オラビソウケは存在しない

前回のあらすじ:柳田國男『新訂 妖怪談義』では、柳田が曖昧にしていた妖怪情報の出典を小松和彦が徹底的に調べて明らかにしている。それでも不明なものは多い。しかしじっくりと伝承地域とそこをフィールドワークした研究者を追っていけば、もしかしたら出典が見つかるかもしれないということが言える。その一例が白坊主である。――
白坊主に味をしめて、妖怪辞典の担当であるヌリカベについても辺りを付けて調べてみようと思ったら別の妖怪に行き当たった。

そもそもヌリカベは「筑前遠賀郡の海岸でいう」(『新訂 妖怪談義』p.253)。どうもこの海岸というのが気になっていた。おそらく漁村のコンテクストで採集されたものではないか。怪異・妖怪伝承データベースで「遠賀郡」をキーワードに検索してみてもめぼしい情報には行き当たらないが、遠賀郡の一部である「芦屋町」で検索すると、柳田國男が「漁村語彙(三)」『島』1巻3号(1933)に発表したオキユウレイが見つかる。この「漁村語彙」、『島』創刊号から連載されており、そこには、特に注記していないものは桜田勝徳によるものだ、と書かれている。オキユウレイには何も出典や情報源がないから桜田の報告をもとにした記述だと推測できる。ここから、まず、桜田遠賀郡の漁村でフィールドワークをしていたことがわかる。彼はおそらく当時福岡市に住んでいたので、目と鼻の先にある遠賀郡には足しげく通ったに違いない。「違いない」と書いたのは、『桜田勝徳著作集7』の年譜には、遠賀郡をフィールドワークしたことが特に書かれていないからである。何日かかけて調査旅行にいった別地域については書かれているので、おそらく遠賀郡芦屋町については、それほど大規模な調査活動は行なわなかったと思われる。
そのようなわけで桜田のマイナーな著述のなかにヌリカベのヒントがないかどうか見てみたのだが‥‥『著作集』の第6巻と第7巻は活字化されていない桜田のノートを公刊したものなので(1981-1982)、そこを期待してみているといくつか予想外のものが出てきた。その一つが今回の表題、「オラビ」系の妖怪である。

また前置きが長くなったが、「妖怪名彙」には次のようにある。

オラビソウケ 肥前東松浦郡の山間でいう。山でこの怪物に遭い、おらびかけるとおらび返すという。筑後八女郡ではヤマオラビという。オラブとは大声に叫ぶことであるが、ソウケという意味は判らぬ。山彦は別であって、これは山響きといっている。(pp.247-248)

これに小松は次のように注釈をつけている。少し長いので一部省略する。

柳田は、伝承地域として肥前東松浦郡筑後八女郡を挙げるに留めて、出典・情報源を示していない。桜田勝徳の未刊採訪記の一つ「八女紀行」(『桜田勝徳著作集』第六巻、名著出版、一九八一年)に、「山オラビ[……]」とある。柳田はおそらく桜田から文通を通じて情報を得たのであろう。(p.271)

不思議なことに、『綜合日本民俗語彙』にもこの妖怪は記されているのだが、名称が「オラビソウテ」になっている。内容は「妖怪名彙」とほぼ同じで、出典がないのも同じ(第1巻、p.305)。となるとこれは報告者――おそらく桜田――から直接あがってきた資料を利用して書かれたということになるのだろう。今回もまた直接資料の壁に阻まれるのか‥‥!と思いつつ、宮田の例もあるし、さらに山オラビの例もあるので、丹念に読み込んでみる。しかしテとケの違いは何か。テの一画目を左払いで書くとケと読めなくもない。活字ではなかったので読み間違えたということだろうか。しかしどちらが正しいかは今のところわからない。
まず山オラビについてだが、これについては小松が引用するところ(第6巻p.475)に確かにある。フィールドワークの時期は昭和7年(1932)。しかしオラビソウケ/テはない。
そこで、第7巻もめげずに読んでみたところ、「肥前の山(付 板屋)」という未刊採訪記に次のようにあった。

オラビソウテ 山で之に遭い、叫びかけると叫びかえす山の怪。(八女紀行のヤマオラビ)
ヤマヒビキ 山彦。(p.333)

オラビソウがあった!地域は、前後のコンテクストから考えると東松浦郡七山村藤川(現・唐津市)である。時期は昭和8年(1933)終わりなので、山オラビともども柳田が「妖怪名彙」を著すまでには十分な期間がある。柳田がこれを直接参考にしたかどうかは不明だが、ほぼ確実に同じ一次データをもとに「肥前の山」と「妖怪名彙」が書かれたということができるだろう。そしてもう一つ、『綜合日本民俗語彙』と同じように直接資料を参照して活字化されたのだということを考えると、オラビソウのほうが正しい可能性は大きく高まる。そもそもテについては上に説明したように書けばケと間違うことはあるだろうが、ケをどうやって書けばテと間違えることがあるのか、あまり想像できない。字形の点からも出典の点からもオラビソウケは誤植・誤記でオラビソウテが正確な表記だということが言えると思う*1。ついでにいうと、ヤマオラビとオラビソウテを同一視したのが桜田に始まるということもわかる。
小松ももう少し丁寧に『桜田勝徳著作集』を読んでいればオラビソウの出典に出合えただろう‥‥。
なお、他の未刊のやつにも色々と妖怪の報告があるが、とくにウグメなど漁村関係のものについて柳田がこれを参照したんだということがよくわかる。いちいち書かないので興味あるかたは『著作集』を実際に手に取ってみてください。

鹿児島のソラキダオシも桜田からあがったものではないかと思うが不確定。ヌリカベは今のところ見つからず。ほかの線を当たるのもありか。

*1:雑誌『民間伝承』初出の時点で「ソウケ」になっており、それが『妖怪談義』に2013年に至るまで受け継がれている。