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妖怪と、人類学的な雑記

筑波大学の廣田龍平です。被災地研究・妖怪研究を人類学・民俗学的な方向からやっています。

日本怪異妖怪大事典「廣田龍平」担当項目の補遺1/5 インマオ、遠州七不思議、えんのこ、閻魔大王、置行堀、応声虫、蛙石、鐘の怪異、川ミサキ、鬼子母神、コソコソ岩、狛犬、鹿石、七人塚、十二神様

この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。

1. いんまお【犬魔王】p. 52「犬のような姿をした奄美群島の妖怪」。○
「犬魔王」という漢字は僕ではなく編者先生によるもの。
編集からいただいたDBカードは『奄美民俗ノート』の抜き刷りなど。DBにあるものはいずれも加計呂麻島の事例で、さらに『奄美の島かけろまの民俗』(1970)から事例を追加した。この本では「インマオー」(p. 111)とも「インマオウ(閻魔王)」(p. 201-2)とも表記されていて一定しない。

別名のところにある「いんまほ」は村上健司『妖怪事典』p. 50にも載っているが、これは村上事典にあるとおり野間吉夫(1942)『シマの生活誌』にあるもので、加計呂麻島ではなく奄美大島に伝わっているものらしい。

大島本島ではインマホといふものがゐて、人が死ぬ前にその人の魂[ルビ:マブイ]をとりに來る。そのインマホに逢つた人は不幸におちるといつてゐた。(p. 58-59)

「インマホ」表記のものとしては、他には『瀬戸内町の民話』(1983)に、加計呂麻島薩川の語り部が語ったものがある。それによると

眼[むい]や何処[だー]なんがあーろわからんふどぅ、ふさふさしゅん毛[くいー]ぬ顔なん垂れ下がとぅむち。くるが、本当[ふんと]ぬインマホどー。[中略]リュウグゥぬ神どー。
[対訳:]眼はどこにあるかわからないぐらい、ふさふさした毛が顔に垂れ下がっているそうです。これが、本当のインマホですよ。[中略]竜宮の神様ですよ。(p. 40-1)

さらに事例1と同じ調査者の登山修「奄美南部の死者儀礼 聞き書きを中心として」『南島研究』19 (1978)にも、人間として正しい行為をしなかったものの霊魂はアマという妖怪やインマホになるという話が紹介されている(p. 7)。ここでは竜宮や冥土との関連は述べられておらず、ただ死期の近い人々の家を覗いて回るとしか書かれていない。

こうしてみると『シマの生活誌』だけ奄美大島の事例だ。これがなければ堂々と「加計呂麻島の妖怪」と書けたのだが……。

2. えんしゅうななふしぎ【遠州七不思議】p. 77「遠江国(現・静岡県西部)に伝わる七つの怪異」。●
最初に紹介している『蕉園渉筆』はマイナーもいいところだが、小島蕉園の随筆。別名『蕉園遠州奇談』にあるとおり、当地の奇談を集めたもので、七不思議のほかにもいろいろな話が載っている。『静岡県史 資料編15 近世7』に翻刻されたものを参照した。

この文献を紹介するに至った経緯だが、まずDBの資料では七つがそろわない。そこでネットを検索してみるとけっこう七つ紹介しているものがある。ただ、可能なかぎり文献をソースにしたかったので、「遠州七不思議」というタイトルの本のなかから加藤鎮毅『遠州七不思議の旅』(1985)を入手。これを読んでいるうち、どうも『蕉園渉筆』が「七不思議」を集めたなかで最古の文献のような感じがしてきたので、メインに据えた次第(後でわかったことだが、もっと古いものもあった)。
事例1の『煙霞綺談』(夜啼石)は『遠州七不思議の旅』に、2の『磐田郡誌』(片葉の葦)は確か『日本伝説名彙』に教えてもらった。
本当は有名な夜啼石などではなくて「京丸牡丹」を紹介したかったのだが、古い文献を見つけ出せなかった。

原稿を送った後、改めて調べてみると(具体的には、単純に国会図書館のページで「遠州七不思議」と検索した)、かなり情報があることがわかったのでここに補足しておく。

まず、遠州七不思議についてもっともまとまった情報が載っているのは、僕の知る限り『ふるさと百話 第六巻』(1972)にある渥美静一「遠州七不思議」(p. 75-146)。ここの始めのほうに古いものでは『遠江古迹図絵』に七不思議が紹介されているとあり、年代的には『蕉園』よりも古かった。しかも日本語で書かれていた。こちらを優先して紹介すべきだったと後悔している。
この本は単独で翻刻されているのもあるが『日本名所風俗図会』第5巻にあるものがもっとも入手しやすいだろうか? 「大谷三度栗」のところに、

