前期国学の妖怪論

近世国学の妖怪論はどうなっていたのか。平田篤胤が語りすぎたので、一人だけ有名になってしまっているが、前期国学の人々も、当時の多くの知識人と同じように、通りすがりに程度であるが、怪異・妖怪について語っているところはある。ちゃんと調査したわけではないので多分もっとあるとは思うが、ここでは国学四大人のうち篤胤以外の三人の著作から、それっぽいところを抜き出してみた。

ツイッターにも書いたが、僕の関心は「もとから化物である存在が幽冥界にどうやって取り込まれていったのか」なので、以下の国学者たちの思想は、正確に言うと大半が関心から外れるのだけど、参考までに。

篤胤以降については以下も参照。

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1、荷田春満(1669~1736)

今日の上にて、妖妄怪異の事の世の中にあるは、みな国津神の神化也。ないとはいはれぬ、なるほど天地の間にはさまざまの不思議なる事あり。これ国津神の仕業也。然れども其義は天神の神徳化にてはなき也。さればかつて尊むべきことにてはなき也。然れども今の世は、みなそのあやしき奇怪なる事を云ふ者を、神道者などゝ心得て居ること也。天神の道には怪異なることはなく、恒常不変の徳化を被施を、天津神とは奉尊称こと也。(『日本書紀神代巻箚記』1707頃?)
*怪異は国津神の仕業。ちゃんとした神様はそんなことしない。ここは日本書紀神代巻下の、さばえなすあしき神云々に対する注釈。

2、賀茂真淵(1697~1769)

すべてむくひといひ、あやしきことゝといふは、狐狸のなすこと也。凡天が下のものに、おのがじゝ、得たることあれど、皆みえたること成を、たゞ狐狸のみ、人をしもたぶらかすわざをえたるなり。(『国意考』1769)
*因果応報や怪異は狐狸の仕業。

3、本居宣長(1730~1801)

迦微(かみ)と申す名義は未だ思得ず、〈旧く説ることども皆あたらず、〉さて凡て迦微とは、古御典に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐御霊をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き物を迦微とは云なり、〈すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり[……]竜・樹霊(こたま)・狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり、木霊とは、俗にいはゆる天狗にて、漢籍に魑魅など云たぐひの物ぞ、書紀舒明巻に見えたる天狗は、異物なり、又源氏物語などに、天狗こたまと云ることあれば、天狗とは別なるがごと聞ゆめれど、そは当時世に天狗ともいひ木霊とも云るを、何となくつらね云るにて、実は一つ物なり、又今俗にこたまと云物は、古へ山彦と云り、これらは此に要なきことどもなれども、木霊の因に云のみなり[……]磐根・木株・草葉のよく言語(ものいひ)したぐひなども、皆神なり〉[……]貴きもあり賎きもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、[……]〈最賎き神の中には、徳(いきおい)すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや〉
(『古事記伝』1764~1798)
*異常なことができるならば、善悪にかかわらず、キツネも天狗も竜も神である。『古事記伝』のなかでも一番有名なこの部分は、基本的には記紀における「迦微」概念の外延を示したものであるが、部分的に宣長の同時代における妖怪を意識したところも見られる。喧嘩相手の上田秋成とは違い、宣長は同時代の怪異妖怪をほとんど語らなかったし、ここでも「ここで別に言うことではないが」と言っているが、けっこう熱く天狗について語っている。