オカムロさんとは何か

5月18日、『オカムロさん』というホラー映画が公開されることが告知された。映倫審査拒否なる宣伝文句が変な意味で話題になっているが、それはともかくとして、この「オカムロさん」、「江戸時代から伝わる」という触れ込みだが、——確かにそういう伝承はある。とはいっても、平成以降の比較的新しい、いわゆる「都市伝説」とか「学校の怪談」とか言われるジャンルに入るものである。まとまった情報がネット上にないので、僕が知っていることを書いておく。

まず、この手の情報を調べるときの基本書である朝里樹『日本現代怪異事典』を見てみると、ちゃんと「おかむろ」が立項されている。

それによると、「笠を被り、黒い着物を着た人間という容姿をした怪異で、夜にトントン、トントンと二回ずつ窓や壁、戸を叩く。これを無視すると窓や戸をこじ開けて入ってくる。そしてその姿を見てしまうと死んでしまうという。これを回避するためにはこのおかむろが現れたときに「おかむろ、おかむろ」と唱えればどこかに消えてしまう。またこの話を聞くとおかむろに狙われやすくなるという」(p. 70)。

というわけで、ババサレやカシマさんなどと同じく、話をするとやってくるパターンのやつである。同事典では、出典として1990年の『わたしのまわりの怪奇現象1000』が挙げられている。30年以上前からこの話が知られていたことが分かる。

さて、『わたしのまわりの怪奇現象1000』などのマイバースデイ編集部の心霊本は、マイバースデイ系の雑誌に載った読者投稿を再編したものであることが多い。そのため、実はオカムロさんの初出はもう少しさかのぼる。

僕が見つけたかぎりだと、1989年版の8月増刊号『わたしは幽霊を見た!』にあるものがもっとも古い。特集記事の一つ「実践ホラーⅠ こわいけどやめられない! オカルト話大全集!」に「霊がうつる! ゾクゾク不幸のはなし」という見開きコーナーがあり、そこに紹介されているのである。

このコーナーはたちが悪く、「この話を聞く(読む)と、幽霊があなたを狙いにやってくる!」とまずあって、そういうパターンの話がたくさん載っている。たとえば「足とり“みなこ”さん」「老女“カコリ”」、「バーサラの怪人」などが載っているのだが、そのうちの一つに「侵入者“おかむろ”」というものがある(p. 42)。「魔美」というペンネームの中学生からの投稿だという。文面は『日本現代怪異事典』から引用したものとほぼ同じで、これが『わたしのまわりの怪奇現象1000』に転載されたわけである。この投稿者はほかに「足とり“みなこ”さん」も投稿している。

「おかむろ」の記事のすぐ下には、本当に「おかむろ」がやってきたという体験談も紹介されている。となると、1989年版『わたしは幽霊を見た!』以前から「おかむろ」のうわさが広まっていたことになるが、その証拠は見つけられていない。『わたしは幽霊を見た!』は1988年版もあるが、そこにはまだ載っていなかった。

この企画は好評(?)だったようで、1990年版『わたしは幽霊を見た!』でもふたたび特集されている。これまたたちが悪く、「昨年の夏出版した最新版『わたしは幽霊を見た!』の中でいちばん問い合わせが多かったのが、不幸のはなしを読んじゃったんですけどねらわれちゃうんですか…という内容のものでした」とまず書かれている。そこで「編集部一同で反省し、対処法だけ載せます」……になるかと思いきや、「そこで反響の大きかった恐怖Best3をピックアップ。みんなのところには幽霊が来たかな?」と煽る方向に行ってしまう。実は少し前にホラー雑誌『ハロウィン』誌の読者投稿欄で数か月にわたって「聞くとやってくる」系を載せるかどうかが論争になっていたので、それと比較すると『わたしは幽霊を見た!』の軽さがどうしても気になってしまうところではある。以下は「おかむろ」部分の画像。笠をかぶってはいるが『オカムロさん』のイメージ映像のように頭部全体を隠したものではない。また刃物も持っていない。首狩りもしていないっぽい。

おかむろ1990

いずれにしても、1位は「さっちゃん」、2位は「足とりみなこさん」、そして3位が「おかむろ」だった。

1991年版『わたしは幽霊を見た!』にも「不幸のはなし」ランキングが掲載されたが、ここでは1位「紫の鏡」、2位「さっちゃん」、3位「足とりみなこさん」、4位「かしまさん」という結果になり、残念ながらおかむろは5位以下だったようである。