俗説に曰く、遠州に七不思議有りと、その説区[まちまち]なり。予、古老に聞きし処、清明墓・三度栗・佐倉が池・天狗火・夜啼石・新井飛神・波の鳴、これを七不思議と云ふ。

とある(p. 472)。

ほかには静岡の郷土雑誌『土のいろ』第4巻第1号および第5巻第1号が「遠州七不思議」特集を組んでいる(それぞれ出版年は1927, 1928)。
僕が確認したのは『土のいろ集成』という復刻版。こちらはより古文書や地元の伝承に基づいて七不思議を紹介・考察している。また、『觶土硏究』に載った七不思議については本事典p. 408(「ななふしぎ」)に紹介されている。
渥美は「京丸牡丹」の悲恋物語については江戸期のものを載せていないので、もしかしたら存在しないのかもしれない。近代以降のものとして彼は上記『土のいろ』4.1(1927/1981)所収の中道朔爾「京丸牡丹の話その他」を挙げている。どうも中道が子供のころに聞いた話らしい。
むかしむかし、京丸という村に若者がひとり迷い込んできて、そのまま住みついた。彼は当初お世話になった戸長の娘と恋仲になっていたが、しかしそれは「他村の者との結婚は禁止」をおかすものだった。二人は夜逃げしたが、怪しんでどの村も受け入れなかった。結局二人は娘の生家に戻ってきたが、入れてもらえなかったようであり、そのまま天竜川に身を投げた。こうしてどこにも行き場のなくなってしまった二人の霊魂が、大きな牡丹となって、恋の思い出にと咲いているのだという(復刻版p. 336-7)。

3. えんのこp. 77「山に出没する、子犬ほどの獣」。○
エンノコは方言で「犬(の子)」を意味することが多い。
事例1はDBにある。説明文は事例1についてのもので、2とは関係がない。このように説明文と事例とがうまく噛み合わず、文脈をよく見極めないと誤解を招いてしまうような書き方になってしまったのが多いことについては、大いに反省しなければならない。
2の『見島聞書』(1938)はDBには『山口県史』に引用という形で載っている。ただし「聞書」ではなく「見聞」と誤記されている。このエンノコは前後の文脈から判断するかぎり「犬の子」ではなく「猿猴」、カッパの仲間のことのようである。

4. えんまだいおう【閻魔大王】p. 77「仏教道教における冥界の裁判官」。●
誤植。冒頭で「つけひもえんま【紐組閻魔】」とあるのは「付紐」の間違い。ちゃんと赤を入れたはずなんだけど……。

この項目のように、普通は民俗宗教事典に載っていそうなものでも、それがエージェントとして怪異を起こした話が伝わっているならば、妖怪・怪異として載せるというのが本事典のポリシー。『妖怪学新考』で、不動明王天照大神も人にとってマイナス価をもてば妖怪であると書いていたところがあったと思うが、その主張をちゃんと実践している。僕もこの主張には賛成である。

説明文後半は、DBにある民話チックなのを圧縮した記述。
この項目では十王信仰もまとめているが、事例自体は結構たくさんあったので、いかにも「マイナス価」と思えそうな事例を一つ選んだのが二つ目。
一つ目の太宗寺の付紐閻魔は、これぞ「怪異」「妖怪」と言えそうな閻魔大王についての怪談でネット上でも多くのページで紹介されているが、DBには載っていない。
『日本伝説名彙』p. 478に「閻魔の口の端から紐がたれたという話があり、あるいは蔵前ともいうが定かでない」とあいまいな記述があり出典として「伝説民俗考」が指示されているが、これは長尾豊『傳說民話考』(1934)のことで、近代デジタルライブラリーで読める。深大寺の仁王に同じような話があったということも紹介されているが、肝心の付紐閻魔についての出典はどうもはっきりしない。長尾は「これは書いた物よりも、絵で傳はり擴まつたものか」と推測している(p. 9)。
その後、柴田流星『傳說の江戸』(1911)にもあるのを見つけたので(p. 71-5)そちらに出典を差し替えたのだが、事典には反映されなかったようである。
そのようなわけで江戸期の出典を見つけることができなかったのは、これまた力不足であった。『江戸文学俗信辞典』(1989)には関連する川柳として「つけひぼを食って仕舞ふとしれぬ所」「子をたべた閻魔さまさと嫁はなし」(それぞれ『誹風柳多留』16篇、18篇)とあるが、これを事例の出典にするわけにもいかないし。

