超自然的なものの概念。実際上の民族誌的記録における、宗教的なものと非宗教的なものという単純な区分についての際立った事実は、ある社会から別の社会へとこの区分を移すとき、ほとんど修正を必要としないことである。[……]これは普遍的なものである。[……]マナやマニトゥの世界については、「超自然的なもの」という術語しかない。[……]あらゆる文化はそれなりのやり方で自然的なものを定義しており、超自然的なものについても同じことが言える。自然界についての知識が増えていけば、超自然的なものは定義上限定されていくことになるのであって、このことが宗教の歴史全体を図式化する[……]*16

ベネディクトは、宗教的/非宗教的の区分を超自然的/自然的の区分と重ね合わせ、前者にマナなどの古典的概念を位置づけ、この区分が普遍的であることを示す。その際、超自然的なものは自然界の知識が増えるとともに失われていくと述べ*17、暗に西洋近代の脱魔術化が宗教史の先端にいることをほのめかしてもいる。それに加え、超自然概念は人格的な力(マニトゥ)も非人格的な力(マナ)も含み込むという点で、精霊的用法もまた含み込んでいる。

 戦前の古典的著作から離れて近年の肯定的議論を見てみよう。メラネシア研究者のロジャー・ローマンは先述のAnthropological Forum誌に寄稿した論文において、何のためらいもなく超自然的存在と精霊という言葉を互換的に用いる。そして超自然概念を「生物的基体とは独立して感覚や意思のある行為主体性を想定し、それが物理的実在の諸要素の究極の原因であると理解する、普遍的な心的モデル」と定義する*18。また、宗教社会学者のロドニー・スタークは、上述のベネディクトをはじめとする多くの人類学者を援用しつつ、「宗教」とは超自然的なものに関わる事象であると定義する。さらに、それがタイラーの「宗教の最小定義は、霊的存在を信じることである」と同じことだとする*19。スタークによると、超自然的なものとは「自然の外部にあるか自然を越えた力ないし存在のことであり、物理的な力を停止させ、変更し、あるいは無視することができる」*20もののことである。彼にとってもセイラーのいう二つの用法は重なっている。

近年顕著なのは、人間の普遍的側面を大前提とする認知宗教学にもこの考えが強く見られる点である。人類学における代表的論者の一人パスカル・ボイヤーは、宗教概念とは「重要性をもつ超自然的概念である」と定義したのち、「どんな社会にあっても、神、霊、あるいは先祖(あるいはこれらの組み合わせ)は、[……]超自然的なもののなかでは別格である」と述べる*21。さらに、ボイヤーやジャスティン・バレット、イルッカ・ピューシアイネンらは、超自然的なものを「反直観的」(counter-intuitive)として再概念化する。すなわち超自然的な幽霊や神は「反直観的な物理的特性」や「反直観的な生物学的特性[……](多くの神々は成長もしなければ死にもしない)」、「反直観的な心理的特性[……](透視や予知)」をもっているのである*22。近年のセイラーは、こうした研究を踏まえて、超自然概念ではなく反直観なら多くの宗教現象を適切に説明できる、という考えに傾いているようである*23

 認知宗教学での議論にもっとも明らかなように、超越的=精霊的用法は、いかなる文化や人間集団においても自然的なものと超自然的なもの(直観的と反直観的)という対立は存在するし、それは大まかに言って物理的なものと霊的なものの対立に相当するだろう、という想定をしている。二つの用法は、人間文化の普遍的側面の一つとして積極的に融合しているのである。このような超越的=精霊的用法を、ここでは「普遍主義的用法」と呼ぶことにしよう。

 次回は、デュルケーム(ルナン)に始まる概念批判を見ていきます。

*1:ジョン・スチュワート・ミル2011『宗教をめぐる三つのエッセイ』大久保正健(訳)、p. 53。

*2:R・G・コリングウッド1974『自然の観念』平林康之・大沼忠弘(訳)、pp. 14–15, 174–176。

*3:Carolyn Merchant, 2016, Autonomous nature: problems of prediction and control from ancient times to the Scientific Revolution, p. 13.

*4:ベルク1992『風土の日本 自然と文化の通態』、篠田勝英(訳)、pp. 217–219。

*5:Eduardo Viveiros de Castro, 2015, The relative native: essays on indigenous conceptual worlds, p. 289n8.

*6:Susan Sered, 2003, Afterword: lexicons of the supernatural, Anthropological Forum 13 (2): 216–217.

*7:文献は省略するが、デュルケーム、ロビン・ホートン、メルフォード・スパイロ、オーケ・フルトクランツ、ロドニー・スターク、ベンソン・セイラー、モートン・クラス、パスカル・ボイヤー、そしてAnthropological Forum特集など。

*8:Benson Saler, 1977, Supernatural as a Western category, Ethos 5 (1): 33–36.

*9:Eugener Thacker, 2015, Tentacles longer than night: horror of philosophy vol. 3, pp. 113–115.

*10:Saler, 1977, 50–51.

*11:Henri de Lubac, 1934, Remarques sur l’histoire du mot «surnaturel», Nouvelle revue théologique 3: 227.

*12:The Andaman Islanders, pp. 136, 162–163.

*13:ブロニスワフ・マリノフスキ2010『西大西洋の遠洋航海者』、増田義郎(訳)、p. 391, 393。

*14:小松和彦1983「魔と妖怪」『日本民俗文化大系4 神と仏 民俗宗教の諸相』pp. 345–347。

*15:A. M. Hocart. 1932. Natural and supernatural. Man 32: 59-61.

