「妖怪は神経のせい」言説はどこまで遡れるのか?

三遊亭円朝が『真景累ヶ淵』(活字1888)の始めに「幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方のお嫌いなさる事でございます」と語ったように、「妖怪や怪談なんてものはない!」と否定する言説は明治時代の「文明開化」に始まった、というか本格化したと一般に考えられている。妖怪研究でいうと、たとえば江馬務は、『日本妖怪変化史』(1923)の叙述を幕末で終わらせて、「明治以降、学術の進歩とともに神秘幽冥の秘鑰は学理の明鏡の下に啓かれ」たと述べている。円朝の時代はともかく江馬の時代は、少し前に亡くなった井上圓了の迷信(妖怪)打破運動が影響を強く残していただろう。

もちろん(柳田國男が圓了をディスって言うように)近世期にも否定論はあったし、近代以降も肯定する言説はあった。とはいえ近世と近代でまったく同じ言説が繰り返されていたわけではない。特に否定派からみて大きく変わったのは、自説を位置づけるべき知的体系がまったく別ものに転換したということである。具体的に言うと、近世の否定論は朱子学石門心学によることが多かったが、明治以降は「神経」をはじめとする西洋近代的な学問によることが多くなったのである。

この転換は、狐憑きの否定論が近世と近代でどう違うかを見ると分かりやすい*1狐憑きを心的なものとみなす言説は、近世の医家や儒者を中心として多数あったにもかかわらず*2、明治時代の多くの(権威ある)文献が、西洋近代医学に由来する「神経病」を根拠とするようになってしまったのである。

神経を原因とする言説は、早いところでは、川村邦光が指摘するように『明六雑誌』に載った「狐説の疑」(1874)が挙げられるだろう。この論説は、狐憑きは「近来西洋の説来りしより、皆一種神経迷乱の疾たること、明かになりぬ」と断言しているのである*3

神経を持ち出して否定されるのは狐憑きだけではなかった。円朝の言うように幽霊もまた「神経」の働きに還元されたのである。三浦正雄は「近代の怪談についてのスタンスの主流は、怪談を病理として理解するということで、近世までの怪談観とは大きく異なっている」と指摘している*4。江戸期に出回っていた怪異否定論は明治期に入って一旦リセットされ、改めて西洋近代科学の光のもとに再解釈が行なわれるようになったのだ*5

こうした妖怪否定論に用いられる当時の「神経」は、人体組織としての「神経」というより、心の負担のかかった状態を指すことが多かったようである(ちょうど英語のnervousのように)。また、佐藤雅浩が指摘するように「この時代に精神疾患を表わす一般的用語であった「狂気」や「痕癒」、そして法律用語であった「精神喪失」などの概念は、因習打破の文脈で用いられることが殆どない」*6ことも興味深い。佐藤はこの理由を、東洋医学の「心経」や般若「心経」のイメージから考察している。「心」という漢字が表しているように、「神経」はまさしく「心」でもあった。

ところで谷口基は、怪異現象を「神経」「神経病」のせいにする言説の始まりはわかっていないと述べつつも、『旧習一新』(1875)を古い例として挙げる*7。また一柳廣孝は、やはり1875年に『読売新聞』*8に掲載された「神経病というものは我心のおもいが業といたすものにて決して幽霊などというものは世の中には有りません」という記事を早期のものとして紹介している*9。川村が紹介する「狐説の疑」は特定の怪談に対する言説ではないので、厳密に言うなら谷口や一柳の想定しているものとは異なるのだろうが、1874年の記事なので『旧習一新』や『読売新聞』記事よりも1年さかのぼることができる。とはいえ「狐説の疑」の文言からして、神経による説明が始まった時期はさらに前の時代に求められるだろう。

それでは「神経」に原因を求めるのはいつ頃からだと言えるのかということだが、先行研究をみるかぎり1874年か1875年を起点にしており、はっきりしたことは分かっていないようである。よく知られているように言葉としての「神経」は『解体新書』(1774)が初出であり、18世紀終わりから19世紀前半にかけては、もっぱら蘭学を修めた医者が用いるものだった。そのため、まずは医学的言説のなかに、神経による否定論が現れたのではないかと思うのだが、はっきりしない。

先行研究の豊富な「狐憑き」について見ると、本間棗軒の『内科秘録』(1864)巻五に「嘗て狐憑のことを洋学者数家に質問するに、「洋籍に狐の人を惑し、人に憑ことを説かず。且つ窮理を以てこれを考るに、狐憑鬼祟の類は、実に精神の疾病にて、決して鬼邪・狐狸の憑依するに非ず」と云へり」とあり、これが西洋医学の観点を利用してこの現象を「精神の疾病」とした最初期の例だと指摘されている*10。だが、棗軒の解説に「神経」の語は用いられていない。

洋学に依拠した妖怪全般の心因説については、管見ではさらに『気海観瀾広義』(1856–1858)巻一までさかのぼれる。

「ただ冤鬼妖怪は、誑惑癖をなすの妄念より出づ。否ば夢。否ば戯造。否ば暗夜、若は月下に嚝地を過ぎ、恐怖の余、一像を想出するに因る。……故に凡そ異事あれば、丁寧に注意し、務めてその因を察すべし。蓋しこの世界中、理外の事のあることなければなり」