一方、1992年版のランキングでは1位「おかむろ」、2位「ミシマ」、3位「はい、冥土です」になっており、人気や知名度がそこまでは安定していなかったようである。1992年版にも「魔実」による投稿が再掲されているほか、2つの短い実体験が書かれている。うち一つによると、「バカヤロウ、どっかに行っちゃえ!」と心のなかでつぶやいただけで消えてしまったので、案外気が弱いのかもしれない。

「おかむろ」は、ランキングコーナーはなくなったが1993年版にも掲載された。1994年には掲載されず、またこの年で『わたしは幽霊を見た!』も終了した。

このように、もっぱら平成初期の『わたしは幽霊を見た!』によって紹介されていた「おかむろ」だが、ある程度は読者のあいだにも広まっていたということが、同時期の他の雑誌の読者投稿にあることからもうかがうことができる。これまでに見つけたかぎりだと、『LCミステリー』1992年8月号、『サスペリア』1993年6月号、『恐怖体験実話コミック』創刊号(1993年9月)、『サスペリア』1995年11月号に紹介があり、また1995年7月刊行の常光徹学校の怪談7』にも少し簡略化されたバージョンが投稿されている(p. 163)。このあたりの雑誌・怪談本の読者層(とその周辺)が重なっていたということだろう。

この時期に小中学生ぐらいだった年齢の人々が大学生~社会人ぐらいになった21世紀初頭、2ちゃんねるオカルト板でも「オカムロ」が話題になった。そのスレッドは「ガイシュツ限定!有名な怖い話」(2002年3月12日~3月29日)で、下に紹介するコピペも生まれた。このコピペは2000年代、オカルト板以外でも怖い話をするスレに貼られることがあった。また、実際にトントンという音がしたという体験談も多い。

 

872 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/03/27 23:57

オカムロの姿は誰も知りません。オカムロの姿を見たら死んじゃうから、
オカムロという名前を聞いた人の元にオカムロは行きます。とくに聞いて
から1週間ほどの間に来る可能性があり、その間にこなければとりあえずは
一安心です。でも、その後も絶対に来ないという保証は無いそうです。
オカムロは突然に部屋の外に来てドアや窓をドンドンと叩き続けます。
その時にすぐに目を瞑り「オカムロ、オカムロ」とオカムロが消えるまで
唱え続けなければなりません。2,3分で消えてくれることもあるそうですが
2、3時間かけても消えてくれないこともあるようです。
ただ消えるまで絶対に目を開けてはいけません。一度、オカムロが尋ねて
来た人は今後この話を聞いても大丈夫と言われています。初耳の人は今後
ドアや窓の音に注意してください。

 

こんな感じで、おそらく90年代前半に子どもだった人たちには強烈な印象を残しただろうし、2000年代に入って2ちゃんねるなどで局所的にリバイバルしたこともあるオカムロさんであるが、まさか映画の素材に選ばれるとは思いもしなかった。

本が出ます(『妖怪の誕生』青弓社)

博士論文をベースにした拙著『妖怪の誕生 超自然と怪奇的自然の存在論的歴史人類学』が5月27日に青弓社より発売となります。

www.seikyusha.co.jp

まだオンライン書店などでは予約できないようなので、GW終わりぐらいまではお待ちください。

税込み4400円と高めですが、文化人類学民俗学の立場からの妖怪研究を一歩進める内容になっていると思いますので、ご関心のある方は是非手にお取りください。

出版社のページにはまだ目次が掲載されていないようなので(再校ゲラをまだ返送していないからですが)、暫定的に、ここに目次を掲載しておきます。

 

序章 妖怪学の存在論的前提

1 本書の目的
2 本書の対象
3 概念の超自然的性格
4 学史における存在論的区分

第1部 妖怪と超自然の近代

第1章 超自然概念をめぐる論争

1 自然概念の多様性
2 超自然概念の有効性
3 超自然概念の批判
4 非日常的なものとしての超自然
5 精霊的用法
6 超自然概念の多様性と統一性

第2章 妖怪の超自然

1 従来の妖怪学と超自然概念
2 現代日本における自然と超自然
3 西洋的自然と日本的自然
4 前近代における超越/内在
5 尋常ならざるもの
6 妖怪概念の精霊的用法