*16:Ruth Benedict. Religion. Franz Boas (ed.). General anthropology, pp. 628, 631.

*17:Cf. de Lubac 1934: 238.

*18:Roger Ivar Lohmann, 2003, The supernatural is everywhere: defining qualities of religion in Melanesia and beyond, Anthropological Forum 13 (2): 175–176.

*19:Rodney Stark and Roger Finke, 2000, Acts of faith: Explaining the human side of religion, p. 89.

*20:Ibid. p. 90.

*21:パスカル・ボイヤー2008『神はなぜいるのか?』鈴木光太郎、中村潔(訳)、p. 178。強調除去。

*22:ボイヤー、p. 105。Ilkka Pyysiäinen. 2003. How religion works: Towards a new cognitive science of religionスティーブン・ピンカー2013『心の仕組み 下』、山下篤子(訳)、pp. 471–473、Justin L. Barrett. 2000. Exploring the natural foundations of religion, Trends in Cognitive Science 4 (1): 29–34.

*23:Benson Saler, 2009, Understanding religion: Selected essays, p. 14.

ユキヒラ鍋が陶製からアルミ製になったのはいつか?

「ゆきひら」といえば『食戟のソーマ』の主人公の名字……でもあるが、一般的には調理器具、鍋の一種である。キッチンが使われている日本の家庭ならどこにもあるといっても過言ではない、ポピュラーな道具だ。漢字では行平とも雪平とも書くので、ここではユキヒラと表記する。
そのユキヒラについて、4年ほど前、友達の依頼で調査することがあった。そこで気づいたのが、意外と具体的にユキヒラの歴史について書かれていたものがないことである。ちょっと調べると分かることだが、ユキヒラはもともと陶製の鍋だった。しかし現在では、アルミ製の片手鍋のことをユキヒラと呼ぶようになっている。いつからだろうか。これがはっきりしなければ歴史について調べたことにならない。でもどうやって調べれば……?
以下は、そのときの調査をまとめたメモである。近現代の家庭用品を調べるとき、何かの参考になるかもしれないので公開しておく。

まず江戸時代。このころは陶製の蓋付き深鍋で、把手と大きな注ぎ口があった。言葉の初出である太田南畝『一話一言』には「平鍋」とあり、天明年間(1781~1789)末に都市部で普及したという。また、1832~3年の人情本春色梅児誉美』に「さめたものは雪平か小鍋でかお温めよ」とあるのについて三田村鳶魚は「「雪平」は今日で云へば土鍋だけれど、形が違ふ。もつと平べつたい」とコメントしている(『江戸文学輪講』p. 338、1928年の輪講)。だが、考古学調査で出土したユキヒラ(注ぎ口と把手がある直径20㎝ほどの陶器)は、いずれも深鍋型である。これらのユキヒラの絶対年代は未確定だが、早くて1820年代後半、遅くても19世紀半ばのものだという(『図説 江戸考古学研究事典』2004, pp. 28-29)。19世紀前半には深鍋型になったのだろう。
ユキヒラという名称は在原行平が須磨で海女に塩を焼かせた故事にちなむといい、この説は『日本国語大辞典』などに見えるが、出典は不明。『一話一言』も在原行平に言及しているが、須磨に流されていた時にこの鍋を用いていたからなのかよく分からない、と書くのみだ。ただ、曲亭馬琴が1811年に合巻『行平鍋須磨酒』というタイトルで、行平(姫に変わっている)と海女(相撲取りに変わっている)の物語を書いているので、このときまでにはそういった故事が伝えられていたのだろう。
当時のユキヒラは陶製だったが、真鍮製のものもあった。『江戸語の辞典』の「ゆきひらなべ」に引かれた『縁結娯色の糸』に記述がある(文庫版p. 1024)。わざわざ「真鍮」と書くことから、少なくとも一般的なものではなかったことがうかがえる。陶製ユキヒラは、高度経済成長期までは家庭や病院で使われていた。

現代のユキヒラに類似したアルミ製片手鍋は、昭和初期には一般家庭に普及したが、陶製のユキヒラと共存しているようである(たとえば1939年5月16日付朝日新聞6面)。この傾向は戦後に入っても変わらず、1959年3月の『商品大辞典』p. 1078でも、ユキヒラといえば土鍋のこととなっている。なお、当時のアルミ鍋は『暮しの手帖』35(1956)の「買物案内 ナベは毎日つかうものです」によるとほとんどが両手持ちだった。しかし、同じく『暮しの手帖』51(1959)の「買物案内 ふたたびナベについて」になると「3年前にはデパートの台所用品売場で、ナベといえばほとんどが両手ナベでした。……それが翌年からは、片手ナベの種類や数がグングンとふえ、……ナベの売れた数のうち、その60%から70%が片手ナベだということもわかりました」と状況が一変している(p. 101)。このようにバリエーションが増えたなかに、現在のアルミ製ユキヒラの原型も生まれたと思われる。

