「びしゃがつく」の出典

まえおき
柳田国男『妖怪談義』の「妖怪名彙」には、後に有名になる多くの妖怪が掲載されているが、柳田はそれぞれの妖怪のデータが何に由来するのか、必ずしも明記しなかった。小松和彦はこの点を問題視し、出典を明らかにしていくことによって柳田がどのように元データを操作して「妖怪名彙」に収めたのかを解きほぐそうとした。
……詳細は、「googleで見つかる白坊主の出典」の最初のほうの繰り返しになるので、そちらを読んでください。

さて、「妖怪名彙」の250ページ(ここでは『新訂 妖怪談義』版を使う)には「ビシャガツク」という妖怪が紹介されている。

ビシャガツク 越前阪井郡では冬の霙雪の降る夜路を行くと、背後からびしゃびしゃと足音が聴えることがあるという。それをビシャがつくといっている。

(「阪井」はママ)
小松はこの記述への注釈に「柳田は、伝承地域として越前坂井を挙げるに留めて、出典・情報源を明記していない」とだけ書いている(p.277)。

越前坂井とは今(少し前)でいう福井県坂井郡のことである。ところで、「妖怪名彙」にはもう一つ、坂井郡の妖怪として「ミノムシ」が挙げられている。その出典は「南越民俗二」で(p.258)、これは書誌情報が明らかなので、小松も「『南越民俗』(第二号、南越民俗発行所、一九三七年)の「断片資料報告――狐狸妖怪談」(無署名)に」あることを指摘して、全文を引用している。
このことからは、柳田が妖怪を収集する範囲に『南越民俗』があったこと、『南越民俗』は妖怪を意識的に採集していること、この二つが自明である。
しかし、『南越民俗』は「怪異・妖怪伝承データベース」の収集範囲にも入っているのに、「ミノムシ」で検索してもこの文献が出てこない。それでも粘り強く探してみると、「狸」という妖怪名で収録されているこのカードが実は柳田が「ミノムシ」の項で紹介したものだということがわかる。そこで実際に原資料に当たってみると、「みの虫」とゴシックではっきり書かれている。どうやらデータ入力者は「みの虫」を怪異・妖怪の呼称とは思わなかったらしい。さらに「暗いところや大工は騙されない」と要約文にはあるが、これも原文では「電氣のある明るい處ではつかれない、又大工や石屋はつかれない」であり、「暗いところ」は「明るいところ」の間違いだと思われる。
このように膨大なデータ入力を手作業で行なっているとどうしても入力ミスや見落としというものが生じてしまう。そのようなわけで、もう少し地道に『南越民俗』を読んでみた。

1937年の第3号には、これも無署名の「松岡附近の傳承」という1ページの短い報告がある(p.32)。伝説や民間療法、呪術的風習、方言などが紹介されているのだが、そこに次のような記述がある。

△ビシヤガツク 冬季、霙の雪が降つた夜、道を行くと昔後からビシヤ〳〵足音が聞える、これはビシヤガツクと云はれる。
……
(以上 島田和三郎談)

(「昔後」はママ、おそらく正しくは「背後」)
というわけで、ほぼ、これが柳田の「妖怪名彙」の出典と見ていいだろう。報告者?の島田和三郎について詳しいことは知らないが、1951年に『奥の細道と松岡』を出版したらしく、1978年には『島田和三郎翁展』なるものも出ているから、郷土史家か地元の名士のようである。さらに1953年には『若越民俗』に火の怪異について報告してもいるらしい(この怪談は、「松岡附近の傳承」にも似たようなものが載っている)。
柳田はこれを「越前坂井郡」の伝承としているが、松岡といえば福井県吉田郡にあるのだから、「坂井郡」は間違いである(たぶん)。それだけではない。(「ビシャガツク」全体が妖怪の種目名になってしまったという後の問題はさておき)この報告を読んで、これは妖怪だ!と思う人がどれだけいるだろうか。素直に読むと、この記事は冬の夜に発生する聴覚現象を表現するときのイディオムである。確かに自分が立てるビシャビシャという足音のほかに、暗くて見えないところでビシャビシャと聞えるのは気分がいいものではないかもしれない。しかしその先の解釈はいろいろありうる。超常的存在のオカルト的な現象だ!と恐れることもできるし(それなら妖怪だ)、自分の足音がエコーしていると思うかもしれないし、溶けかけの雪でもろくなった足跡がつぶれる音と思うかもしれない。タヌキが後をつけているのかもしれない(これなら妖怪か?それとも動物の習性か?)。いずれにせよ、ここにそういった類の解釈は書かれていない。あるのは、ちょっと奇妙な聴覚現象を描写するときの、興味深い方言のイディオム、それだけである。柳田が「妖怪名彙」に入れてビシャガツクは妖怪になったが、そうでなければ一方言に収まっていたかもしれない。さらに先ほど少し触れたが、「ビシャガツク」自体が後に妖怪の名称として独り歩きしてしまった。「ビシャ」が「つく」現象なのにである。だからといって、それなら「ビシャ」を行為主体に据えればいいかというと、そうとも言えない。「ビシャガツク」というイディオム全体でしか意味をなさなかったかもしれないからである。
この事例は「怪異・妖怪データベース」からは漏れてしまっている。おそらくデータ入力者は妖怪「ビシャガツク」を知らなかったので見逃してしまったのだろう。これは完全な憶測だが、「妖怪名彙」以降の先入観がなかったかもしれない入力者は、この記事だけをみても妖怪や怪異とは思わなかったのかもしれない。
というわけで、「かもしれない」ばかりの感想になってしまったが、出典は『南越民俗』でした。