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妖怪と、人類学的な雑記

筑波大学の廣田龍平です。被災地研究・妖怪研究を人類学・民俗学的な方向からやっています。

続き

第1章第1節「比較法」

  比較法がメラネシアで失敗してきたというのが誇張ではないことは言うまでもないとはいえ、この指摘には格別な辛辣さがある。というのも、この地域全体、特にパプアニューギニアのハイランド地方は、長いこと実験の楽園とみなされてきたからである。無数の多様な社会を近づけて並べることで、改変のグラデーションとして理解された、変数の変化する結果を記録することができると考えられていた。とはいえ、一握の事例の範囲を越えた体系的な比較を個別に行なおうとした研究者は、ほとんどいなかった。

 特筆すべき例外には、ハイランドにおける社会的・文化的・生態学的システム間の相互的なつながりを述べたブラウン[Brown 1978]、体系的なお互いの変形としての交換関係の構造モデルを研究したルベルとロスマン[Rubel and Rosman 1978]がいる。グレゴリーは経済・親族体系の比較を、政治経済タイプの一般的特定化に組み込んだ[Gregory 1982]。この研究では、一般的クラスあるいはタイプの構成体として確立された各々の変種(variant)が、この分類の有用性の妥当性を示してもいる。三者の業績はいずれもパプアニューギニアに関するものだ。メラネシア全体をカバーする試みは、いまだにチョウニングの民族誌的概論[Chowning 1977]のみである。パプアニューギニアを越えた島嶼メラネシアは、政治的連合とリーダーシップに焦点を当てたアレンによって比較されている[Allen 1981; 1984]。彼の行なったことは、親族用語や男性加入儀礼、儀礼的同性愛、交易と交換、クラ交換の制度といった個別の研究主題を取り上げる、より一般的な戦略と重なっている。何冊かの論集はこうしたトピックすべてを扱っている[Cook and O’Brien eds. 1980; Herdt, ed. 1982c; 1984a; Specht and White, eds. 1978; Leach and Leach, eds. 1983]。ここでは、民族誌の広がりは並べて位置付けられ、分析のカテゴリーは、それぞれの事例の検討から部分的に派生し、またそれによって修正されている。複数の著者から寄稿をつのるのは今ではよくあることだ。論集の形式は、固有な民族誌家の展望から、それぞれに固有な事例が提示されることを可能にしている。

 以上の業績すべてに間違いがあるとすれば、それはもともとの民族誌にみられる全体論のなかにあるだろう。こうした比較の営為は、どうしても個々の民族誌的個別研究を利用せざるをえないが、私が思うに、比較研究がわずかしかない理由の一つは、一次資料の豊饒さと全体性の両方に対する尻込みである。

 メラネシアは善き作品に恵まれている。欠如しているのではない。この状況は、ほとんどドリス・レッシングによる『シリウスの実験』の侵略者に直面するようなものだ。探究の目標はすでに知られており、見出すべきものは、それを追求するための理由なのである。私たちはこうした個々の文化や社会の独自性について豊富な情報を持っているが、なぜ私たちがそれを獲得したのかについての考えを、ほとんど持っていない。個別研究の全体論がその内的一貫性に依拠しているからであり、このことが自律的知識という感覚や、自身を正当化しているという感覚を生み出している。結果として、各々の個別研究を書くための用語は、必ずしも比較行為のための用語を提供することにはならない、ということになる。実際、メラネシア研究者たちが現在、歴史的説明の可能性に目を向けているということは興味深い。なぜなら、歴史は出来事と社会形態をつなげつつ、それらの個別性を残したままにするからである。おそらく歴史的理解は、諸現象間の諸関係を固定するプロットを生み出すのだろう。

 この最後の一節は、ジリアン・ビアの二元的な探究に由来する[Beer 1983]。一つはダーウィンが諸々の生命体に認めたつながりについての語り方であり、もう一つは巧妙に考えられた物語として、フィクションを生命と成長への注釈にする19世紀の小説家たちの仕掛けである。彼女はダーウィンの、複雑さを、単純化しようとすることなく見極めようとする欲望について述べる。ダーウィンは、大量で多義的な自分の言葉のなかに、諸々の現象の多様性や複数的な特徴を保存していた。それはビアがいうように、彼の理論が「自然界を人間の理解にあわせて解釈するような、どんな定式化をも脱構築する」からだった[1983: 107; 邦訳p. 162]。