今のところ仮説段階だが、転機と思われるのは、通販業の日本文化センターが「《高級》打出鍋セット」を売りに出したなかに、直径18㎝の「雪平鍋」が入っていたことである。現行の、凸凹模様のあるやつだ。今のところ、1975年11月19日付読売新聞6面に広告を出しているなかにあるのが、見つけたなかでは最も古い(なお当時の社名は別)。セットのなかには直径18㎝の「片手鍋」もあるが、これは「雪平鍋」よりも深くて蓋が付いており、区別されていることが分かる。翌年9月25日付読売新聞夕刊12面には、今度は住所は同じまま社名が「日本文化センター」となって、同じ鍋セットの広告が出ている(日本文化センターの設立は75年らしいので、鍋セットは最初期のラインナップとして販促に力を入れたものと思われる)。
通販業界トップだった日本文化センターによる、全国的な商品の均一化や広告自体の存在が「ユキヒラといえばアルミ製」というイメージの普及に貢献しただろうことは容易に想定できる。とはいえ、1976年版『商品大辞典』は、まだユキヒラを土鍋に分類している(p. 1241)。なお、この凸凹アルミ鍋だが、1978年12月6日付朝日新聞38面の記事に「最近、アルミ鍋の表面に凸凹をつけた、打ち出し鍋も出ています」とあるので、早くても1970年代後半に普及したものとみられる。この記事にはちゃんと日本文化センターの「高級打出鍋全8点セット」の広告が出ている。
続いて『主婦と生活』1978年11月号の記事「お鍋の選び方・使い方」では、「アルミ製ゆきひら鍋」と陶製の「ゆきひら」が同時に紹介されている。前者にあえて「アルミ製」とつけているところからすると、この年代はアルミ製と陶製のユキヒラがまだ拮抗していたようである。数年後の1984年8月24日付読売新聞には、ダイエーが「お料理自慢の主婦に人気の高い雪平鍋」と銘打って18㎝の凸凹アルミ製ユキヒラを広告に出している。おそらく1980年代前半までには、ユキヒラといえば凸凹アルミ製ということになったのではないだろうか。
平成に入るが、『オレンジページ』1996年3月17号のp.134に「行平鍋の“行平”ってどういう意味?」というコラムがあり、この時点で「本来は……土鍋のこと」と書かれている。このコラムによると、「以前は片手鍋と呼ばれていましたが、洋風のシチュー鍋などと区別するため、形が似ている“行平”の名で呼ばれるようになりました」とある。ただし典拠は不明。

その他、当時の料理本や料理番組、映画・ドラマ・漫画などの調理シーンなども調査すればもっとはっきりしたことが分かるとは思うが、とりあえずは以上のとおり。

近世国学の妖怪論(宣長・守部・隆正)

本居宣長は、上田秋成平田篤胤とちがって積極的に妖怪的なものを語ろうとはしなかった。いちおう「カミ」の定義のなかで妖怪的なものを列挙してはいるが、付属品的な扱いでしかない。(前に紹介した↓)

youkai.hatenablog.jp

しかし、門人との問答のなかで、宣長自身がどう考えているかを披露することはあった。『鈴屋答問録』(1779)に収録されているなかに、それを見ることができる。宣長の場合、世の中で悪いことが起きても、他のすべてのことと同様、それは神々の仕業である。より具体的に言うと、禍津日の神の仕業である。神の仕業であるから、そういうものとして受け取らねばならない。神々はこの世界をすべて掌握しており、そこから漏れるものはないのだ。

「(問い)俗に疫病神といふは、古事記崇神天皇御段に、大物主神の御心によりて、神気おこりしことある、これ即疫病神か。――答。凡て神とまをすものは、……正しき善神とても、事にふれて怒りたまふ時は、世人をなやまし給ふこともあり。邪なる悪神も、まれまれにはよきしわざも有べし。……さて凡て、世間にわろきことのあるは、本は皆、禍津日の神の神霊によることなれば、この大物主神の御心より、疫を起し給へるも、本は禍津日の神の御心也。疫のみならず、万のまがごと、皆、この例をもてさとるべし。……そは何れにまれ、その時にあたりて疫をおこなふ神を、疫病神とはいひつべし。」

「疫病神」とはどういうものを指すのか、という問いに対して、それは究極的には禍津日の意志である、という。疫病神自体は、具体的な神格というより役割のようなものである。

「(問い)世にわびしくまづしくならしむるを貧乏神といひ、富栄えしむるを福の神といふ、これらも別にその神の有にはあらで、そのしからしむる神霊をいふなるべくや。――答。然也。何れの神にまれ、然らしむる神をさしていふべし。但し人をとましむる神、まづしからしむることをわざとする神も、あるまじきにあらず。」

今度は貧乏神について。こちらも同じで、禍津日の名称は出さないが、やはり役割名のように考えている。

「(問い)疱瘡神は、外国より来りし悪神なるべし。これも、禍津日神の神霊とやせむ。この病は物のたたりにもあらず、又一度やみぬれば二度とはやまぬことなど、他の病とはかはりていとあやしきはいかが。――答え。問の如く、この病は古へはなかりしかばこの神もと、外国より来り神なるべし。……何れの国の神にまれ、あしきわざするは、皆禍津日の神の御心也。さて世にこの疱瘡や疫病或はわらはやみなどを、殊に神わづらひと思ふなれど、これらのみならず、余のすべての病も、皆神の御しわざ也。その中に、そのわづらふさまのあやしきと然らざるとは、神の御しわざなることのあらはに見ゆると、あらはならざるとのけぢめのみこそあれ、……」

次は疱瘡神。これもやはり禍津日神の仕業。世界中どこでも変わらない。疱瘡は病気としては「あやしい」ように見えるけど、それは神の所業がはっきり見えるからにすぎない。すべての病気は神のせいである。

