翻訳モーリス・ブロック3

様々に異なった超自然的信念と認知的態度
私が論じているのは、スペルベルとボイヤーが間違っているのはすべての宗教的な現れが認知的にも卓越的にも反直観的だと考えている点であり、それは宣教師がその手の信念しか探さなかったことと同断だ、ということである。私の読みでは、スペルベルとボイヤーが宗教的なものを反直観的なものと同一視するとき、二人とも意図せずしてキリスト教的というかセム的宗教の観点から思考していたのだろう。それは、おそらく彼らがそれ以外の宗教を知らない人向けに書いていたからであろう。もし二人がマラガシの事例について考察を加えていたならば、彼らもまた適切にサンピとそのカルトのなかに、彼らのいう反直観的なものを見つけていただろうが、しかし誤って祖先にも反直観的なものを見つけてしまっていたのではないかと思う――この二種類の現象を彼らは十把一絡げにしてしまうのだろう。彼らが見分けられないだろう理由は、二人が、本論で行ったのとは反対に、自然な状況において上記の二つの非常に異なったエージェントが現実に喚起されるときの性質によっておもに情報を得る、というアプローチをもとにしないだろうからである。民族誌的なフィールドワークのようなことが、これを格別にうまく行なえるのだ。

しかしこのスペルベル・ボイヤー批判には、多くの相関する反論があるように思われる。第一に、二人とも自分で、祖先のような存在についての信念の、当然視されるという特徴や親近感は、人々がその信念対象に対してもつ態度とは無関係だとして議論を擁護することができるだろう。彼らはまた、マラガシの人々が祖先の送る疫病を恐れるのだとするなら(事実恐れている)、そして祖先と接触するときに尋常ならざる物事つまり儀礼を行なうのだとするなら、こうした交流方法の奇妙さが、祖先の反直観的な性質を論証することになる、とも論じることだろう。

祖先が語ると言われ、またマラガシにとっても誰にとっても死体が語らないという変えようのない事実はあるにしても、祖先のような存在を反直観的と扱うことの問題は、それが、人々が当の超自然的存在に向けて見せている通常の態度を無視しているということである。祖先について言明する大半の人々は、ほとんど常に、自分たちは反直観的存在のことを言っているなどとは示さない。それゆえ、彼らの言明をこの手の心的状態を示すものと解釈することは正当とはいえないと思われる。祖先を反直観的存在に分類することは、民族誌的にいって間違ったことを意味しているのだ。つまり、通常のマラガシの人々にとって、祖先が、信仰告白のなかで喚起される存在や、さらに言うなら特定のサンピへの信念と同じ種類の属性を持った同じ種類の存在として経験される、ということは誤りなのである。この違いを無視することで、私たちは、おそらく表面的にはある点からして同系かもしれないが(民族誌家からすれば同じように奇妙に見えるから)、私たちが見てきたように社会的・文化的・コミュニケーション的、認知的な観点からしてそれより対比的ではありえない諸現象を一緒くたにしようとしているのだ。このカテゴリー上の違いは、歴史に対する異なった反応を綿密に見ることで明らかにされる。

問題の基本にあるのは、反直観的なものをア・プリオリな特性と同一視する立脚点である[要するにブロックは、スペルベルらが自分たちの価値観で表象を直観的・反直観的だと判断しているのだ、と批判している]。これは反直観性は示された存在の性質から推測できるとして、現実の状況におけるコミュニケーション的な実践の役割を無視しているようなものだ。このことはスペルベルとボイヤーが、他の人々が除外していると批判する当のものだった。さらにこうしたアプローチは、時間や異なった環境ごとにそうした存在への人々の態度が留まることなく変化していくということを無視している。だから、ある表象は、ある人物が最初にそれにいきなり出くわしたときには反直観的だと理解されるのかもしれないが、言うなれば、それがすっかり馴染みのものになったときには明らかに最初のときと同一の認知的意義を持っていない。むしろ、自身にとっても周囲の人々にとっても、それを記憶できるかぎりにおいて、正当なものとされるのだ。

追加的な問題として、受け入れられた命題という事例(たとえばマラガシにとっての祖先の存在)――議論の争点になったことはないし、どんな形であれ特異なものとして修辞的に際立たせられるわけでもない――は、日曜日を「私は信じる」というフレーズで始めることで、疑念のなかにあるとか尋常ならざるものだと絶えず標されるような信念の表明の内容とは、まったくの別物である。前キリスト教マダガスカルのような社会にあっては、宗教的なものの諸側面の大半に典型的なのは前者の状態なのだが、すべてがそうだというわけではない。事実、問題はさらに輻輳しているだろう。なぜなら一部の人々はつねに祖先を反直観的だと考えているだろうし、他の人々はつねに祖先を反直観的な気配の何もないものという態度を取っているし、さらに別の人々は、時折、刹那に祖先についての言明が反直観的だと思うこともあるだろうが、だいたいの場合、そうしないだろうからだ。事実、事例証拠の大多数を基に考えるならば、マラガシにとっては第三のケースがもっとも一般的だと考えられるが、だからといってこの二つの態度が鋭く対比されているわけではない、ということを意味しているのではない。

