『日本民俗学』に拙稿の科学民俗学・妖怪論文が載ります

『日本民俗学』最新号の287号pp. 1-35に、拙稿が掲載されます(たぶん10月頭にある日本民俗学会・年会の会場でも手に取ってみることができると思います)。タイトルは「俗信、科学知識、そして俗説――カマイタチ真空説にみる否定論の伝統」です。
要旨を転載しておきます。

日本民俗学の草創期から俗信は中心的な研究の対象とされてきた。それと同時に、俗信、とくに妖怪を俗信として信じない人が多いことも古くから指摘されていた。だが民俗学は、多数の信じない人々ではなく、少数の信じる人々のほうにもっぱら目を向けてきた。そのため、今や民俗学の枠組みで妖怪が取り上げられることは稀になっている。
しかし、妖怪にまつわる知識という観点からすると、妖怪を信じる人々のもつ俗信だけではなく、妖怪を否定する人々のもつ科学知識もまた、一つの研究対象として論じることができるだろう。俗信研究においては、陰に陽に俗信は科学知識の対極にあるものとされている。他方で、科学知識のなかでも俗信を否定するものは、必然的に俗信と密接な関係性をもっていることになる。そうだとすれば、私たちは科学知識という観点から俗信をふくめた広い意味での民俗知識を把握することができる。ここで重要なのは、研究者も科学知識を共有しているということである。話者の知識と研究者の知識の区分は無効化され、どちらについても等しく問うことが可能になるのである。
本稿では、こうした問題意識をふまえて、カマイタチ真空説の歴史的展開を検討する。真空説は、明治初年代、妖怪カマイタチの俗信を否定する科学知識として提唱され、二〇世紀の初めまでには全国に浸透した。さらに現在でも多くの人々が真空説を妥当な科学知識として語っている。また、二〇世紀末まで多くの研究者もこれを受け入れていたが、現在の研究者のあいだでは、真空説は「すでに誤りとわかっている、非科学的な俗説」とされている。真空説の科学性に関する齟齬は、この知識を単に科学知識あるいは俗説とみなすことの問題を顕わにする。この点を解決するため、本稿では「否定論の伝統」という概念を採用し、さらに拡張することによって、真空説が否定論の伝統のなかで科学知識から俗説へと変貌していったことを論じる。

これまでの民俗学は、「科学的ではないもの」を中心的に研究してきたが、これは「科学」と「民俗」が相互排他的だということを前提にしています(「科学知識は俗信・迷信ではない」など)。本稿では、この前提を逆手にとって、「科学」と「民俗」を図地反転させれば、民俗学は科学も研究対象として取り込めるのではないか、という提案をしています。

たまたまですが、6月に現代民俗学会の第5期研究企画委員会に選ばせていただきましたので、今後、「科学民俗学」に関する研究集会をコーディネートすることも考えています。詳しくは9月18日の、第34回研究会「民俗学の論点2016」でプレゼンする予定です。

ちなみにこれまで書いてきた妖怪関係の論文の流れに位置づけると、
・「妖怪の、一つではない複数の存在論」(『現代民俗学』)→妖怪は超自然的・非実在的ではない(だからといって実在的ではない)
・「カッパはポセイドンである」(『世間話研究』)→妖怪は文化ではない(だからといって自然ではない)
・「俗信、科学知識、そして俗説」(『日本民俗学』)→妖怪は非科学的ではない(だからといって科学的ではない)
みたいな感じになるのかもしれません。