「(問い)きりしたんなどいふもの、又狐神をつかひ、また今世魔法と云類は……八十禍津日の神の類なることは知られたり。……然るをその禍津日神も、御国にて生れたまふを、そをつかう法は、御国にはなくて、他国にあるは、……大御神の御国ならぬわろき国は、彼禍神の所得たまふ国なるから、さるわろき業は中々に伝はりけんしかし。〈狐神にまれ、狗神にまれ、神をつかふわざは、さかしらに作りたるわざにはあらじ〉……さにはあらじか。――答え。……さやうの法どもの、多くは異国に伝はることは、御考の如くにてもあらむか。そはくはしきことは測りがたし。」

イヌガミなど、動物であるカミを使役するやから。日本のような神国にそのような悪法が伝わっていないのは、禍津日神が統治しているからではないかという問いに、そうなのかもしれないが、よく分からない、という宣長

すべての悪を禍津日神に帰す宣長の神学は、のちに篤胤など多くの国学者によって批判されてしまうことになる。しかし宣長自身は、こうでもしなければ、善悪正邪が入り乱れるこの世の現実を創出する神々の、その測り知れぬ所業を説明することができないと考えていた。ほとんど言及しない怪異妖怪についても、『古事記伝』にあるようにそれを「神」と見なしていたからには、何かそういうことがあったときは、禍津日神へと還元することになったのだろう。

 

宣長古事記理解を批判し、平田篤胤らとも距離を取っていた橘守部(1781–1849)は、天保年間以降、幽冥論に関心を抱くようになる。たとえば晩年の神道論『神代直語』(1846)にその思想を如実にうかがうことができよう*1。守部は、いわゆる「幽冥」のうち、神々の領域は「天」であり、死者の領域は「黄泉」であり、両者は「昼夜のごとく、海陸のごとく、夫婦のごと」く、二項対立的で補完的である、と考えていた。とはいえここでは深入りせず、妖怪系の記述をいくつか抜粋するにとどめる。

「……黄泉の界が闇(くら)き処と云にはあらず。しばらく現き人の目に見えずなり行を以て、此方より然かひなす詞なり。彼方より見ば、又この現し世の界が闇からんも知がたし。いとたまたまの事にはあれど、彼の幽魂、怨霊などの恨を報に出る事あるに、必ず先づ青き火燃ゆと云り。これすなわち彼よりは又この現し世が闇かる故に、照らし見る炬のためにぞあらん」(『神代直語』巻上)

守部にとって、死者の居所は黄泉である。しかし篤胤が「幽冥からは現世は丸見えである」と言ったのに対し、守部は微妙に違うことを推測している。どっちもどっちではないか、と言うのである。もちろんこれは推測であって、結局あちら側から現世がどう見えるか経験的に実証することはできないので「知りがた」い。だが幽霊が火をともなっていることをもって、あっちからも暗く見えるのではないかと言う。独創的である。

さて、この黄泉はどのような住人にあふれているのだろうか?

「かくてこの黄泉の界はいともいとも広くして、かの死行人の魂のみならず、禍日の八十禍、大禍をはじめ、怨霊、鬼物、妖物、諸の魔物等の隠れ栖隈路なりければ、神皇産霊尊の昔より、幽顕の隔疆(へだて)いと厳重になし給へれど、猶ともすれば、この界より凶悪(あしき)者の溢れ来て、現し世の人を悩す事あり。そもそも天つ神の賞罰は善悪邪正に随ひて、いと正しかれば、さてあるを、この黄泉の界より来る殃災は、却て善き人の禍(まが)るが多かれば、懼るべき限なり。……さればこの障礙を免んには、常に天神地祇を奉斎(いつきまつ)り、身を慎み、心を清め、仮にも悪き行跡せず、不浄に染ず、家の内をよく掃ききよめて、善き神の御霊よせあるやうに心懸くべし。物は善悪とも類を以て集るとか。かの邪神(あらぶるかみ)の好むふるまひし、魔物の羨む心をもち、竈所を汚し、火を穢し、不浄にふれなどするときは、彼の鬼物等それを慕ひて、あふれ来る事ありとぞいひ伝へたる。」

黄泉は死者だけではなく、宣長以来の悪の根源であるマガツヒをはじめ、妖怪や魔物がたくさんいるのだという。時にはそれらが現世にやってきて、人々を悩ますのだ。それを避けるためには、家や心を清浄にし、天神を奉るのがよいという。汚いところに魔物は集まるのである。それでは現世にいると思しきケモノたちの怪異はどうなのだろうか。

「世に、狐狸などの人の目に触れぬわざする事のあるは、微弱き獣ながらも、幽冥の方へもすこしは入らるる幸のありてなるべし。亦禽の中に、夜も灯の光りを倩(やとは)ずして目の視ゆる物多かり。こは野山に栖むものは、然らずては得堪べからねば、只それのみを許されて生れ得るなるべし。もし人に狐狸の術ありて、飛鳥の翅を持しめば、世の片時も治りがたかりなん故に、神の許し給はざるにこそ。」

このあたり守部はちょっと曖昧なのだが、狐狸の変化と鳥の夜目を、いずれも人間の有さないものとして並列し、前者については幽冥とちょっと関わりがあるのだろうという推測をして、後者は生きるために必要だから神がそれを認めたのだ、という風に説明している。鳥獣は生きている人間より幽冥に関係が深いという篤胤の考えをここでは継承しつつ、宣長的に、すべては神々の意志によるのだという決定論的思考も働いているようである。

