近世国学の妖怪論(宣長・守部・隆正)

本居宣長は、上田秋成平田篤胤とちがって積極的に妖怪的なものを語ろうとはしなかった。いちおう「カミ」の定義のなかで妖怪的なものを列挙してはいるが、付属品的な扱いでしかない。(前に紹介した↓)

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しかし、門人との問答のなかで、宣長自身がどう考えているかを披露することはあった。『鈴屋答問録』(1779)に収録されているなかに、それを見ることができる。宣長の場合、世の中で悪いことが起きても、他のすべてのことと同様、それは神々の仕業である。より具体的に言うと、禍津日の神の仕業である。神の仕業であるから、そういうものとして受け取らねばならない。神々はこの世界をすべて掌握しており、そこから漏れるものはないのだ。

「(問い)俗に疫病神といふは、古事記崇神天皇御段に、大物主神の御心によりて、神気おこりしことある、これ即疫病神か。――答。凡て神とまをすものは、……正しき善神とても、事にふれて怒りたまふ時は、世人をなやまし給ふこともあり。邪なる悪神も、まれまれにはよきしわざも有べし。……さて凡て、世間にわろきことのあるは、本は皆、禍津日の神の神霊によることなれば、この大物主神の御心より、疫を起し給へるも、本は禍津日の神の御心也。疫のみならず、万のまがごと、皆、この例をもてさとるべし。……そは何れにまれ、その時にあたりて疫をおこなふ神を、疫病神とはいひつべし。」

「疫病神」とはどういうものを指すのか、という問いに対して、それは究極的には禍津日の意志である、という。疫病神自体は、具体的な神格というより役割のようなものである。

「(問い)世にわびしくまづしくならしむるを貧乏神といひ、富栄えしむるを福の神といふ、これらも別にその神の有にはあらで、そのしからしむる神霊をいふなるべくや。――答。然也。何れの神にまれ、然らしむる神をさしていふべし。但し人をとましむる神、まづしからしむることをわざとする神も、あるまじきにあらず。」

今度は貧乏神について。こちらも同じで、禍津日の名称は出さないが、やはり役割名のように考えている。

「(問い)疱瘡神は、外国より来りし悪神なるべし。これも、禍津日神の神霊とやせむ。この病は物のたたりにもあらず、又一度やみぬれば二度とはやまぬことなど、他の病とはかはりていとあやしきはいかが。――答え。問の如く、この病は古へはなかりしかばこの神もと、外国より来り神なるべし。……何れの国の神にまれ、あしきわざするは、皆禍津日の神の御心也。さて世にこの疱瘡や疫病或はわらはやみなどを、殊に神わづらひと思ふなれど、これらのみならず、余のすべての病も、皆神の御しわざ也。その中に、そのわづらふさまのあやしきと然らざるとは、神の御しわざなることのあらはに見ゆると、あらはならざるとのけぢめのみこそあれ、……」

次は疱瘡神。これもやはり禍津日神の仕業。世界中どこでも変わらない。疱瘡は病気としては「あやしい」ように見えるけど、それは神の所業がはっきり見えるからにすぎない。すべての病気は神のせいである。

「(問い)きりしたんなどいふもの、又狐神をつかひ、また今世魔法と云類は……八十禍津日の神の類なることは知られたり。……然るをその禍津日神も、御国にて生れたまふを、そをつかう法は、御国にはなくて、他国にあるは、……大御神の御国ならぬわろき国は、彼禍神の所得たまふ国なるから、さるわろき業は中々に伝はりけんしかし。〈狐神にまれ、狗神にまれ、神をつかふわざは、さかしらに作りたるわざにはあらじ〉……さにはあらじか。――答え。……さやうの法どもの、多くは異国に伝はることは、御考の如くにてもあらむか。そはくはしきことは測りがたし。」

イヌガミなど、動物であるカミを使役するやから。日本のような神国にそのような悪法が伝わっていないのは、禍津日神が統治しているからではないかという問いに、そうなのかもしれないが、よく分からない、という宣長