さて、太宗寺以外には鎌倉の新居の閻魔が子供を食ったとして有名らしい。
こちらのほうは山手馬鹿人『世説新語茶』(1776-7?)に「ナニ又荒井のえんまじやァなし人を食うの食わねへのという……」、式亭三馬『凧雲井物語』に「新井の閻魔王。幼き者どもを取食ひ給ふなり。其証據は閻魔王の口より。小兒のつけ紐など下がりてありと」(『續京傳三馬傑作集』p. 64)とあるなど江戸期の出典もそれなりにしっかりしてはいる。
こちらを載せたほうがよかったかもしれないが、さらに気になるのは、『相州鎌倉新居閻魔取子縁記』なる文書が円応寺にあるらしいこと。これは『諸国寺社縁起』第四冊に載っているらしいのだが、入手できず、断念。もしこれを読めていたら(そこに児童食のことが書かれていたら)、新居のほうのを事例に入れていたと思う。

5. おいてけぼり【置行堀】p. 78「本所七不思議の筆頭に必ずあげられる怪異」。●
いきなりですが大ミス。「筆頭に必ず」は間違いでした。筆頭に挙げられることは多いですが、そうではないのもありました(横山泰子2006「近現代に生きる本所七不思議」, p. 188参照)。お恥ずかしい限りです。

話型としては「物言う魚」(本事典p. 547-8)の仲間。以下に紹介するうち松戸の置行堀はそれに近い。なお「物言う魚」の項目には「報告例は多くはなく、一五例ほどである」と書かれているが、何を見てそう判断したのだろうか。

文献初出と思われる『亀山人家妖』(1787)は、今はなき現代教養文庫『江戸の戯作絵本(二)全盛期黄表紙集』(1981)などに収められていて、具体的には

人の行かぬ所に手がらはあることなればおいてけ堀に行って見んといゝける。『おいてけ堀をこわがるはきついたわけなことさ』『化けが出たら生け捕るなどもよかろう』

などとある(p. 195-9)。『日本国語大辞典』もこれを初出としている。

正体がカッパであるという説の出典は、今野圓輔(1981)『日本怪談集 妖怪編』p. 64。

隅田川にカッパは多く、いたずらものであった。今戸のカッパ、源平掘のカッパもそうだが、とくに有名なのはオイテケ堀のカッパだとされている。……当時は、隅田川のカッパがよく人手にかかって見世物にされた。業平橋際で捕ったヤツは身長三尺八寸、重さ八貫、黒い剛毛を体に生やしていた。

これの出典は1957年の『サン写真新聞』に載った「カッパが工事に協力」という記事らしいが、そこまでさかのぼっていない。もし今度書く機会があればさかのぼってみたい。

説明文には埼玉、神奈川、千葉にも伝説があると書いたが、事例2に埼玉の事例を載せただけだった。これはDBにあるもので、柳田國男が『妖怪談義』に引用しているやつの元ネタである。
村上事典には山形!の事例も紹介されているが(p. 66)、これを探すのはすっかり忘れてしまった。事例1は説明文中でも述べているので、別の地域のものに差し替えたほうがよかったかもしれない。

神奈川の事例は『かながわのむかしばなし五〇選』(1983)にあるもので、綾瀬市早川の北のほう、目久尻川の某所が該当地らしい。狐の仕業だとされている(p. 54-5, 248)。

千葉の事例はユニークで、水戸黄門が七つ頭の大蛇を退治して、古池に社を建てて祀ったのだが、あるとき池で別の男が釣りをしていると、祀ったお堂のなかから「ごろやーい」という声がする。すると魚が魚篭から飛び出して池の中へと逃げていく。以来、ここを「おいてけ堀」と呼ぶようになったという(岡崎柾男1993『おいてけ堀 江戸・東京下町の民話』、p. 20)。

