日本怪異妖怪大事典「廣田龍平」担当項目の補遺2/5 鍾馗、白犬、水精、太歳様、たんたんころりん、血染めの石、剣ミサキ、ててのすいき、とうしん、東せん坊、通り悪魔、虎、とんごし婆、ななめ、なんじ

この記事がどういうものかについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ryhrt/20130827/1377587908を見てください。原則として『日本怪異妖怪大事典』を手元に置いて読んでください。


16. しょうき【鍾馗】p. 292「もとは中国の民間信仰で、疫病を追い払う神」。○
僕は、説明文にある「科挙に落第して自死した男の霊で、」は書いていない。たぶん編集側が追加したのだろう。説明文全体は、よく覚えていないが民間信仰事典や伝奇伝説事典あたりを参考にしたのだと思う。鍾馗伝説の詳しい出典については調べていない。

DBカードは三つあったが、一つは「祭りの日に鍾馗のお面が飾られる」、一つは「小鐘」をなぜかショウキと読んだもので、事例らしいものは事例2に紹介したものだけだった。原文には「鐘馗」とある。なおこの伝承はある家に伝えられているもので、「他の家では、どんなふうに伝えられているのか知らない」と書かれている。事例1の『街談文々集要』は化政期の随筆で、たしかネットで「鍾馗」と検索していたときに見つけたもの。どちらかというと怪異をなしたのは鬼瓦のほうで、それを癒したのが鍾馗像ということになる。

いずれにせよ、日本のどこかで鍾馗が怪異をなすとか、具体的に何かをするという話はほとんど見つからなかった(事典に紹介した二つの事例のみ。むろん昔話は除く)。

17. しろいぬ【白犬】p. 301「毛並みが白い犬の説話は古く、『古事記』や『日本書紀』に既に確認することができる」。○
この事典は動物も多く立項しているが、あまり事例がないと手持無沙汰になってしまう。これも何を説明文に書けばいいかわからなかった。「白」というのに意味があるのだろう。この事典ではほかに白鷺、白鳥、白烏、白狐、白猿、白鹿、白鼠、白蛇、白馬、白龍がある。白い動物が基本的に吉祥だという前提があるわけで、マイナス価の怪異に直接かかわる話は多くない。猿神退治の犬が白いという話やオクリイヌは白い犬だという話はあるが、それらは独立した項目になっていそうだし、スペースの関係でここでは省略した。

事例2と3はDBにあったもの。事例1の日本書紀にあるものは人間が白犬に化けた話だが、関連する事例がなく、どのように理解していいかよくわからない。

18. すいせい【水精】p. 311「水の霊魂のこと」。○
DBカード4つのうち2つは「彗星」だったのでもしかしたらこちらを書くべきだったかもしれないが、項目名が水精だったのでそれを優先した。とはいってもパッとした事例はない。事例2はDBにあるもので、この手の「水界の母性的存在」については石田英一郎『桃太郎の母』参照。水の精霊としては事例1の『今昔物語集』にあるもののほうがずっと有名だろう。水木しげるも絵にしている。森正人がつとに指摘しているように、今昔における「精」は無生物の霊魂のことである(『今昔物語集の生成』1986, p. 243)。

DBカードにはほかに「水精が降ってきた」という話も載っていたが、これはスペースの関係で省略した。おそらく水晶のことだと思われる。(精をショウと読み水晶の意味で使う。)

しかしこの項目も白犬と同様、うまく説明文に特徴を述べることができなかった。広義の「水の精霊」として捉えるならば、ヌシとかカッパとか水や川の神とかいろいろ含むこともできたのだが、純粋に抽象的な「水の霊魂」となると極端に話が減ってくるようである。他に事例があるのだろうか。

19. たいさいさま【太歳様】p. 331-2「陰陽暦における木星の精」。●
僕にとって妖怪の「太歳」といえば『水木しげるの中国妖怪事典』にある、たくさんの目玉がついた肉塊のことだ。しかし与えられたDBカードはいずれも岡山県のよくわからない民俗神(また!)。「ダサイ」という神名なのだがどの文献にも「太歳」という漢字があてられている。やはり祟りやすい神だという。

……最初はこの程度の知識しかなかったが、日本では陰陽道由来ということがわかり、各種雑書(暦の本)にも載っていることがわかってからは調べるのが楽しくなったが、ほとんど本文には反映されていません。それでも、この説明文は日本における太歳の標準的な解説を書くならこうなるだろう!というつもりで書いた。もし字数制限がなければ、中国の事例も入れたうえで日本のことはあまり書かなかったかもしれない。仲間の「だいしょうぐん」も参照のこと(本事典p. 333)。

