googleで見つかる白坊主の出典

2013年1月に柳田国男の『新訂 妖怪談義』が角川ソフィア文庫から出た。これは人類学者の小松和彦が、柳田が不十分にしか示さなかった出典や当時の事情などに細かく注釈をつけたもので、その意味も込めて「新訂」がタイトルに付されている。
なかでも小松が力を入れたと書いているのが、巻末の妖怪辞典に当たる「妖怪名彙」における妖怪の出典や情報源である。どういうわけか柳田は出典を示していたり示していなかったりするのだ。たとえば259ページに

トウジ 暴風雨中に起こる怪光をトウジという(土佐方言の研究)。
ゴッタイビ 鬼火のことという(阿山郡方言集)。
イゲボ 伊勢度会郡で鬼火をイゲボという。

とあるように、前二者には出典が示されているのに、イゲボにはそれがない。そこで小松はおそらく色々と関係がありそうな1938年(「妖怪名彙」発表年)以前の資料を収集して調べたのだろう、イゲボの注に

柳田は伊勢度会郡の伝承とするが、出典等を示していない。『地方方言集』(三重県度会郡教育会、一九一四、安藤正次調査)の「『い』の部」に「いげぼ 鬼火」とある。(p.294)

として出典を探り当てたのである。

とはいえ必ずしもすべての出典を探り当てられたわけではない。おそらく中には公刊された資料ではなく現地の協力者から個人的に送られた書簡やカードなども多く含まれていただろうからである。それでも、『新訂 妖怪談義』の発売直後からツイッターなどを中心に、「あの文献を見ていない」といった指摘がいくつかなされている。

というわけで前置きが長くなりましたが、一つそうしたものを見つけ、今のところネット上には情報が載っていないようなので、ここに紹介しようと思うのが一つあります。白坊主です。しかもかなり適当にウェブ検索したものです。

まず「妖怪名彙」の白坊主。

シロボウズ 泉州では夜分路の上でこの怪に遭うという畏怖が今もまだ少し残っている。狸が化けるもののようにいうが無論確かな話でない。狐は藍縞の着物を着て出るというから、この白坊主とは別である。(p.254)

小松の注釈。

柳田は泉州地方の伝承としているが、出典等を示していない。参考として、倉田正邦「伊勢・榊原の昔話」『民話』(第二十四号、一九六〇年)に、シロボウズ(白坊主)の事例が報告されていることを挙げておく。(p.284)

というわけで泉州の出典についてはわからないとするのだが、googleで検索してみると、どういうわけか「大阪府泉北郡取石村」「三重県飯南郡森村」に伝承されている、という詳細な説明がいくつか見つかる。柳田が知ったのは前者のほうなのではないか。そこで疑問に思って村上健司の『妖怪事典』を引いてみると、確かにそのように書かれている(p.193)。参考文献を見ると、柳田が編纂に加わった『綜合日本民俗語彙』がある。五十音順なのですぐに見つかる。

シロボウズ (靈) 白坊主。三重縣飯南郡森村や、大阪府泉北郡取石村などできく怪であるが、本體はよくわからない。p.754

確かにありました!小松はこういう基本的な情報を見落としていたのだった。出典が書かれていないが、これは文献からではなく直接報告を受けたものということを意味している。だからこれ以上文字情報としての出典はさかのぼれない‥‥と思ったがそうでもなかった。気になって「泉北郡取石村」のほうで検索してみると、宮本常一が一時期そこで小学校の先生をしていたということがわかる。となると、彼がこの時期フィールドワークをして、そこで「白坊主」の情報を得て、柳田に報告したという流れが想定できる。これはほぼ確実なことだろう。しかしそれどころか、その時期に同地域の民俗誌を著していたことも判明する。『とろし 大阪府泉北郡取石村生活誌』である。これは『宮本常一著作集別集1』(1982)として読むことができる。というわけでさっそく『とろし』を確認してみた。
この民俗誌は彼が小学校の先生をしていた1937年3月につくられたものである。彼は余暇を利用してガリ版謄写印刷による小冊子をたくさん作っていたが、『とろし』もその一つだったという。これは当時の生徒たちを中心に配られたものだったらしく、現在はどの図書館にもないようだし、現物を見るのもきわめて困難だと思われる。著作集をつくる過程で入手できたのだろう。もしここに白坊主の話があればそれは宮本が柳田の情報源だったことの強力な証拠となるだろう。なので見てみたら、あった。いくつかそれらしいものがあったので、引用する。

夜道をこわがる人があった。或日居残をして晩おそくなった。もとの学校の処から長承寺の方へ少し行くとからすばちといふ所がある。そこを通りかゝるとごついせいが七尺もあるやうな大きなおっさんがほほかぶりして白い着物を着て立ってゐる。その人はこわくなって走ってかへった
僕の家へ竹をもって来るおぢさんは山道で白坊主にあうたといふ(p.31)
もう二、三年になります。冨木の人が会社からかへりにぐりこをたべながら歩いてゐると、もとの学校の所に白坊主が出ました。その人はこわかったので、屁をひってにげてかへりました(p.32)

みこしといふ狸は人が通ると白い坊主にばけて頭の上からめっと人の顔を見る。さうすると人はびっくりして声をあげてころぶ。するとその人はその日に死ぬといふ。そのかはり狸より人がさき「こをちがさきみこいさ」といふとそのたぬきがその日に死ぬといふ。みこしは冨木の東側にゐた。併し今はゐない。まだ二三年前久米田池のとこにもゐてたといふ。(p.127)

いかがでしょう?「僕」とかあるのは、もともとは生徒が集めた話を宮本が編集したのが『とろし』だから。「白い坊主」とか「白い着物の七尺のおっさん」とか少し表現が違うものもあるが、おおよそこのあたりが「大阪府泉北郡取石村」でいう白坊主‥‥ということになるのだろう。p.32の「ぐりこ」とか「屁をひって」とか妙なところでディティールが加わっているのが面白いが、当の白坊主については何もわからない。p.127だと狸がばけた見越入道が「白い坊主」らしいが、狐説も、「来ている服が違う」からといって否定している記述も見当たらない。全体としてみると、おおよそ「妖怪名彙」の記述と一致しているが、すべてが同じというわけでもないようで、やはり同一の情報源=宮本常一(←学校の生徒←地元の人たち)から「妖怪名彙」の「シロボウズ」と『とろし』の「白坊主」が分岐したものと思われる。

以上、結局、直接の出典は少なくとも公刊されたものとしては存在せず、情報源は宮本常一だということが何となく言えるのではないかと思う。
もし次なにか面白いのが見つかったらまた報告します。