すべての悪を禍津日神に帰す宣長の神学は、のちに篤胤など多くの国学者によって批判されてしまうことになる。しかし宣長自身は、こうでもしなければ、善悪正邪が入り乱れるこの世の現実を創出する神々の、その測り知れぬ所業を説明することができないと考えていた。ほとんど言及しない怪異妖怪についても、『古事記伝』にあるようにそれを「神」と見なしていたからには、何かそういうことがあったときは、禍津日神へと還元することになったのだろう。

 

宣長古事記理解を批判し、平田篤胤らとも距離を取っていた橘守部(1781–1849)は、天保年間以降、幽冥論に関心を抱くようになる。たとえば晩年の神道論『神代直語』(1846)にその思想を如実にうかがうことができよう*1。守部は、いわゆる「幽冥」のうち、神々の領域は「天」であり、死者の領域は「黄泉」であり、両者は「昼夜のごとく、海陸のごとく、夫婦のごと」く、二項対立的で補完的である、と考えていた。とはいえここでは深入りせず、妖怪系の記述をいくつか抜粋するにとどめる。

「……黄泉の界が闇(くら)き処と云にはあらず。しばらく現き人の目に見えずなり行を以て、此方より然かひなす詞なり。彼方より見ば、又この現し世の界が闇からんも知がたし。いとたまたまの事にはあれど、彼の幽魂、怨霊などの恨を報に出る事あるに、必ず先づ青き火燃ゆと云り。これすなわち彼よりは又この現し世が闇かる故に、照らし見る炬のためにぞあらん」(『神代直語』巻上)

守部にとって、死者の居所は黄泉である。しかし篤胤が「幽冥からは現世は丸見えである」と言ったのに対し、守部は微妙に違うことを推測している。どっちもどっちではないか、と言うのである。もちろんこれは推測であって、結局あちら側から現世がどう見えるか経験的に実証することはできないので「知りがた」い。だが幽霊が火をともなっていることをもって、あっちからも暗く見えるのではないかと言う。独創的である。

さて、この黄泉はどのような住人にあふれているのだろうか?

「かくてこの黄泉の界はいともいとも広くして、かの死行人の魂のみならず、禍日の八十禍、大禍をはじめ、怨霊、鬼物、妖物、諸の魔物等の隠れ栖隈路なりければ、神皇産霊尊の昔より、幽顕の隔疆(へだて)いと厳重になし給へれど、猶ともすれば、この界より凶悪(あしき)者の溢れ来て、現し世の人を悩す事あり。そもそも天つ神の賞罰は善悪邪正に随ひて、いと正しかれば、さてあるを、この黄泉の界より来る殃災は、却て善き人の禍(まが)るが多かれば、懼るべき限なり。……さればこの障礙を免んには、常に天神地祇を奉斎(いつきまつ)り、身を慎み、心を清め、仮にも悪き行跡せず、不浄に染ず、家の内をよく掃ききよめて、善き神の御霊よせあるやうに心懸くべし。物は善悪とも類を以て集るとか。かの邪神(あらぶるかみ)の好むふるまひし、魔物の羨む心をもち、竈所を汚し、火を穢し、不浄にふれなどするときは、彼の鬼物等それを慕ひて、あふれ来る事ありとぞいひ伝へたる。」

黄泉は死者だけではなく、宣長以来の悪の根源であるマガツヒをはじめ、妖怪や魔物がたくさんいるのだという。時にはそれらが現世にやってきて、人々を悩ますのだ。それを避けるためには、家や心を清浄にし、天神を奉るのがよいという。汚いところに魔物は集まるのである。それでは現世にいると思しきケモノたちの怪異はどうなのだろうか。

「世に、狐狸などの人の目に触れぬわざする事のあるは、微弱き獣ながらも、幽冥の方へもすこしは入らるる幸のありてなるべし。亦禽の中に、夜も灯の光りを倩(やとは)ずして目の視ゆる物多かり。こは野山に栖むものは、然らずては得堪べからねば、只それのみを許されて生れ得るなるべし。もし人に狐狸の術ありて、飛鳥の翅を持しめば、世の片時も治りがたかりなん故に、神の許し給はざるにこそ。」