この相互関係の複雑さということもあって、彼はメタファー的なものを必要とするし、ときには、そうしたメタファー的なものは、置きかえやたとえにすぎないレベルにある――それが言い表す現象論的秩序への関係やあてはめ方は、厳密ではなく、無数にある――と強調することも必要とする。その表現は「便宜」的なものとして慎重に限定され、正当で十全な同等表現とはされない。[1983: 101; 邦訳p. 167]

 

それならば、私自身が見ているのは歴史ではなく、便宜的な、あるいは統制されたフィクションの一種として、分析が保たれるやり方である。

 どれだけ人類学者たちが自分たちの発見について暫定的だとして留保をつけようと、そういうものがなければ分析がとっていただろう体系的な形式は、おのれの敵対者である。

私たちは、現象世界(「自然」)に、私たちの科学の慣習的秩序と規則性を、それを合理化し理解するために応用するが、この過程で私たちの科学は、より専門化し非合理的になる。自然を単純化すること、私たちが自然の複雑性を取り上げること、そしてこの複雑性は、私たちの意図に対して内部的な抵抗として出現する。[Wagner 1975: 54, 強調原文]

この点は、その現象が人間主体であったとき、殊更にその通りである。分析の言語は、みずからを、ますます複雑になっていき、詳述しようとする諸々の世界の「諸々の現実」から、とりわけ人々自身がそれらを記述する諸々の言語からますます離れていくものとして創出しているようにみえる。してみると、こうした諸世界がどれだけ多様で複雑なのかを示してみることは、分析を発明することや、分析がもっと仕事をするために、より多くのデータを創り出すことのように思える。だから、人類学的営為の全体について、作為性という生得的な感覚があるわけだ――これは、行なうべきは単純化を狙うことであり、直接的な把握の明晰性の回復を狙うことである、という解決策のようなものを促すものである。しかしこれは、私たちを、ビアが指摘する、ダーウィンが生命体の発展の語り方において避けようとした当の問題へと連れ戻すことになる。

 19世紀の有機体説的フィクションに力があったのは、「全体論的でもあれば分析的でもあるメタファー」を駆使していたからであり、「全体とその構成分子のいずれかを否定することも、またいずれかに優位を置くこともなく、この両者を探ることが可能となる」[Beer 1983: 108; 邦訳p. 181]。今日の人類学者たちが使うのは別のメタファーである。たとえばコミュニケーション・フィールド、生態系、社会編成、さらに構造さえも、すべてが出来事と諸関係の相互接続のための、グローバルな諸コンテクストを構築している。それらの危険性は、システムを、調査の方法ではなく調査される主体としてしまうところにある。現象はシステム的なものに含まれるか、取り囲まれるようになっていき、そうして現象自体がシステム的なものになってしまう。だから私たちは世界システムや深層構造に絡み取られることになり、現象自体のなかでそれらが存在する「レベル」について不安がることになる。

 ここで私は、社会生活の諸々の複雑さを明らかにする別の様式を使ってみることにしたい。諸々の複雑さが、通約しようとよそおうのではなく、しかし相似的な複雑さの度合いを指し示す分析形式を引き起こすか、あるいは引き出す手法を示すこともできるだろう。このフィクション的な目標に向けて、私は分析の言語に内的対話を与えようと画策している。

 これを、二つの方法で試してみる。第一に私は、メラネシア関係の著作の大半(もちろんそれに限られないが)が基礎とする諸前提だ、と自分で認めるものについての、長期的論争を継続させる。こうした諸前提は、知識や説明にかかわる特定の文化様式に属している。第二に、それでも私は、この様式から自分を切り出せるとは思っていない。私は、その作用を可視化することしかできない。この目標に向けて、私はこの様式のもつ再帰的な潜在性を生かしてみる。そのため、私の物語は、さまざまな関係あるいは対立を通して作動する。私たち/彼らの軸に加えて、贈与/商品、そして人類学/フェミニズムの観点を加えてみるのである。解説してみよう。西洋とメラネシア(私たち/彼ら)の社会性の差異は、単純に西洋フェミニズムの洞察をメラネシアの事例に拡張するのは無理だということを意味している。人類学の観点とフェミニズムの観点の差異が意味するのは、メラネシアについて人類学者が構築する知識は自明なものではないということだ。贈与/商品の差異は、差異それ自体が把握され、人類学的な目的やフェミニズムの目的のどちらにも使われるようなメタファー的基盤として拡張されるが、それでも西洋形而上学に根差したままである。この三つの対立はいずれもフィクションであり、つまり上述の対立はこの筋書きの内部に制約されて厳密に作動するのだが、こうした対立を選ぶ文化的な理由は、この営為を越えたところにある。というのも、この営為自体は、その主題と同じくらいにコンテクストに依拠しているからである。