『簠簋内伝』については中村璋八『日本陰陽道書の研究(増補版)』(2000)にある校訂版を参照した。雑書云々のくだりは近代以降でも通用する。中国では太歳は恐ろしい神だということになっていたが、日本の民間信仰でどれほどこの意識が共有されていたのかはわからなかった。少なくとも岡山では「荒神」とつけられていることからも、多少そうした意識はあったようである。

岡山での信仰についてももう少し詳細に書けた気がする。岡山県の自治体史民俗編からいくつか調べたものをここに紹介しておこう。

事例にもあるとおり太歳は荒神信仰と習合しているようで、ダサイ荒神と呼ぶところが多い。また太歳だけではなく太宰と書くこともある。
どうも田の神、年の神のような感じで祀られているらしいが、面白いのは年の神(歳徳神)という連想からか、落合町(現・真庭市)では女神とされている地域もあるということだ。ここでは狐が鳴くとダサイ様の機嫌が悪いとか、ダサイ様が鳴くと悪いことがあるとか言われている(『落合町史 民俗編』1980, p. 442)。
北房町(現・真庭市)でもダサイ荒神と呼び、やはり祟りが激しい(『北房町史 民俗編』1983, p. 318-9)。
井原市の一部では「ださー様」と呼び、そこの境内にみさき様を祀っている。むかし境内の枝払いをしたら火災があったので、以後しないという。このあたりは陰陽道の太歳と似ていなくもない(『井原市史VI 民俗編』2001, p. 666)。
鴨方町(現・浅口市)でもダサー様と称して荒神を祀る。縁日は旧暦の10月14日(『鴨方町史 民俗編』1985, p. 335)。
『備中町の民俗 〔第一次報告〕』(1965)では塞ノ神のことをいい、祀っている林をダサイブロという地域が紹介されている(p. 151-2)。「ダサー様」という屋敷神もダサイ様のこと(p. 151)。

遡ると、文献上は『備中国新見庄地頭方東方田地実検名寄帳』(1272)に太宰神社または太歳神社の名前が見られるのが初出らしく、中世から祀られている、それなりに古い民俗宗教神だったということになる(『落合町史 民俗編』1980, p. 534)。この文書は東寺百合文書にあるらしい。


20. たんたんころりんp. 360「古い柿の木の化けた妖怪」。○
まず誤植です。事例1、『現代全国妖怪辞典』とありますが「現行」の間違いです。校正の段階で追加したので間違って入力されたようです。
DBカードにあったのは「妖怪名彙」のやつだけ。これは事例1の『現行』を参考にしていると思われるのでそれに変更した。
2は『津軽口碑集』にさりげなく書かれている。原文は

……しぶくる兒を威す際に「たんころりんが來るぞ」と五所川原、金木、弘前にていふと弘前生れの一人語りしが詳かならず。(p. 128)

事例3はたんたんころりんとは直接関係がないが、事例1と2だけでは間が持たないので、柿の木が男に化けた怪異として申し訳程度に追加した。説明文にある「柿男」は事例3のこと。
「柿入道」は『語りによる日本の民話1 女川・雄勝の民話』(1987, p. 310-315)にあるもので、事例3に似ているが食べる婆さんは排泄シーンを見ておらず、ひそかに目撃して激怒した息子により一度柿入道は殺されてしまう。「おめえ、懲役になって明日警察へいけよ」。しかし翌朝見てみると死体は消え、庭にはたくさんの柿が転がっていた。「柿にも心つうもんがあるもんだべかなあ」。スカトロバイオレンスアニミズムと名付けたい。

事例3は佐々木喜善『聴耳草紙』(168番、ちくま学芸文庫版でp. 462)に「柿男」として掲載されているが、注記にあるとおり、もとは三原良吉が採集したものである。この話は三原自身が『仙臺觶土硏究』1 (1931)に「仙臺の昔話」として報告しており、「柿の虗」と題されている。原文は喜善のものと細かいところで表現は違うがほぼ一致している。鱈男といい鰻男といい、喜善は「〜男」というのが好きなのだろうか。
付喪神の事例として有名な「履物の化物」(『聴耳』p. 464)もこの「仙臺の昔話」が初出である(p. 10-1)。ただし題は「履物のお化け」となっている。



2014年3月追記:「柿の精」と似た民話はほかにもいくつか記録されている。なかでも古いのは山田野理夫(編)『日本の民話24 宮城の民話』(1959, p. 62-64)で、仙台市の伝承で話者は「山田はる」とある。また佐々木徳夫『むがす、むがす、あっとごぬ 第一集』(1969, p. 182-185)は原音に忠実に「カジの精」と表記されている。語り手の所在は宮城県本吉郡津山町(現・登米市)。その他『昔話研究資料叢書15 陸前の昔話』、『みちのくの海山の昔』にもあるようだが未確認。

