妖怪と、人類学的な雑記

筑波大学の廣田龍平です。被災地研究・妖怪研究を人類学・民俗学的な方向からやっています。

ネロハ

 11月2日に言及したネロハという妖怪について気になったので資料をそれなりに集めてみた。明日か明後日くらいに、別の図書館からの複写資料が届くだろうから、そのあたりでネロハについて200字以上で書いてみようと思います。

 ネロハは埼玉だけでなく群馬にも伝わっているとのこと。

 あと、ネロハが現れるというコト八日についても書いておく。

 コト八日は年中行事の一つで、2/8と12/8(基本的には旧暦だが、新暦のことも)の両方、またはどちらかに行われるものである。何が行われるのかを最大公約数的にいうと、「当日の朝、長い竹竿の先に目籠をかぶせ、それを軒先に立てかける」というものだ。この目籠というのが魔除けとなり、この日に来訪するとされる厄病神や魔物、妖怪(鬼、一つ目小僧など)を退散させるのである。厄病神など悪性の存在に関係あることとしては、目籠のほかにも、ヒイラギを出しておく、履物を外に置いておかない、悪臭を出すものを置くなどがオプションとして付け加わる。この行事がどれだけ分布しているのかはまだ調べていないが、妖怪と関連付けられている地方はだいたい南東北、千葉を除く関東から中部にかけてに限られているようだ。ざっと民俗誌や自治体史の民俗編を読んだ範囲では、少なくとも関東でこの行事を行っているところは滅多にない。多くの民俗誌で、コト八日は大正末期とか戦前まで行われていたという記述が目に付く。長野ではまだ結構盛んに行なわれているらしいが、妖怪はあまり関係ない。っていうか厄払い第一だとすると、コト八日の5日前の2月3日の節分の日に「鬼は外〜」とやるのが国民的行事になっているから、そちらに意義を奪われたのかもしれない。

 コト八日に妖怪たちが何をするかについては神奈川における伝承がもっとも詳細なものである。曰く、一つ目小僧がこの日にやってきて、悪事を行った人たちを確認しつつ帳面にそのことを記して歩く。記された人間には災厄が降りかかるのである。しかし、彼には目が一つしかないので、目が沢山ある目籠に慄いてちゃんと立てかけている家には近づけない。何はともあれ記し終わると、道中賽の神に帳面を預けておき、後で取りに来る、と言う。しかし人々は賽の神の祭でドンドン火を燃やし、帳面も燃やしてしまう。次のコト八日に来た一つ目小僧だが、賽の神が火事があったので帳面が燃えてしまったと言い訳をすると、諦めて、また来年と言って帰っていく……。

 なぜこの行事が行われるようになったかは、意外とはっきりしていない。江戸初期には行われていたようだが(1687年の『年中風俗考』にあり)、妖怪に言及する資料はあるのかないのかわからない。日本民俗学ではあれこれ理由付けが試みられてきたようだが、自分的には、入江英弥が「行事由来伝説『一つ目小僧と道祖神』の形成――目籠・事八日・斎日――」『民具マンスリー』34.10(2002): 1-19で提唱した仏教由来説にもっとも説得力を感じる。以下、梗概。
 「8日」というのはおそらく斎日に由来する日付である。斎日とは仏教において慎むべき日とされた日で、毎月8日、14日、15日、23日、29日、30日の6つとされる。古くは『土佐日記』にも見られる信仰だったようだ。斎日に何があるのか。MS-IMEでも一発変換できるほど有名な経典『大智度論』に、「悪鬼が人から命を奪おうとする。病気や災厄によって不吉にしようとする。……毎月の6回の斎日には使者、太子、四天王がこの世に下り、人々がちゃんと生きているか観察する」とある。この説は中世日本でもあちらこちらの書物に確認できるもので、ある程度広まっていたのだと考えることができる。1532年の『塵添壒嚢鈔』にも「六斎日は、大智度論によると、悪鬼が人々の命を奪う日である」とある。さらに詳しい経緯(特定の月だけの行事になったのは、陰陽道や雑書の記述も関係するのではないかというもの)はこのブログでは省くが、この信仰がコト八日と一つ目小僧の伝説になったのではないか、という。

昔の民俗学や今の通俗的説明に好まれる「土着信仰」だの「山の神」だの「製鉄」だのを回避して、仏教というハイカルチャー由来だとするところが、まず、面白い。そして大智度論に記述があるのなら、他の仏教文化圏ではどのように受け入れられているのか、も気になってくる。なんだかんだいって、マリリン・ストラザーンも言っているが、人類学とは異文化/異社会比較の学問なのである(といって、自分の専攻に話を持っていく)。人類学的視野からなら、コト八日についてはこの説をとりあえず踏み台にしてみるのが良い気がする。僕も何か面白いネタがあったらやってみたいけど……。