東京では他に足立区や台東区にも「おいてけ堀」がある。
比較的知られているのは(Wikipediaにも載っている)千住七不思議のひとつで、今の牛田駅の南あたりにむかし池があったという。『足立区史』(1955)によると、「釣りや網で魚をとつて持つて来ると後から「置いて行け! 置いて行け!」という声がする。二三匹の魚をそこに置いて行けば何の事はないが、置かないと葦原にまぐれ込んで夜中になつても帰れなかつたり、或はひつくりかえつて魚を皆とられてしまつたという。これも狐狸の類のいたずらであつたという」(p. 1053-4)。何を隠そう僕はいま牛田の目と鼻の先に住んでいるのだが、実際に歩いてみたものの、もう跡形もなくなっているようだった。
台東区のものも今はない。かつて不忍池から隅田川に流れる鳥越川というのがあり、今でいうと蔵前と浅草橋のちょうど中間あたりに、川にかかる須賀橋というのがあった。この橋からすこし隅田川にいったところにため池があった。人々はそれをおいてけ掘と呼んでいたという。『淺草區史』(1914)には由来は書かれておらず(p. 482)、『台東区史 上巻』(1955)には本所のものと大同小異であっただろう、河童のいたずらだったのかもしれない、とある(p. 797)。末武芳『上野浅草むかし話』(1985)には、そこで河童の皿を釣ってしまった男がしつこく「おいてけ」とつきまとわれたという話が載っているが、出典は不明(p. 284-92)。

また、未見だが、山形県鶴岡市東栄という地域の昔話を集めたらしい『おらほの昔、むがしあったけど 東栄昔ばなし』(2005)にも「おいてけ堀」が載っている。


6. おうせいちゅう【応声虫】p. 79「人間の腹の中にいて、人が話しかけるのに応じて言葉を返すという虫の怪異」。○
この項目についてとくにいうことはない。詳細は『「腹の虫」の研究 日本の心身観をさぐる』(2012)。日本初出は『医談抄』だ、という解説は、この本のもとになった論文を参考にしている(長谷川雅雄、ペトロ・クネヒト、美濃部重克、辻本裕成2001「「もう一つの声」を発するもの 「応声虫」をめぐって」『南山大学アカデミア 人文・社会科学編』73, p. 158)。

事例2の『新著聞集』はDBから抜けていたもの。「こたえむし」という異名の出典は、DBにもあるが、『塩尻拾遺』。ただし原文に「こたえむし」というルビはない。

7. かえるいし【蛙石】p. 120「蛙と何らかの関連がある石の怪異を蛙石と呼ぶことがある」。○
一つ前の「かえる」の項目に、「身近な爬虫類」と書かれてる……。

この項目についてもあまりいうことはない。
別称の「ひきいし」はDBにあるもので、単に蛙に似た石と鬼が睨めっこして、鬼が死んでしまったという伝説。石自体が怪異をなすわけではないので採用しなかった。
「わくどいわ」もDBにあるが、山の中腹にある蛙に似た形の岩で、一日に米一粒の距離だけ上にのぼっていき、頂上にたどりつくと山は海になるという伝説。
事例3の『天草島民俗誌』の話は自分で探してきたもの。

8. かねのかいい【鐘の怪異】p. 149「鐘の怪異の中でも有名なのは「沈鐘伝説」である」。○
この項目は困った。たかが三分の一ページに、DBの事例だけでも68ある豊富な伝説群を押し込めなければならないのだ。
ざっと見るかぎり鐘がパーソン化して怪異をなすようなものはないようなので、誰もが知っている沈鐘伝説を『日本傳說集』から一つ(事例1)、DBのなかから比較的ユニークで、かつ雨乞いと関係のあるものを一つ(事例2)とした。

鐘の怪異については笹本正治『中世の音・近世の音 鐘の音の結ぶ世界』で様々な考察がなされている。

9. かわみさき【川御崎】p. 174「川で死んだ人が祟る怪異」。○
これも特にいうことはない。
事例には字数の都合で徳島と長野のものだけを載せたが、DBにあるものだけでも、ほかに岡山、山口、愛媛、徳島、高知に分布している。DBにはほかに「カーミサキ」も載っているので参照されたい。

10. きしぼじん【鬼子母神】p. 180「子授けや安産、子育ての神」。○
事例1は原題「キシオヂンスジ」である。
DBにある『岡山民俗』16(1955), p. 1では、子供は「三月程」経って見つかったとあるが、同じくDBにある同著者の『伊勢民俗』3.1/2(1956), p. 14では「数日後」とされている。どうも数日後のほうが正しいような気がしたので、事典では「三日ほど」に直した。しかしキシオジンは本当に鬼子母神のことなのだろうか?