こうした態度の根本的な差異がスペルベル・ボイヤー型の宗教理論において無視されるべきではない。なぜならこれこそが、二人が歴史的・進化的な行く末の説明だとみなす、ある種の表象のなかの反直観的なものの人を引きつける認知的現前だからだ。だからスペルベルとボイヤーは、もしある種の表象が、そうした表象を持つ人々(注意:表象それ自体で、ではない)に現れるかたちにおいて反直観的だとするならば、表象は何かしら刺激的で検討するのが興味深いものとされるようになり、集団内に広まって定着し、文化の一部になっていくだろう、と論じているのだ。しかし私は、もし人々が語る表象が、当の人々にとって全く異なった認知類型のものであり、反直観度において非常に大きな差異を示すように見えるのならば、その記憶しやすさや記憶しにくさも、全く異なったものになるだろう、と考えてみる。さらに、そうした表象の一部がほとんど直観的な信念と同じくらい馴染みのものだとするならば、反直観的なものの刺激に付与された特別な記憶しやすさは失われていくだろう。

私のスペルベル・ボイヤー宗教理論批判に対する第二の反論は、少し似ているところがあるが、次のように言うことができるだろう。マラガシは日常的基盤においては祖先といった存在の存在論的身分についてふつうほとんど関心を持たないだろうが、彼らがそうした超自然的存在とのコンタクトを望むとき(たとえば祖先が送り込んだ疫病を撤退させてほしいと願うとき)、交流を試みる行為そのものによって、彼らは信念の反直観的性質を顕わにすることになる。なぜならそうしたコンタクトは通常の生き物と行なうときのストレートな方法では確立できないからだ――と論じることができるだろう。

この反論に従うと、祖先のような存在と交流できるための方法[=儀礼]は、その方法を用いるのが本当に重要なとき、たとえば双方向の会話に加われるような近所の人と交流するときの方法と、ドラスティックな対比を描くことになる。死んだ祖先とは、近所の人と行なえるようなストレートな相互的交際はできないし、むしろ儀礼をとおして交換がなされなければならない。この事実は祖先の反直観的な性質を前景に押し出すことになる、と論じることができる。私たちが儀礼と呼ぶものは、用いられる交流方法の奇妙さこそを特徴としているのだ。たとえば、儀礼においては、日常生活の典型的な手段・目的の合理性は、儀礼実行者を含んだ関与している人すべてにとって曖昧なもののために放棄され、彼らにはそれを説明する義務が生じる(これは、ふつうの環境においては民族誌家が出くわさないものである。彼らがそれをすべきというわけではない)(たとえばLeach 1954: 11参照)。

しかし私の続ける解釈に従うと、参加者は、儀礼によって、述べられている存在の直観的ないし反直観的性質に気付くことができるようなものではなく、まったく逆である。むしろ、儀礼を交流手段として用いること自体が、反直観的要素への気づきの焦点になっていくのであり、それに対してこのプロセスで喚起される存在はほとんど完全に視野から消え去ることになる。

これは、儀礼が、それに関与する諸々の力や、交流の厳密な性質の合理性についての、主知的で言説的な評価の可能性を排除するからである。ある種の儀礼は実際祖先へと「呼びかけられ」、そうして彼らが考えているのは、死者である人々が物事を行なえるようなところに来て、不可視で音を出さない方法でそれらを行なうということだが、それでも儀礼の性質自体には、私を含む多くの人類学者たちが指摘してきたように、語りではなく歌唱としての行動、ストレートな記号ではなく羊と魚のような説明のない象徴が関わっているのであり、このことがそれらを意味論のカテゴリーではなく語用論のカテゴリーに位置付けるのである。儀礼のコンテクストにおけるいかなる命題についても、たとえ暗黙的にであれ、「直観的」か「反直観的」として扱えるような、この世界についての特定の何かを表明しているのかどうか、誰も確証を持てないだろう。私がここで語っている諸行為を儀礼と名付けることが合理的なのは、それゆえ、諸行為が用いる交流様式の尋常ならざる特徴があるからであって、その意味論的内容の尋常ならざる特徴ではないのだ。儀礼はふつうの理解や意味の代替物である交流実践をともなうのであり、それはまた、私たちがふつうは理解するのに必要だと考えている(そして、私たちや他人が何を信じているかを私たちが解釈できるような)手段を妨げ干渉する実践でもある。人は、通常の行動を根底から変更することにより、儀礼的な交流様式に足を踏み入れるのだ。発話は歌唱になり、声なき歌唱にさえなる。慣習的な、目的へと向かう手段の適応は曖昧になる。ポール・グライス的な要求は地平のどこにも見当たらない。殺すことにより癒す。身体的・言語的な運動を他者の運動とシンクロさせることも多い。こうしたことは、儀礼の参加者が、行為をして自らの声や身体を使うのが自分なのかそれとも自分のなかの誰かなのか確証を持てないかぎりにおいて、妥当する。だから、祖先に関わる儀礼においては、参加者は高度に喚情的だが意味論的には曖昧な世界を浮標している。儀礼はこの状態に至るための試みなのである。鏡の向こうに行く必要があるというわけだが、そこに行くや、人はあらゆる参照点を失うことになる。要するに、儀礼実践においては、祖先が反直観的かもしれないという事実の認知的効果は無関係なものになるのである。