ただ同書では、他の箇所で「神経」という語は用いられているものの、妖怪については用いられていない*11

実のところ、神経と否定論のつながりはもっと遡れる可能性もある。平田篤胤が初期の主著『霊の真柱』(1812)において、蘭学者を批判するところで「疫神、幽魂、狐妖の類ひも、四元の理、また神経の謂を知り、蘭書によりて考ふるにかつてなき理りぞ、など強言すめれど」云々と言っているのである*12。これをふまえると、否定論と神経とのつながりは従来の指摘よりも半世紀以上も遡ることになる。ただ、『霊の真柱』以前に、妖怪は神経の謂れを知ればありえないことだと論じた蘭学書は見つけられていない。また、篤胤の引くこの主張が19世紀後半における「精神の疾病」や心因説と同じものを指しているかどうかもわからない。「神経の病のせい」というのではなく「神経の仕組みをわかれば理解できる」という言い方なので、まだ「開化先生」の段階には達していないようにも見える。

参考までに篤胤と同時代の蘭医書を見てみると以下のような記述がある。まず廣川獬の『蘭療方』(1804)では、ある薬剤の有効範囲として「或は癇瘈失心、或は癲癇昏倒、或は風毒疼痛、或は狐狸邪祟等」が指示されている。この記述のなかでは、狐狸のなす病気が癲癇・失心などと並列されているが、少なくともここでは憑依の心(神経)的説明は現れていない。

また、江馬松斎編訳の医学書『和蘭医方纂要』(1817)巻一の「失気昏冒」(突然昏倒すること)は、その原因の一つを「或は狐狸妖怪の驚かす所と為る」とする。これに従うならば、狐狸は人間の身体内部にまで入り込むのではなく、あくまで外在的な行為主体として、人間をある種の病気にさせるということになる。その「驚かす」やり方は具体的には書かれていないが、「妖怪」という表現が付されていることを考えると、19世紀後半には否定されることになる、妖怪的な効力が想定されていたように思われる。

というわけで、いまいちよく分からないままなのだが、たとえば宇田川玄真『医範提鋼』(1805)に「凡そ眼・耳・鼻・舌の、視・聴・嗅・味をなすは、皆その神経の知覚感触の為に由る。即ち物を視るはその形色悉く眼中の諸膜及び諸液に透映し、眼底に系る所の視神経に触て知覚するなり」云々とあって、人間の感覚はすべて神経に依存することが説明されている。すでに18世紀には、怪しいことを心の迷いのせいとする言説の一群が花開いていたので*13、そうした説明を西洋医学パラダイムで読み替えた蘭医・蘭学者がいたのかもしれない。

 タイトルに対する答えは出ていないので、これからも地道に探していきます。

*1:狐憑きと神経病の関係については、川村邦光1997『幻視する近代空間 迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(新装版)』pp. 82–109;兵頭晶子2008『精神病の日本近代 憑く心身から病む心身へ』;佐藤雅浩2013『精神疾患言説の歴史社会学 「心の病」はなぜ流行するのか』第2章を参照。

*2:中村禎里2003『狐の日本史 近世・近代篇』第6章;渡会好一2003『明治の精神異説 神経病・神経衰弱・神がかり』pp. 108–109。

*3:山室信一・中野目徹(編)2008『明六雑誌 中』p. 191。川村邦光2007「近代日本における憑依の系譜とポリティクス」『憑依の近代とポリティクス』pp. 24–25参照。

*4:三浦正雄2007「神経病としての怪談 日本近現代怪談文学史(1)」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』7: 268。

*5:横山泰子1997『江戸東京の怪談文化の成立と変遷 一九世紀を中心に』pp. 308–314。

*6:佐藤、p. 115。

*7:谷口基2009『怪談異譚 怨念の近代』pp. 68–70。川村『幻視する近代空間』p. 102も同様。

*8:ちなみに、当時『読売新聞』を発行していた日就社は、以前拙稿で述べたように、他の雑誌でも啓蒙的な解説を展開していた(廣田2016「俗信、科学知識、そして俗説 カマイタチ真空説にみる否定論の伝統」『日本民俗学』287: 12–14)。この拙稿では1875年創刊の『学びの暁』しか紹介できなかったが、同社の発行する児童向け小冊子『小学雑誌』にも、たくさん啓蒙的言説が確認できる。たとえば1876年8月16日刊の第48号には「お化といふ者はある筈はない。あれは皆な気から見る者だから、そんな虚(うそ)を云て聞せるのではないよ」とある。

*9:一柳廣孝2014「怪談の近代」『文学』15 (4): 19。

*10:中村、pp. 411–413;兵頭、pp. 83–86。

*11:この箇所はけっこう有名らしく、1872年の東江楼主人『童蒙弁惑 珍奇物語 初編』上巻の「妖怪(おばけ)の説」などに、やや表現を変えて転用されている。

*12:新修全集7巻、p. 184。

*13:堤邦彦『江戸の怪異譚』pp. 350–354;門脇大2012「心学書に描かれた怪異 心から生まれる怪異をめぐって」『国文論叢』45参照。