なお、1844年の『稜威道別』巻二にも、少し表現を変えて同様のことが書かれている。

 

大国隆正(1793–1871)については、幽冥が国々によって違うという、蘭学が知識人に普及していった時代を象徴するような妖怪論を前に紹介した。下参照。

youkai.hatenablog.jp

ここではさらに二つ、別の妖怪論――ツクモガミとバケタマ――について紹介してみる。まず嘉永年間(1848–1855)初頭に成立したらしい『死後安心録』より。なお隆正の文章はひらがなが多いので、問題ないところは漢字になおした。

「黄泉国は邪火のこもれるところなり。今、婦人の子をうむをみるに、経行とまりて十月の間をあたため、子をうみてのち、その汚血はくだるものなり。伊邪那美命の国を生みたまへるにも、その経行の汚血なきことを得ず。その汚血、黄泉にくだりて、邪火となりてありしなり。黄泉戸のけがれてありしもこの故なり。その汚血をもて、万物の妖のはじめとす。これやがて附喪神なり。万物につきてわざはひをなすものなり。これもまたその火つぎつぎにうすらぐにより、造悪の人のたましひそれになりて、その種をたたざるものなり。日本国にて附喪といふは、万物につきてあやしみをなすものの総名にて、これにまたさまざまの差別あり。天狗も附もがみなり。狐狸もつくもがみなり。疫病神・貧乏神・疱瘡神みな、人に附も神なり。その根源は黄泉の邪火よりなれるかみにして、そのはじめは伊邪那岐命につきて、黄泉国よりこの地球上に来りし神なり。……そのやまひ、その邪念によりて身をほろぼしたる人のたましひ、又その邪神の食となりて邪神をこやし、邪神となりて邪悪をなすものなり。」

妖怪はツクモガミである! 一部ツイッターなどで話題になった、大国隆正独自のツクモガミ論*2伊邪那美であっても経血は穢れたものだから、そこから「妖」が生まれ、災いをなすようになったというのである。天狗も狐狸も、宣長の『鈴屋答問録』に出てきた悪神(疫病・貧乏・疱瘡)も、すべてはツクモガミである。この思想は、今のところ隆正以前に見ることはできず、また隆正以降も誰かが受け継いだのも見つけられていない。特異事例である。

さて隆正によれば、生まれ変わりにもツクモガミが関与するという。

「人死にて、……その魂は、墓に留まるあり。位牌に留まるあり。かねて行かまくほりしところに至るもあるべし。浮かれ歩くもあるべし。ただちに幽界に入るもあるべし。いずくにありても、幽界の政所に呼ばれて、その裁判にあひ、畜生のたまに添ふもあるべし。人間のたまに添ふもあるべし。いずれに添ふもみな、つくもがみなり。おのれ是まで心をつけて生れ変りの説をきくに、まるまる生れ変るものにあらず。……しかるに生れ変りといふ証跡の折々あるは、皆つくもがみの類にて、狐の人につくごとく、その人の元霊のある上に、つきて生まるるものなれば、つひには離るることもあるなり。幼年にしてよく文字を読み、文字を書きなどするものの、成長して愚かになる類、多くはつきて生まるる妖(もの)ありて、のちに離れて、元霊のその愚かなるにかへるもの多かり」

この引用の冒頭は、「死者はどこにいる?」という近世のさまざまな考え方を全部受け入れてしまったすごいところであるが、それはともかく、これから生まれる別の霊魂にともなうものはツクモガミであるという。純粋な生まれ変わりというのは存在しない。前世から引き継いだと思しきものは、実はすでに死んだ霊魂がツクモガミとなって取り憑いているのだ。のちに離れていくことがあるので、神童が凡才になるというのもこれで説明できる、という悲しい話。

もう一つは、『死後安心録』より後に成立した、有名な『本学挙要』(1855)から。霊魂の種別を述べるところで、いわゆる四魂のほかに「はけだま・ことだま」の解説が続く。

「「はけだま」の「はけ」は、俗にいふ「ばけ」なり。いにしへは、「はけ」とすみていひけん。今は、「ばける」「ばかす」など、濁りていふなり。これは、空中をゆき、質を気にし、気を質にするたぐひ、人のなし得ざることをするたまなり。そもそも、第四の神代、幽よ顕の分界なかりしほどは、人も空中をゆき、神も人に雑はりてありしなり。天孫降臨ありしはじめ、石根・木根の言霊を離して、禽獣にもものをいはしめず、そのかはり人の「はけだま」を離してあやしきわざをなさしめず、この時より、いまの天地とさだまれるものになん。……人にもありける「はけだま」を離したまへる考証、書籍にはあらぬなり。しかれども石根・木根の言霊を離したまへる故事のあるにより、その一対なれば、必ず人にありける術魂(ハケダマ)を離したまひけんと知ることなり。これにより、狐狸のたぐひには妖魂(バケダマ)ありて言霊なく、人には言霊ありて妖魂なし。これは今の天地・世界のありさまを考証によりて、これを知れるなり。これを知りてみれば、空海のたぐひ、人にして妖術(ハケダマ)あるは、賤しむべきこととさとる也」