このあたり守部はちょっと曖昧なのだが、狐狸の変化と鳥の夜目を、いずれも人間の有さないものとして並列し、前者については幽冥とちょっと関わりがあるのだろうという推測をして、後者は生きるために必要だから神がそれを認めたのだ、という風に説明している。鳥獣は生きている人間より幽冥に関係が深いという篤胤の考えをここでは継承しつつ、宣長的に、すべては神々の意志によるのだという決定論的思考も働いているようである。

なお、1844年の『稜威道別』巻二にも、少し表現を変えて同様のことが書かれている。

 

大国隆正(1793–1871)については、幽冥が国々によって違うという、蘭学が知識人に普及していった時代を象徴するような妖怪論を前に紹介した。下参照。

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ここではさらに二つ、別の妖怪論――ツクモガミとバケタマ――について紹介してみる。まず嘉永年間(1848–1855)初頭に成立したらしい『死後安心録』より。なお隆正の文章はひらがなが多いので、問題ないところは漢字になおした。

「黄泉国は邪火のこもれるところなり。今、婦人の子をうむをみるに、経行とまりて十月の間をあたため、子をうみてのち、その汚血はくだるものなり。伊邪那美命の国を生みたまへるにも、その経行の汚血なきことを得ず。その汚血、黄泉にくだりて、邪火となりてありしなり。黄泉戸のけがれてありしもこの故なり。その汚血をもて、万物の妖のはじめとす。これやがて附喪神なり。万物につきてわざはひをなすものなり。これもまたその火つぎつぎにうすらぐにより、造悪の人のたましひそれになりて、その種をたたざるものなり。日本国にて附喪といふは、万物につきてあやしみをなすものの総名にて、これにまたさまざまの差別あり。天狗も附もがみなり。狐狸もつくもがみなり。疫病神・貧乏神・疱瘡神みな、人に附も神なり。その根源は黄泉の邪火よりなれるかみにして、そのはじめは伊邪那岐命につきて、黄泉国よりこの地球上に来りし神なり。……そのやまひ、その邪念によりて身をほろぼしたる人のたましひ、又その邪神の食となりて邪神をこやし、邪神となりて邪悪をなすものなり。」

妖怪はツクモガミである! 一部ツイッターなどで話題になった、大国隆正独自のツクモガミ論*2伊邪那美であっても経血は穢れたものだから、そこから「妖」が生まれ、災いをなすようになったというのである。天狗も狐狸も、宣長の『鈴屋答問録』に出てきた悪神(疫病・貧乏・疱瘡)も、すべてはツクモガミである。この思想は、今のところ隆正以前に見ることはできず、また隆正以降も誰かが受け継いだのも見つけられていない。特異事例である。

さて隆正によれば、生まれ変わりにもツクモガミが関与するという。

「人死にて、……その魂は、墓に留まるあり。位牌に留まるあり。かねて行かまくほりしところに至るもあるべし。浮かれ歩くもあるべし。ただちに幽界に入るもあるべし。いずくにありても、幽界の政所に呼ばれて、その裁判にあひ、畜生のたまに添ふもあるべし。人間のたまに添ふもあるべし。いずれに添ふもみな、つくもがみなり。おのれ是まで心をつけて生れ変りの説をきくに、まるまる生れ変るものにあらず。……しかるに生れ変りといふ証跡の折々あるは、皆つくもがみの類にて、狐の人につくごとく、その人の元霊のある上に、つきて生まるるものなれば、つひには離るることもあるなり。幼年にしてよく文字を読み、文字を書きなどするものの、成長して愚かになる類、多くはつきて生まるる妖(もの)ありて、のちに離れて、元霊のその愚かなるにかへるもの多かり」

この引用の冒頭は、「死者はどこにいる?」という近世のさまざまな考え方を全部受け入れてしまったすごいところであるが、それはともかく、これから生まれる別の霊魂にともなうものはツクモガミであるという。純粋な生まれ変わりというのは存在しない。前世から引き継いだと思しきものは、実はすでに死んだ霊魂がツクモガミとなって取り憑いているのだ。のちに離れていくことがあるので、神童が凡才になるというのもこれで説明できる、という悲しい話。