第3章 妖怪の近代

1 欧米における「超自然の近代」
2 十九世紀末、超自然概念の導入
3 初期妖怪論における超自然
4 近世幽冥存在論
5 近代幽冥存在論

第2部 妖怪の非近代的概念化

第4章 妖怪の文化

1 自然と文化
2 オキナはクラーケンである
3 「寓言」と「あるもの」
4 水虎は古代ローマの海神である
5 対象の転写は連鎖する

第5章 妖怪の科学

1 俗信に対する一般対称性
2 妖怪の科学的研究
3 俗信と民俗学
4 真空説――その誕生から衰退まで
5 俗信と科学知識の場

第6章 怪奇的自然

1 怪奇概念の展開
2 くねくね
3 関係論的宇宙からの逸脱

終章 妖怪学の原理

1 怪奇的自然と妖怪の概念
2 妖怪学の新たな原理

参考文献一覧

あとがき

索引

「民間信仰の古い記録によって今日の私たちは何ができるだろうか」翻訳その2

youkai.hatenablog.jp

これの続き。

話者(narrator)、そして収集家の履歴

民俗資料館にあるナラティヴの話者を調査してみるのが興味深いのは確かだ。悪魔譚を知っていて、また悪魔について語ったのは、どういった人々なのだろうか。私たちは話者の名前をそれなりに知っているので、礼拝や社会参加に関する文献をもっている教会や当局の資料のなかに話者をたどることはできるだろう。とはいえ、この手のデータは、意義のある調査をするために十分とは言えない。話者たちの日常生活やある種のユーモア、敬虔さの度合い、その他の心的状態について誰かが述べてくれていれば、もう少し状況はよくなる。残念なことにそれが不可能なのは、物語が語られた状況の情報が失われているからである。つまり、状況的文脈がないのである。悪魔の民俗に取り組むときは、民俗と心理学、とくに宗教心理学との関係性についてまともな知識があれば助けにはなる。出発点となるのは、人々が宗教的なことを話すとき独特な反応をするということであり、言うまでもなく悪魔は、フィンランドに深く根付いた信仰体系たるキリスト教の領分である。悪魔に関するテクストのなかには深刻なものもあれば、そうでないものもある。一般論としては、人間が悪魔を打ち負かす物語を語ることができるという感情によって、どんなときに話者が安心して幸せだと感じていたのか、あるいは人生や教会への抗議を言わんとしていたのかを、テクストから推測することはできる(Bakhtin 1968参照)。とはいえ、そこに込められたメッセージが誰かへの注意だったり誰かへの支援だったりすれば、それは勝ち誇る悪魔と打ち負かされた人間についての物語にもなりうる。ならば、話者が本当に悪魔を信じていたとすると、悪魔の名前を口にすることさえないだろうし、あるいは聖書から一節を引用することもあるだろう――これもまた、事実として、民俗コレクションのなかに見いだされる。この点が面白いのは、悪魔の民俗を聞かれたときの人々が、「聖なる」テクストと世俗的なナラティヴに、必ずしも何かの区別をつけていないように見えるからである。この二つの世界――聖なる表現と俗っぽい表現——は、融合しているのだ。

あえて悪魔の笑い話を語ろうとすることによって、話者があらゆる社会的桎梏からの自由を感じることにもなるだろうし、また、他方で深刻な話が人々に罪を自覚させ、社会の決まりに従うように仕向けることもあるだろう。そういうわけで悪魔譚は革命的になることもあれば保守的になることもあるのだが、この両者の境界線は、信仰に関する文献と民俗のあいだに引かれるものと同じではない。むしろこの境界線は民俗のなかに引かれるのであって、誰がどういうときに物語を語るのかに左右されるように思われる。

宗教心理学で使われる帰属の概念は、悪魔譚のいろいろな側面を説明するときに有効かもしれない。そのため、民俗——そして生活——が混迷を来たしてどうしようもなくなり、おまけに矛盾だらけになってしまったとき、人々はそこに意味のある全体性を作りだそうとする。人々は、自身の性格やいま必要なものにそぐなうようにして、さまざまな状況を表現する。話し方や生き方に一貫性がないことさえもありうる。このことは、民俗的な悪魔の絵が格子模様になっていることを説明するものにもなるだろう(Spilka, Shaver, and Kirkpatrick 1985)。

悪魔のナラティヴを記録するときの、現場での収集家たちの働きもまた、民俗研究の着眼点になりうる。ある程度は、どうやって話者のもとにたどり着いたのか調査するだけの資料があるし、また、どのようにコレクションが検査されることになったのかを理解するだけの資料もある。こうした調査は、今では歴史的な理由で関心を持たれるのみである。というのも、耳で聴いて鉛筆で紙に書くやり方から、あらゆる技術装置を用いる段階まで、収集方法に大幅な変化があったからである。かつては、記録の際は収集家が心を傾けることが重要だったが、今ではその必要性はない。録画などの技術的記録法を用いるおかげで、収集家は後になってからレコーディングを視聴して集中することができるようになったのである。

[つづく]