バケダマは、今風に言えば物質を出現させたり消したりする力能のことと隆正は解釈して、それが禽獣、とくに狐狸には備わっているという。原初アニミズム的な、すべての存在がコトダマとバケダマをもって相互行為していた時代は天孫降臨によって終わりを告げ、人間にはコトダマが、その他にはバケダマが残ったのだ、という。だから人間がバケダマを駆使するのは「賤しい」ことなのである。「術魂」は『先代旧事本紀』(9世紀)の巻第四「地祇本紀」が大己貴命の魂の一つとして言っているもので、記紀には見えない。それを隆正は、禽獣の有する/人間の有さない魂として解釈しているのである。

ところで術魂は、近代的鎮魂行法の大家・川面凡児(1862–1929)の理論にも登場している。彼によると「禍魂(まがたま)とは旧事紀にあるところの術魂で奇魂幸魂等の悪化凶変して自他を禍する魂であります」(『霊魂の典故』、『川面凡児全集』第1巻所収)、「術魂を「バケミタマ」と云ふは「バケ」は変化して白が黒に、黒が白に変化するの意味なのである。また「ハ」は「マ」に通ひ、「ケ」は「カ」に転じ、「まがる」なり「曲る」なり。直しきものが曲りたる意味で魔魂(まがたま)となる」(『日本民族宇宙観』1913、p. 171)と論じている*3。津城寛文によれば、川面の霊魂論において「全身の統一した状態において、主要な魂が体外に脱出して何らかの活動をなすことを」魂の分出と言い、「もしこの統一に欠陥があった場合、分出魂はその脱魂してきた元の身体の不調に牽制されて充全な活動をしないまま帰還し、虚偽の活動報告をなすことがあるという」。これが術魂なのである*4。要するに、隆正のように人間以外の禽獣に属すものでもなく、怪異をなす人間が有するものでもなく、あくまで自らの霊魂をコントロールができなかった状態において現れるのが術魂、というわけである。

*1:守部の幽冥論については、東より子2016『国学曼陀羅 宣長前後の神典解釈』第3章など参照。

*2:大国隆正のツクモガミに言及しているのは、管見では浅田雅直1989「近世後期国学者民間信仰 平田篤胤の「幽冥」の位置(下)」『日本学』13, pp. 211-212のみである。しかし隆正がそういう名称を持ち出したのを触れるのみで、詳細を論じているわけではない。

*3:津城寛文1990『鎮魂行法論 近代神道世界の霊魂論と身体論』p. 251に引用。なお津城はp. 250で隆正はほとんど術魂を論じていないとしているが、『本学挙要』は見逃していたのだろうか。

*4:津城、pp. 251–252。

前期国学の妖怪論

近世国学の妖怪論はどうなっていたのか。平田篤胤が語りすぎたので、一人だけ有名になってしまっているが、前期国学の人々も、当時の多くの知識人と同じように、通りすがりに程度であるが、怪異・妖怪について語っているところはある。ちゃんと調査したわけではないので多分もっとあるとは思うが、ここでは国学四大人のうち篤胤以外の三人の著作から、それっぽいところを抜き出してみた。

ツイッターにも書いたが、僕の関心は「もとから化物である存在が幽冥界にどうやって取り込まれていったのか」なので、以下の国学者たちの思想は、正確に言うと大半が関心から外れるのだけど、参考までに。

篤胤以降については以下も参照。

youkai.hatenablog.jp

1、荷田春満(1669~1736)

今日の上にて、妖妄怪異の事の世の中にあるは、みな国津神の神化也。ないとはいはれぬ、なるほど天地の間にはさまざまの不思議なる事あり。これ国津神の仕業也。然れども其義は天神の神徳化にてはなき也。さればかつて尊むべきことにてはなき也。然れども今の世は、みなそのあやしき奇怪なる事を云ふ者を、神道者などゝ心得て居ること也。天神の道には怪異なることはなく、恒常不変の徳化を被施を、天津神とは奉尊称こと也。(『日本書紀神代巻箚記』1707頃?)
*怪異は国津神の仕業。ちゃんとした神様はそんなことしない。ここは日本書紀神代巻下の、さばえなすあしき神云々に対する注釈。

2、賀茂真淵(1697~1769)

すべてむくひといひ、あやしきことゝといふは、狐狸のなすこと也。凡天が下のものに、おのがじゝ、得たることあれど、皆みえたること成を、たゞ狐狸のみ、人をしもたぶらかすわざをえたるなり。(『国意考』1769)
*因果応報や怪異は狐狸の仕業。

3、本居宣長(1730~1801)

迦微(かみ)と申す名義は未だ思得ず、〈旧く説ることども皆あたらず、〉さて凡て迦微とは、古御典に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き物を迦微とは云なり、〈すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり[……]竜・樹霊(こたま)・狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり、木霊とは、俗にいはゆる天狗にて、漢籍に魑魅など云たぐひの物ぞ、書紀舒明巻に見えたる天狗は、異物なり、又源氏物語などに、天狗こたまと云ることあれば、天狗とは別なるがごと聞ゆめれど、そは当時世に天狗ともいひ木霊とも云るを、何となくつらね云るにて、実は一つ物なり、又今俗にこたまと云物は、古へ山彦と云り、これらは此に要なきことどもなれども、木霊の因に云のみなり[……]磐根・木株・草葉のよく言語(ものいひ)したぐひなども、皆神なり〉[……]貴きもあり賎きもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、[……]〈最賎き神の中には、徳(いきおい)すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや〉
(『古事記伝』1764~1798)
*異常なことができるならば、善悪にかかわらず、キツネも天狗も竜も神である。『古事記伝』のなかでも一番有名なこの部分は、基本的には記紀における「迦微」概念の外延を示したものであるが、部分的に宣長の同時代における妖怪を意識したところも見られる。喧嘩相手の上田秋成とは違い、宣長は同時代の怪異妖怪をほとんど語らなかったし、ここでも「ここで別に言うことではないが」と言っているが、けっこう熱く天狗について語っている。

「妖怪は神経のせい」言説はどこまで遡れるのか?