 比較の手続き、多社会にわたる諸変数の研究は、通例、コンテクストに縛られた分析的な構築物とともに作動するようにするため、ローカルな構築物を脱コンテクスト化する。象徴体系の研究は異なった問題系を提示する。もし理論的関心が、観念やイメージ、価値がローカルにコンテクスト付けされる方法に向けられるようになるならば、脱コンテクスト化は作動しなくなるだろう。分析上の一般性は別の手段で取ってこなければならないのだ。課題は、土着の対応概念によって外来の概念を置き換えうるなどと想像することではない。課題はむしろ、土着の概念の複雑さを、それらを産出した個別のコンテクストを参照して伝えることである。だから、私は分析的構築物のコンテクスト化された性格を顕わにすることにより、土着の構築物のコンテクスト化された性格を示すほうを選択する。このことには、分析的構築物それ自体が、それを産出した社会のなかに位置付けられることが要請される。もちろん、その社会の成員にとっては、そうした諸想定の暴露は、目的ないし関心の暴露を引き連れることになるだろう。

 フィクションの三つ目を取り上げてみよう。人類学的な構築物との距離を得る一つの可能性は、フェミニズム研究からもたらされる諸々の批評にある。その批評は明晰に定義された社会的な諸関心を組み入れており、それゆえ人類学者の諸観念のコンテクストや人類学者の関心に、間接的な注釈を与えることになる。それらは、社会科学的探究において受け入れられている前提と、文学形式をはじめとする学術実践それ自体に固有な制約から構成されている。私が人類学的諸概念を、そうしたものと重なり合い、また衝突するような、学問的言説の一領域から引かれた観念や構築物と並置するのは、そうした西洋の学術的関心をつねに思い起こさせるものとしてである。それらの差異は、たとえ単に私が「フェミニズム」独自の声と「人類学」独自の声を切り離して対象化するのが理由であっても、フィクションとして維持される。もう少し限られた範囲の資料は、どちらの側でも提示されている。しかしこの限定は、人類学とフェミニズムの観念が絡み合ってきたある種の歴史をもたらす試みによって部分的には決められているが、決して単線的ではない。私たちは、観念間の交差や妨害のなかで、社会生活だけではなく私たちがそれを記述するための無計画な方法をも模倣する、あらゆる種類の反復や矛盾に出合うことだろう。加えて、それらの近接性はまた、この説明のナラティヴの形式(「分析」)の内部でのフィクションとして、維持される。とくに大陸部において強力なフェミニズムの伝統は[e.g., Marks and de Courtrivon 1985]、これをフェミニズムの著述の独自の狙いをくつがえすものと見なすことだろう[Elshtain 1982も見よ]。現に、フェミニズム研究における多くの公理は人類学の公理と地続きであるように見えるものの、両者の異なった狙い(aims)が意味するのは、まずもって探究を動機づける異なった目的(purposes)である。フェミニズムの論争は、人類学の術語を土台にしていない―フェミニズムが厄介で、かつ興味深いものになるわけだ。だからフェミニズムの意義は、人類学との関係で言うかぎりでは、その諸前提の相対的な自律性なのである。お互いが他方に批評的な距離を与えあう。理想的には、お互いの話がどれだけ噛み合わないか、を利用してみせるのである。

 理想的には同様のことを通文化的な営為にもすることになるだろう。なぜなら「彼らの」コンテクストと「私たちの」コンテクストが明確に等価であると想定することはできないからである。分析すべきなのは、まさに社会行動についての「彼らの」コンテクストなのである。これが、そうした自己充足的で自己参照的な諸世界を提示する、全体論的な個別研究の主題である。そうした個別研究を越えていくことは、ただ一つのありうべき道を進むことであり、それは「私たち」自身の自己参照的戦略を切り開くことである。

