ユキヒラ鍋が陶製からアルミ製になったのはいつか?

「ゆきひら」といえば『食戟のソーマ』の主人公の名字……でもあるが、一般的には調理器具、鍋の一種である。キッチンが使われている日本の家庭ならどこにもあるといっても過言ではない、ポピュラーな道具だ。漢字では行平とも雪平とも書くので、ここではユキヒラと表記する。
そのユキヒラについて、4年ほど前、友達の依頼で調査することがあった。そこで気づいたのが、意外と具体的にユキヒラの歴史について書かれていたものがないことである。ちょっと調べると分かることだが、ユキヒラはもともと陶製の鍋だった。しかし現在では、アルミ製の片手鍋のことをユキヒラと呼ぶようになっている。いつからだろうか。これがはっきりしなければ歴史について調べたことにならない。でもどうやって調べれば……?
以下は、そのときの調査をまとめたメモである。近現代の家庭用品を調べるとき、何かの参考になるかもしれないので公開しておく。

まず江戸時代。このころは陶製の蓋付き深鍋で、把手と大きな注ぎ口があった。言葉の初出である太田南畝『一話一言』には「平鍋」とあり、天明年間(1781~1789)末に都市部で普及したという。また、1832~3年の人情本春色梅児誉美』に「さめたものは雪平か小鍋でかお温めよ」とあるのについて三田村鳶魚は「「雪平」は今日で云へば土鍋だけれど、形が違ふ。もつと平べつたい」とコメントしている(『江戸文学輪講』p. 338、1928年の輪講)。だが、考古学調査で出土したユキヒラ(注ぎ口と把手がある直径20㎝ほどの陶器)は、いずれも深鍋型である。これらのユキヒラの絶対年代は未確定だが、早くて1820年代後半、遅くても19世紀半ばのものだという(『図説 江戸考古学研究事典』2004, pp. 28-29)。19世紀前半には深鍋型になったのだろう。
ユキヒラという名称は在原行平が須磨で海女に塩を焼かせた故事にちなむといい、この説は『日本国語大辞典』などに見えるが、出典は不明。『一話一言』も在原行平に言及しているが、須磨に流されていた時にこの鍋を用いていたからなのかよく分からない、と書くのみだ。ただ、曲亭馬琴が1811年に合巻『行平鍋須磨酒』というタイトルで、行平(姫に変わっている)と海女(相撲取りに変わっている)の物語を書いているので、このときまでにはそういった故事が伝えられていたのだろう。
当時のユキヒラは陶製だったが、真鍮製のものもあった。『江戸語の辞典』の「ゆきひらなべ」に引かれた『縁結娯色の糸』に記述がある(文庫版p. 1024)。わざわざ「真鍮」と書くことから、少なくとも一般的なものではなかったことがうかがえる。陶製ユキヒラは、高度経済成長期までは家庭や病院で使われていた。

現代のユキヒラに類似したアルミ製片手鍋は、昭和初期には一般家庭に普及したが、陶製のユキヒラと共存しているようである(たとえば1939年5月16日付朝日新聞6面)。この傾向は戦後に入っても変わらず、1959年3月の『商品大辞典』p. 1078でも、ユキヒラといえば土鍋のこととなっている。なお、当時のアルミ鍋は『暮しの手帖』35(1956)の「買物案内 ナベは毎日つかうものです」によるとほとんどが両手持ちだった。しかし、同じく『暮しの手帖』51(1959)の「買物案内 ふたたびナベについて」になると「3年前にはデパートの台所用品売場で、ナベといえばほとんどが両手ナベでした。……それが翌年からは、片手ナベの種類や数がグングンとふえ、……ナベの売れた数のうち、その60%から70%が片手ナベだということもわかりました」と状況が一変している(p. 101)。このようにバリエーションが増えたなかに、現在のアルミ製ユキヒラの原型も生まれたと思われる。

今のところ仮説段階だが、転機と思われるのは、通販業の日本文化センターが「《高級》打出鍋セット」を売りに出したなかに、直径18㎝の「雪平鍋」が入っていたことである。現行の、凸凹模様のあるやつだ。今のところ、1975年11月19日付読売新聞6面に広告を出しているなかにあるのが、見つけたなかでは最も古い(なお当時の社名は別)。セットのなかには直径18㎝の「片手鍋」もあるが、これは「雪平鍋」よりも深くて蓋が付いており、区別されていることが分かる。翌年9月25日付読売新聞夕刊12面には、今度は住所は同じまま社名が「日本文化センター」となって、同じ鍋セットの広告が出ている(日本文化センターの設立は75年らしいので、鍋セットは最初期のラインナップとして販促に力を入れたものと思われる)。
通販業界トップだった日本文化センターによる、全国的な商品の均一化や広告自体の存在が「ユキヒラといえばアルミ製」というイメージの普及に貢献しただろうことは容易に想定できる。とはいえ、1976年版『商品大辞典』は、まだユキヒラを土鍋に分類している(p. 1241)。なお、この凸凹アルミ鍋だが、1978年12月6日付朝日新聞38面の記事に「最近、アルミ鍋の表面に凸凹をつけた、打ち出し鍋も出ています」とあるので、早くても1970年代後半に普及したものとみられる。この記事にはちゃんと日本文化センターの「高級打出鍋全8点セット」の広告が出ている。
続いて『主婦と生活』1978年11月号の記事「お鍋の選び方・使い方」では、「アルミ製ゆきひら鍋」と陶製の「ゆきひら」が同時に紹介されている。前者にあえて「アルミ製」とつけているところからすると、この年代はアルミ製と陶製のユキヒラがまだ拮抗していたようである。数年後の1984年8月24日付読売新聞には、ダイエーが「お料理自慢の主婦に人気の高い雪平鍋」と銘打って18㎝の凸凹アルミ製ユキヒラを広告に出している。おそらく1980年代前半までには、ユキヒラといえば凸凹アルミ製ということになったのではないだろうか。
平成に入るが、『オレンジページ』1996年3月17号のp.134に「行平鍋の“行平”ってどういう意味?」というコラムがあり、この時点で「本来は……土鍋のこと」と書かれている。このコラムによると、「以前は片手鍋と呼ばれていましたが、洋風のシチュー鍋などと区別するため、形が似ている“行平”の名で呼ばれるようになりました」とある。ただし典拠は不明。

その他、当時の料理本や料理番組、映画・ドラマ・漫画などの調理シーンなども調査すればもっとはっきりしたことが分かるとは思うが、とりあえずは以上のとおり。