三遊亭円朝が『真景累ヶ淵』(活字1888)の始めに「幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方のお嫌いなさる事でございます」と語ったように、「妖怪や怪談なんてものはない!」と否定する言説は明治時代の「文明開化」に始まった、というか本格化したと一般に考えられている。妖怪研究でいうと、たとえば江馬務は、『日本妖怪変化史』(1923)の叙述を幕末で終わらせて、「明治以降、学術の進歩とともに神秘幽冥の秘鑰は学理の明鏡の下に啓かれ」たと述べている。円朝の時代はともかく江馬の時代は、少し前に亡くなった井上圓了の迷信(妖怪)打破運動が影響を強く残していただろう。

もちろん(柳田國男が圓了をディスって言うように)近世期にも否定論はあったし、近代以降も肯定する言説はあった。とはいえ近世と近代でまったく同じ言説が繰り返されていたわけではない。特に否定派からみて大きく変わったのは、自説を位置づけるべき知的体系がまったく別ものに転換したということである。具体的に言うと、近世の否定論は朱子学石門心学によることが多かったが、明治以降は「神経」をはじめとする西洋近代的な学問によることが多くなったのである。

この転換は、狐憑きの否定論が近世と近代でどう違うかを見ると分かりやすい*1狐憑きを心的なものとみなす言説は、近世の医家や儒者を中心として多数あったにもかかわらず*2、明治時代の多くの(権威ある)文献が、西洋近代医学に由来する「神経病」を根拠とするようになってしまったのである。

神経を原因とする言説は、早いところでは、川村邦光が指摘するように『明六雑誌』に載った「狐説の疑」(1874)が挙げられるだろう。この論説は、狐憑きは「近来西洋の説来りしより、皆一種神経迷乱の疾たること、明かになりぬ」と断言しているのである*3

神経を持ち出して否定されるのは狐憑きだけではなかった。円朝の言うように幽霊もまた「神経」の働きに還元されたのである。三浦正雄は「近代の怪談についてのスタンスの主流は、怪談を病理として理解するということで、近世までの怪談観とは大きく異なっている」と指摘している*4。江戸期に出回っていた怪異否定論は明治期に入って一旦リセットされ、改めて西洋近代科学の光のもとに再解釈が行なわれるようになったのだ*5

こうした妖怪否定論に用いられる当時の「神経」は、人体組織としての「神経」というより、心の負担のかかった状態を指すことが多かったようである(ちょうど英語のnervousのように)。また、佐藤雅浩が指摘するように「この時代に精神疾患を表わす一般的用語であった「狂気」や「痕癒」、そして法律用語であった「精神喪失」などの概念は、因習打破の文脈で用いられることが殆どない」*6ことも興味深い。佐藤はこの理由を、東洋医学の「心経」や般若「心経」のイメージから考察している。「心」という漢字が表しているように、「神経」はまさしく「心」でもあった。

ところで谷口基は、怪異現象を「神経」「神経病」のせいにする言説の始まりはわかっていないと述べつつも、『旧習一新』(1875)を古い例として挙げる*7。また一柳廣孝は、やはり1875年に『読売新聞』*8に掲載された「神経病というものは我心のおもいが業といたすものにて決して幽霊などというものは世の中には有りません」という記事を早期のものとして紹介している*9。川村が紹介する「狐説の疑」は特定の怪談に対する言説ではないので、厳密に言うなら谷口や一柳の想定しているものとは異なるのだろうが、1874年の記事なので『旧習一新』や『読売新聞』記事よりも1年さかのぼることができる。とはいえ「狐説の疑」の文言からして、神経による説明が始まった時期はさらに前の時代に求められるだろう。

それでは「神経」に原因を求めるのはいつ頃からだと言えるのかということだが、先行研究をみるかぎり1874年か1875年を起点にしており、はっきりしたことは分かっていないようである。よく知られているように言葉としての「神経」は『解体新書』(1774)が初出であり、18世紀終わりから19世紀前半にかけては、もっぱら蘭学を修めた医者が用いるものだった。そのため、まずは医学的言説のなかに、神経による否定論が現れたのではないかと思うのだが、はっきりしない。

先行研究の豊富な「狐憑き」について見ると、本間棗軒の『内科秘録』(1864)巻五に「嘗て狐憑のことを洋学者数家に質問するに、「洋籍に狐の人を惑し、人に憑ことを説かず。且つ窮理を以てこれを考るに、狐憑鬼祟の類は、実に精神の疾病にて、決して鬼邪・狐狸の憑依するに非ず」と云へり」とあり、これが西洋医学の観点を利用してこの現象を「精神の疾病」とした最初期の例だと指摘されている*10。だが、棗軒の解説に「神経」の語は用いられていない。