さらなる側面もある。定義からして儀礼は自然に生起するものではありえない。儀礼は慣習的な行動であって、そこでは表象を伝承するために人が語ったり行なったりするものを形にしようとする意図は不可能なものになる。なぜならそれらを形にすることは、遥か過去、ある人物か知られざる人物によりすでに行われてしまっているからである。解釈のためのデイヴィッドソン的な暫定的要求(つまり発話者が発語することは当人によって真だと意図されている、あるいはむしろ「聴き手に真だと理解されるよう意図されている」と聞き手に理解されるように当人が意図しているということ)は、儀礼的行動においては存在しない。なぜならそうしたコミットメントを作り、その志向性を読み取ることのできる、メッセージの創作者を同定することができないからである。さらに、ほとんどの儀礼は集団で行なわれ、そうやって参加者たちは、自分が行ない、歌い、語ることが部分的には他人の意思によるものということに気付くのであり、終わってからようやくこの「手段」は何だったのか解こうとすることができるようになる。言い換えると、儀礼で喚起される祖先に関する信念の言語的な表明は、反直観的と解釈することもできるだろうが(たとえば人類学者なら情報提供者から手際よく取り出せるようなもの)、それは単に事後的な、通常の言語で語りえないものについての省察や合理化にすぎない。なぜなら通常の言語の問題ではないからだ。そうした合理化が反直観的と解釈されるかどうかは、経験自体に何の関係もない。

だから、儀礼で喚起される祖先という現象は、竜についての面白い物語を語られることや、サンピの選択、他のサンピよりもあのサンピがよいといった明示的か暗黙的な検査といったものとははるかにかけ離れたところにあるのだ。朝の冷たい光のもとでたぶん人類学者に向けて「私たちはみな赤金剛インコだ」とか「双子は鳥だ」とか言うこととも、はるかにかけ離れたところにあるのだ。だからといって、この手の再帰的活動がマダガスカルのような場所で重要ではないとか、神話では決して起こらない、などと言うつもりはない。反直観的な表象に見られる、人をのめり込ませる特性が、神話の拡散をうまく説明することは十分にありうるだろう。しかしこれは祖先崇拝には当てはまらないのである。

要するに、「宗教」なる用語はふつう、露骨に、はっきりと強調された反直観的要素のある(たとえば省察の主題としての死後の生の重視)奇妙な「信念」の考慮を含意する諸現象を示しているのだ。このことこそが、欧米における「宗教」論議一般に際立っているものである。なぜならセム的宗教、とくにキリスト教という固有の歴史が、かつてのプラトン主義のように影響を与えており、それが十全には知りえないものへの信仰を宗教であることの試金石にしているからである(Pouillon 1979: 51)。前キリスト教期マラガシの人々も、強調された反直観的信念を重視した実践を行なっているし、行なっていた。しかし彼らが行なっていたこの手の実践の最も重要な諸側面については、私たちはただちに宗教と名付けるのだろうが、単純に反直観性の場にはなかった。この事実のおかげで、キリスト教が自己提示するような代替「宗教」の名のもとでの攻撃を生き抜くことができたわけである。そしてそれゆえに、宣教師のときと同じく、たとえばスペルベルやボイヤー、人類学的記録に関心を持つ哲学者たちのなかに見つけられる、ヨーロッパ的な言葉の意味における「マラガシの信念」の中身についての論議は、ふつう「宗教的」実践と名付けられるものの大半のそばを通過するだけか、まったく異なった現象と同じレベルに位置付けられるか、そのどちらかになるのだ。
(続く)