21. ちぞめのいし【血染めの石】p. 361「その石に血が降りかかった由緒があったり、石を動かすと血の雨が降ったり、噴き出したりする怪異」。○
これも蛙石と同様、血と関連する石の伝説の寄せ集めで、とくに共通する特徴があるわけではない。毎度のことだがこういう項目をどう説明すればいいか悩む。
項目名の「血染めの石」にあたるDBの事例は、単に人が斬られてその血がかかったというだけの話で、怪異を起こすわけではない。
事例3は原文では「血まみれ石」というインパクトのある名称で紹介されているが、それを本文に盛り込めなかったのは残念。
事例4は馬岩の話で、原文では続いて夫婦石という岩も割ったら血が流れたという話が紹介されている(p. 175)。

事例1は孫引きだったDBから遡ったもの、2と4は独自に探したもの、3はDBカードによるもの。

22. つるぎみさき【剣御崎、剣妖森】p. 376「多くの場合、土中から出てきた刀剣を祀ったもの」。○
これもまた岡山の民間信仰である。
ツルギミサキについては三浦秀宥「中国地方のミサキ」『怪異の民俗学2 妖怪』p. 385-6に特徴の多様性が簡潔にまとめられている(もとは『日本民俗学』82, 1972)。僕は「多くの場合、土中から出てきた刀剣」と書いたが、多数派ではあれ「多く」というわけではないようである。類称の「埋剣様」は事例に紹介しなかったが、DBにはあるのでそちらを参照のこと。「切腹した人の霊」の事例もDBにあるので参照。

ところで、漢字表記の「剣御崎」はわかるが「剣妖森」は何だと思われる人も多いかもしれない。この読み方は『作陽誌』(1691)にあるもので、鏡野町の大にそのような「場所」があったらしい(『新訂作陽誌一 西作誌上』1912, p. 163)。意味からすると「剣妖」だけでツルギミサキでよさそうなものだが、全体にルビが振られているので「森」自体がそのように呼ばれていたということになる。
なんとこの剣妖森跡は町指定文化財になっていて、石碑が建っている。富村文化財保護委員会(編)『富村の石造物』(1997)によると「大 大中」という場所に「剣妖森之碑」という160cmの石碑があり、1901年に建立されたものらしい。美甘政和撰という碑文の翻字は残念ながら省略されていた。近所の方は何が書かれているか確認してみてください。『富村史』(1989)にはシンプルに「昔の国司館跡」とあるだけだ(p. 1078)。なお、この表記はDBにある『岡山県史』15, p. 525に教えてもらった。ここでは王の塚がありそこにあった剣を祀るので昔からツルギミサキという、と書かれている。

さらに脱稿後に見つけた表記として、岡山県総社市の影八幡宮境内に「剱岬」と刻まれた自然石があるらしい。これは当然ツルギミサキのことで、祟りの激しく恐ろしいものだという(『総社市史 民俗編』1985, p. 464)。
「つるぎのみさき」と呼ぶところもあるという(落合町上山、現・真庭市)。これも出土した刀を祀ったもので、毎年十二月に祭る(『落合町史 民俗編』1980, p. 446)。

23. ててのすいきp. 378「憑き物筋の一つ」。○
どうもこれは「憑き物」というよりは単なる「筋」のようである。原稿ではもう少し詳細に地名を入れていたが明らかに差別の問題なので「岐阜県」だけになったようだ。

24. とうしん【燈心】p. 393「犬神に類した蛇の憑き物のこと」。○
もらったDBカードは、一つは蛇憑きの話だったが(事例1ただし引用)、もう一つは「燈心を踏むとへびに噛まれる」という俗信だった。言うまでもなく蛇憑きの話とは関係ないのだが、それを引きずっているのか、漢字表記も【燈心】となっている(編集側がつけたもの)。

事例1の『遠碧軒記』は17世紀後半のものだからそれなりに古いが、以降「とうしん」は聞かない。蛇憑きといえば普通はとうびょうである(本事典、p. 395)。短いので全文引用する。

田舎にある犬神と云事は、其人先代に犬を生ながら土中に埋て咒を誦してをけば、其人子孫まで人をにくきと思ふと、その犬の念その人につき煩ふなり、それをしりてわび言をして犬を祭れば忽愈。くちなはも右のごとくにす、それはとうしんといふ。田舎西国辺にては今にもある事なり。

25. とうせんぼう【東せん坊】p. 394「東尋坊伝説のバリエーション」。○
まず誤植です。「吾妻むかし話」とあるのは「吾妻むかし物語」の間違いです。
バリエーションと書いたものの、本家東尋坊伝説についての項目がないからアンバランスである。たぶん東尋坊がDBに採録すべき文献に掲載されていなかったというだけの話なのだろう。「吾妻むかし物語」は元禄年間に著されたもの。