事例2は「おじゅらっさん」の話だが、出典の『豊浜のすがた』というのを見つけられなかった。これは悔いが残る。自治体か公民館の広報紙ではないかと思うのだが、どうだろう。
南知多町誌 資料編五』(1996)にもほとんど同じ話が載っているが(p. 417)、子取りの鬼がおじゅらっさんと呼ばれているとは書かれておらず、おじゅらっさんは別の話(p. 416-7)に出てきている。

鬼子母神といえば何といっても子取りの伝説が有名だが、この伝説を事例としたところで地名に日本を指定できそうになかったので説明文に入れた。

9/3追記:具体的に地元に人食いの鬼子母神がいたという説話を発見。となると、他にも地元の伝説として語っているところはあるのかもしれない。その話によると、現・大分県豊後大野市清川に「鬼子母」という鬼が住んでいて、子供を食べていた。お地蔵様が鬼子母の子供の一人を隠し、強くたしなめた。その後はザクロを供えると乳が出るようになる神として信仰されるようになった……(『緒方町の民俗』1978, p. 210)。

11. こそこそいわ【コソコソ岩】p. 235「音を出す石の怪異」。○
『妖怪談義』に載っているから有名なのだろうが、『岡山文化資料』の原文はたったの二行。「こそこそいわ」を書くために僕に与えられたDBのカードを見るかぎり、音を出す石の怪異をまとめて書くべきだったらしい。

この手のものは、『日本伝説名彙』p. 117-9に類例がまとまっている。
「こえいわ」はそこにあった記述をヒントに必死で『東作誌』を読み出所を特定したもの。
「囀石」は『群馬縣吾妻郡誌』(1929), p. 1171にあるもののほうが事例4の『旅と傳說』よりも古く、それはさらに「大道新田村誌」を参照しているようだが、後者は見つからなかった。なぜ僕が(初出?の)吾妻郡誌ではなく『旅と傳說』のほうを出典にしたのかよく覚えていない(資料コピーには、はっきりと吾妻郡誌のページ数まで書き込んだ跡があるのに)。

12. こまいぬ【狛犬】p. 242「神社や寺の入り口に置かれている雌雄一対の聖獣像」。○
雌雄ではない阿吽だという話もありますが、いちおう。
他の事典類ならば「はるかオリエントから伝わってきた守護獣の系譜で云々」と杉浦康平立川武蔵よろしく図像的なルーツを論じるのだろうが、本事典は「怪異妖怪」なのでそのようなことは一切省略。狛犬は単なる意匠であってそういう動物が実在するとされていたわけではないようだが、寺社にいるということで、狛犬像自体が怪異をなすという話がいくつか伝わっている。
事例2はDBでは「カラジン」となっているが原文は「カラジシ」である。
事例3の「デクサマ」はたぶん土公様のこと。他に具体的に狛犬を目撃したとか人を襲ったとかいう話があったら面白いが、今のところ見つけていない。
同じような「幻獣」、たとえば比翼鳥(p. 479)とか白澤(p. 447)にも事例はない。結構苦心したんじゃないかなあ。

13. しかいし【鹿石】p. 271「神の使いである鹿がその足跡を石に残したり、また神鹿そのものが石に変化したりする怪異」。○
別称も含めてきれいに事例と対応させてある珍しい項目。
事例2は、DBカードの出典を探ったもので、事例3は自分で見つけてきたもの。
事例1の「不踏石」のルビは自分でつけたもので、これが正しいかどうかはわからない。なんにせよあまり印象深いものではない。初出は探していない。

これに限らず村上事典には石の怪異があまり載っていないようである。

14. しちにんづか【七人塚】p. 279-80「同時に不慮の死を遂げた七人の集団の霊魂を祀った墓のこと」。○
これは説明にあるとおりで、特に怪異をなさない単なる塚の伝説もDBカードに含まれていた。

この名称の伝説はかなり多い。
事例1は自分で探してきたものだが、厳密にいうと七人の霊ではなく、埋められた金の精の話。
事例3は一人の妊婦の霊のようだがなぜか「七ツ塚」と呼ばれている。
七人塚はいくつかの事例で七人ミサキと同一視されているのだが、この比較的有名な妖怪はなぜか「みさき」の項目に収められている。ちょっと納得いかないという妖怪マニアも多いのではないだろうか。

柳田國男に「七塚考」というエッセイがある。

15. じゅうにじんさま【十二神様】p. 289「主に岡山県で信仰されている神格」。○
もともと「十二天」という項目依頼だったが、いただいたDBカードの多くが十二神様だったので、名称を変更してもらった。
岡山によくある、由来不詳の民俗神。「部落や屋敷の守護神」と書いたが「集落や屋敷の守護神」と直されていた。DB資料はすべて『岡山県史』の民俗編Iである。現地の資料をもう少しあたってみれば何かわかることがあったかもしれない。「祟りやすい」とはあるがこれといった怪異をなすと書かれているわけでもない。この事典には、妖怪のほか、このようなマイナーな民俗神もいろいろ埋もれています。