もう一つは、『死後安心録』より後に成立した、有名な『本学挙要』(1855)から。霊魂の種別を述べるところで、いわゆる四魂のほかに「はけだま・ことだま」の解説が続く。

「「はけだま」の「はけ」は、俗にいふ「ばけ」なり。いにしへは、「はけ」とすみていひけん。今は、「ばける」「ばかす」など、濁りていふなり。これは、空中をゆき、質を気にし、気を質にするたぐひ、人のなし得ざることをするたまなり。そもそも、第四の神代、幽よ顕の分界なかりしほどは、人も空中をゆき、神も人に雑はりてありしなり。天孫降臨ありしはじめ、石根・木根の言霊を離して、禽獣にもものをいはしめず、そのかはり人の「はけだま」を離してあやしきわざをなさしめず、この時より、いまの天地とさだまれるものになん。……人にもありける「はけだま」を離したまへる考証、書籍にはあらぬなり。しかれども石根・木根の言霊を離したまへる故事のあるにより、その一対なれば、必ず人にありける術魂(ハケダマ)を離したまひけんと知ることなり。これにより、狐狸のたぐひには妖魂(バケダマ)ありて言霊なく、人には言霊ありて妖魂なし。これは今の天地・世界のありさまを考証によりて、これを知れるなり。これを知りてみれば、空海のたぐひ、人にして妖術(ハケダマ)あるは、賤しむべきこととさとる也」

バケダマは、今風に言えば物質を出現させたり消したりする力能のことと隆正は解釈して、それが禽獣、とくに狐狸には備わっているという。原初アニミズム的な、すべての存在がコトダマとバケダマをもって相互行為していた時代は天孫降臨によって終わりを告げ、人間にはコトダマが、その他にはバケダマが残ったのだ、という。だから人間がバケダマを駆使するのは「賤しい」ことなのである。「術魂」は『先代旧事本紀』(9世紀)の巻第四「地祇本紀」が大己貴命の魂の一つとして言っているもので、記紀には見えない。それを隆正は、禽獣の有する/人間の有さない魂として解釈しているのである。

ところで術魂は、近代的鎮魂行法の大家・川面凡児(1862–1929)の理論にも登場している。彼によると「禍魂(まがたま)とは旧事紀にあるところの術魂で奇魂幸魂等の悪化凶変して自他を禍する魂であります」(『霊魂の典故』、『川面凡児全集』第1巻所収)、「術魂を「バケミタマ」と云ふは「バケ」は変化して白が黒に、黒が白に変化するの意味なのである。また「ハ」は「マ」に通ひ、「ケ」は「カ」に転じ、「まがる」なり「曲る」なり。直しきものが曲りたる意味で魔魂(まがたま)となる」(『日本民族宇宙観』1913、p. 171)と論じている*3。津城寛文によれば、川面の霊魂論において「全身の統一した状態において、主要な魂が体外に脱出して何らかの活動をなすことを」魂の分出と言い、「もしこの統一に欠陥があった場合、分出魂はその脱魂してきた元の身体の不調に牽制されて充全な活動をしないまま帰還し、虚偽の活動報告をなすことがあるという」。これが術魂なのである*4。要するに、隆正のように人間以外の禽獣に属すものでもなく、怪異をなす人間が有するものでもなく、あくまで自らの霊魂をコントロールができなかった状態において現れるのが術魂、というわけである。

*1:守部の幽冥論については、東より子2016『国学曼陀羅 宣長前後の神典解釈』第3章など参照。

*2:大国隆正のツクモガミに言及しているのは、管見では浅田雅直1989「近世後期国学者民間信仰 平田篤胤の「幽冥」の位置(下)」『日本学』13, pp. 211-212のみである。しかし隆正がそういう名称を持ち出したのを触れるのみで、詳細を論じているわけではない。

*3:津城寛文1990『鎮魂行法論 近代神道世界の霊魂論と身体論』p. 251に引用。なお津城はp. 250で隆正はほとんど術魂を論じていないとしているが、『本学挙要』は見逃していたのだろうか。

*4:津城、pp. 251–252。