東尋坊伝説の出典は調べていないが、『吾妻むかし物語』によると謡曲や『西国盛衰記』に「東心坊」として載っているらしい。

26. とおりあくま【通り悪魔】p. 396-7「特別な理由もなく人間に憑依して病気にしたり乱心させたりする怪異」。○
与えられたDBカードには、大別して江戸期随筆の「通り悪魔」と、近代以降の民俗信仰でいう「いきあい」の類と、「悪神」と呼ばれているものがまとめられていた。要するにこの二つは類似した怪異・妖怪であるからまとめて説明しなさいということらしかった。
しかし正直言うと、向こうのほうから移動してくる「通り悪魔」と、こちらが移動しているときにぶつかってくる「いきあい」を一緒に扱うのはちょっと難しい。

事例も、怪談的な要素の強い通り悪魔の話を短くまとめるのが難しく、民俗事例のほうを一つしか紹介できなかった。
DBカードには、ほかに福島の「通り神」(十二様が通るところに小便をした女が重病になった:見出しが「通り神」)、山形の「通り神」(別称「飛び神」、子供の着物を夜干していると取り憑く)、茨城の「通りの神」(曲がり角にいるので小便してはいけない)、福島の「悪神」(取り憑いて重病にする)、山口の「カミミサキ」(何ともわからないが神様の通ったところを妨げるもの云々)、大分の「タチアヒの風」(別名「イキアヒの風」「トホリ神」、山や海で合うと気分が悪くなる)、香川の「道を歩いて神にぶつかる」(急に気分がわるくなること)、京都の「出合い神」(道であたるものもないのに急にほかされる)、山梨の「トオリノカミサマ」(2月8日にやってくる厄病神)、広島の「ユキアイ」(夏に多く女性に多い一時失神。この悪神は熊王子のこと)、『待問雑記』の「窮鬼」(アシキカミ、貧乏神のこと)などなどがあった。
(「⇒」のところにあるが)「いきあい」については「かぜ」の項目のほうが参考になると思う(p. 134-5)。この手の民俗事例はどこにでもあるしバリエーションも豊富だから主要なものに限ってもこの限られたスペースで紹介するのは難しい。

27. とら【虎】p. 402-3「中国やインドの森林などに生息する、ネコ科の大型肉食獣」。○
説明文の冒頭は妖怪でも怪異でも民俗でも伝承でもなんでもないですね……。
どういうわけか日本には虎の怪異が極めて少ない。
数ある「虎岩」も、本当に動物の虎に関係あるのは事例1に紹介したもの程度である。他には事例2と3で紹介した、芸術品の虎が悪さをする話がある。こういうのはたいてい竜か馬、獅子なのだが、虎もあることはあるのだ。
事例2は『遊歷雜記』の引用だが、韮塚一三郎編『埼玉県伝説集成 分類と解説 中巻・歴史編』(1973)には、口承で残っていた、少し違う話も紹介されている(p. 589)。
事例3の『京都民俗誌』でも同じ個所に、ほかに一つ似たような怪異が述べられている。
また『愛知縣傳說集』(1937)には、虎と竜の絵がともどもに毎晩抜け出して田畑を荒らしていたので、(絵に)目つぶしをしたという伝説が載っている(p. 251)。このぶんだと他の地域にも似たような話は広まっているのだろう。しかしこの手の物語って、一休さんの、屏風の虎を退治せよという頓智ばなしとどういうつながりがあるのだろうか。

なお、事例2と3はいずれもDBカードにあるものだが、孫引きだったので、原典に当たった。どちらも同じ大嶋義孝「絵や彫刻が悪戯をする話」『民具マンスリー』34.6 (2001)。なかなか面白そうな内容。しかし事例2は『日本伝説大系5』→『埼玉県伝説集成』→『遊歴雑記』という三段構えだった。

しかし本当に民俗事例で虎の妖怪っていないのかなあ。

28. とんごしばばあ【トンゴシ婆】p. 404「白髪の老婆の姿をした妖怪」。○
原文では「トンゴシ」や「トンゴシ婆ァ」「山ン婆」となっている。文字になったのはたぶん『宮崎県史 別編 民俗』(1999)が最初で最後なのだろうが、もとは大正年間の話らしい。

29. ななめp. 409「ヤツメウナギのような生き物」。○
4行しか情報のない怪物だった。「笛を吹いて山へ登っている」ってどういうことだろう。漢字にすると「七目」だろうか。蛇と夫婦だったというからやはり鰻だったのだろうか。いずれにしても詳細はまったく不明。

30. なんじp. 415「熊野古道に出没する恐ろしい魔性のもの」。○
事例の日付や場所がやたらに具体的なのが面白い。ヒダルガミとともに怖れられているらしい。とはいえ報告がこれだけなので詳細はよくわからない。「狂ってしまう」は原文「いかれる」。そもそも「ナンジが燃える」とはどういう状況なのだろうか。