洋学に依拠した妖怪全般の心因説については、管見ではさらに『気海観瀾広義』(1856–1858)巻一までさかのぼれる。

「ただ冤鬼妖怪は、誑惑癖をなすの妄念より出づ。否ば夢。否ば戯造。否ば暗夜、若は月下に嚝地を過ぎ、恐怖の余、一像を想出するに因る。……故に凡そ異事あれば、丁寧に注意し、務めてその因を察すべし。蓋しこの世界中、理外の事のあることなければなり」

ただ同書では、他の箇所で「神経」という語は用いられているものの、妖怪については用いられていない*11

実のところ、神経と否定論のつながりはもっと遡れる可能性もある。平田篤胤が初期の主著『霊の真柱』(1812)において、蘭学者を批判するところで「疫神、幽魂、狐妖の類ひも、四元の理、また神経の謂を知り、蘭書によりて考ふるにかつてなき理りぞ、など強言すめれど」云々と言っているのである*12。これをふまえると、否定論と神経とのつながりは従来の指摘よりも半世紀以上も遡ることになる。ただ、『霊の真柱』以前に、妖怪は神経の謂れを知ればありえないことだと論じた蘭学書は見つけられていない。また、篤胤の引くこの主張が19世紀後半における「精神の疾病」や心因説と同じものを指しているかどうかもわからない。「神経の病のせい」というのではなく「神経の仕組みをわかれば理解できる」という言い方なので、まだ「開化先生」の段階には達していないようにも見える。

参考までに篤胤と同時代の蘭医書を見てみると以下のような記述がある。まず廣川獬の『蘭療方』(1804)では、ある薬剤の有効範囲として「或は癇瘈失心、或は癲癇昏倒、或は風毒疼痛、或は狐狸邪祟等」が指示されている。この記述のなかでは、狐狸のなす病気が癲癇・失心などと並列されているが、少なくともここでは憑依の心(神経)的説明は現れていない。

また、江馬松斎編訳の医学書『和蘭医方纂要』(1817)巻一の「失気昏冒」(突然昏倒すること)は、その原因の一つを「或は狐狸妖怪の驚かす所と為る」とする。これに従うならば、狐狸は人間の身体内部にまで入り込むのではなく、あくまで外在的な行為主体として、人間をある種の病気にさせるということになる。その「驚かす」やり方は具体的には書かれていないが、「妖怪」という表現が付されていることを考えると、19世紀後半には否定されることになる、妖怪的な効力が想定されていたように思われる。

というわけで、いまいちよく分からないままなのだが、たとえば宇田川玄真『医範提鋼』(1805)に「凡そ眼・耳・鼻・舌の、視・聴・嗅・味をなすは、皆その神経の知覚感触の為に由る。即ち物を視るはその形色悉く眼中の諸膜及び諸液に透映し、眼底に系る所の視神経に触て知覚するなり」云々とあって、人間の感覚はすべて神経に依存することが説明されている。すでに18世紀には、怪しいことを心の迷いのせいとする言説の一群が花開いていたので*13、そうした説明を西洋医学パラダイムで読み替えた蘭医・蘭学者がいたのかもしれない。

 タイトルに対する答えは出ていないので、これからも地道に探していきます。

*1:狐憑きと神経病の関係については、川村邦光1997『幻視する近代空間 迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(新装版)』pp. 82–109;兵頭晶子2008『精神病の日本近代 憑く心身から病む心身へ』;佐藤雅浩2013『精神疾患言説の歴史社会学 「心の病」はなぜ流行するのか』第2章を参照。

*2:中村禎里2003『狐の日本史 近世・近代篇』第6章;渡会好一2003『明治の精神異説 神経病・神経衰弱・神がかり』pp. 108–109。

*3:山室信一・中野目徹(編)2008『明六雑誌 中』p. 191。川村邦光2007「近代日本における憑依の系譜とポリティクス」『憑依の近代とポリティクス』pp. 24–25参照。

*4:三浦正雄2007「神経病としての怪談 日本近現代怪談文学史(1)」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』7: 268。

*5:横山泰子1997『江戸東京の怪談文化の成立と変遷 一九世紀を中心に』pp. 308–314。

*6:佐藤、p. 115。

*7:谷口基2009『怪談異譚 怨念の近代』pp. 68–70。川村『幻視する近代空間』p. 102も同様。

*8:ちなみに、当時『読売新聞』を発行していた日就社は、以前拙稿で述べたように、他の雑誌でも啓蒙的な解説を展開していた(廣田2016「俗信、科学知識、そして俗説 カマイタチ真空説にみる否定論の伝統」『日本民俗学』287: 12–14)。この拙稿では1875年創刊の『学びの暁』しか紹介できなかったが、同社の発行する児童向け小冊子『小学雑誌』にも、たくさん啓蒙的言説が確認できる。たとえば1876年8月16日刊の第48号には「お化といふ者はある筈はない。あれは皆な気から見る者だから、そんな虚(うそ)を云て聞せるのではないよ」とある。

*9:一柳廣孝2014「怪談の近代」『文学』15 (4): 19。

*10:中村、pp. 411–413;兵頭、pp. 83–86。

*11:この箇所はけっこう有名らしく、1872年の東江楼主人『童蒙弁惑 珍奇物語 初編』上巻の「妖怪(おばけ)の説」などに、やや表現を変えて転用されている。

*12:新修全集7巻、p. 184。

*13:堤邦彦『江戸の怪異譚』pp. 350–354;門脇大2012「心学書に描かれた怪異 心から生まれる怪異をめぐって」『国文論叢』45参照。