 ラドクリフ=ブラウン流をはじめとする大半の人類学にとって、象徴体系は一つの社会秩序あるいは社会として捉えられたコンテクストの内部で理解できるものである。ラドクリフ=ブラウン自身は「(社会)構造」―社会を作り上げる役割と立場―と「文化」、つまり成員が自身について知るためのトークンとシグナルとを分けていた。アーネスト・ゲルナーは、ラドクリフ=ブラウンの特有な定式化が「文化の自意識的な崇拝に至る構造、あるいは至らない構造とはどのようなものかを問う」ことを可能にした、と指摘する[Gellner 1982: 187]。同じ問いを、概念化された全体としての「社会」に向けることもできるだろう。どういった文化的コンテクストにおいて、その人々の自己記述に、一つの社会としての彼ら自身の表象があるのだろうか。それでもこの問いは、研究対象を「なじみある環境とともに、親近性の関係性に刻み込まれるものすべてであり、定義からして自己内省しない社会世界についての疑われざる理解である」[Bourdieu 1977:3、強調除去]と想定するならば、不条理なものであろう。それは、作者の筋書きのアイデアを楽しむために、その筋書きがつなげる諸々の登場人物たちを必要とするようなものだ。そうすると目立ってくるのは、象徴形式に向かう人類学的探究の大半における「社会」の自明な地位であり、人々が自分たちに「社会」を表象していると論じることの安易さである。諸々の他者に代わってのこの想定は、言うまでもなく、他者が社会に属することを「知っている」観察者のための想定である。

 ウォルター・ギャリー・ランシマンはこのパラドックスを強調する。いずれにしても、「当人たちが利用できない理論用語を持ちだして彼らの行為に適用しようとする」というのが社会学的説明の特徴なのだ(と彼は論じる)[Runciman 1983: 53; 邦訳p. 86]。たとえば、

古代ローマの著述家たちの社会理論を第三の意味で理解するためには、今日我々が限界があり代表的ではないとみなしている観点とは違うところから、彼らが生きた社会を記述する必要に彼ら自身が気づいていなかったことに、気づくことが必要である。[1983: 53, 強調原文; 邦訳p. 86-87、訳文一部変更。以下同]

ランシマンは、社会科学の徒が、しばしば自分たちの仕事の目標は説明であるとする、一般に認められた優先順位をひっくり返してしまう。報告と説明のあとに、記述が来るのだ。これが、彼が第三の意味として言おうとしていることである。つまり、出来事に関わった人たちにとってその出来事がどのようなものか、という感覚を与えるために、伝えられるかぎりを伝える、というものである。現に、彼の見方では、社会科学に独自の問題は、まさに記述の問題であり、説明ではない。次いで、善き記述は理論に根差しているべきであり、「読者とライバルの観察者の双方がそうした記述を受け容れるための理由を提供する何らかの観念の集まりに基礎づけられている」[1983: 228; 邦訳p. 337]。これが、「記述が基礎づけられる諸概念が、その行為が記述されたエージェントによって用いられるようなものにはなりそうもない」理由である[1983: 228; 邦訳p. 337]。それでも、なりそうもない、という知識そのものは、伝えられるためには画策しなければならない。第三の理解には、その対象との差異という感覚があるのだ。もし私の狙いが、適切な記述を綜合するという狙いならば、私の分析はその目標に向かって、計画的なフィクションを展開しなければならないだろう。

 さて私は、出来事や行動についての限定的なローカルなコンテクストを解明することではなく、そうした諸々のコンテクストにとっての一般的コンテクストを解明することに関わっている。ここでは、メラネシア的社会性の独特な性格である。それはメラネシアの人々にとっては当然のことなので、この一般的コンテクストは「私たち自身」にとってのみ、興味深いものでありうる。証拠はその限定性に立脚すべきだが、限定性は綜合的に用いられる。そういうことなので、さまざまな社会システム間の諸関係を整理するという比較の手続きは、それ自体では目標になりえない。同時に、より大きなシステム化からより大きな民族誌的細部へと外れていくのは明らかに自滅だろう。むしろ、私が望んでいるのは、フェミニズムに触発された学問による外からの介入が、明らかに西洋社会科学の観念へと還元できない、メラネシア一般における相互行為や関係性についての観念を理解するために、役立つことである。そうした諸々のコンテクストは対比されるのであって融合されるのではない。少なくとも、フェミニズムの諸前提に直面することが、いかなる公理的な方法による把握からも、私たちを回避させるべきなのである。

 初めに与えることができるのは、処方箋だけである。メラネシアの比較人類学における現在の行き詰まりに対する一つの治療法は、私たち自身の表象戦略にかかずらうこと少なめに、である――ある特定の方法で世界について考えるのを止めてしまうこと。どういった方法が有益であるかを証明することは、私たちの目的に左右されるだろう。単純に、それ自体が組織化のメタファーとして、人類学者の思考方法の多くを組織しているというわけで、「社会」の観念から始めてみるのがよいだろう。

 

続く。